骨散る時
金沢ゆかり
声をかけてきた時のゆかりは、完全に松永を圧倒していた。
松永としては。まるでそれまで眠っていた自分が彼女に叩き起こされ、意識がまだ朦朧としている間に勝手にいろいろ決められてしまっていて、気が付けば、自分に主導権はまったくなくなっていたという状態だった。
小説の中では、何度も想像したような話であるが、それは、他の人の小説を読んだり、ドラマを見たりしてのイメージからであった。
ちなみに、松永が他人の小説を読むということは、三十歳代までのことだった。あの頃は小説を漠然と書きながらでも、まだ先に待っているであろうものが存在していて、それを掴もうという思いがあったのかも知れない。
だから、人の小説を読んでいた時期を、
「ついこの間までのことだ」
と思うこともあれば、
「かなり昔のことのような気がする。子供の頃の記憶よりもはるか前のことのような気がするくらいだ」
と思うこともある。
それだけ、意識が不安定な時期だったのだろう。五十歳を過ぎて、記憶を伴う意識が曖昧になってきたのと、その時の意識が不安定な状態とでは場合が違う、昔の不安定さの根源は、心の中の不安にあったのだろう。
それも、
「言い知れぬ不安:
とでもいえばいいのか、前に広がるのは、末広がりの暗黒のように見えたのだった。
ゆかりは、松永のことを考えようとしているのか、それとも、自分の気持ちを表に出しているだけなのか、後者であれば、
「天然」
と言っていいだろう。
その日は、ゆかりの私の小説に対しての意見を、一方的に話しまくっていた。その様子を見ていると、彼女が本当はどちらなのか、すぐには分からなかった。
今までが、本当は誰かと話をしたいが引っ込み思案で話題もないし、どういう話をしていいのか分からないと言った女の子だったのかという場合である、
この場合にもさらに、二つが考えられる。
同い年の人とは話題が合わないが、年上であれば、話しやすいと思っているタイプなのかということと、本当に、誰とも話が合わないと思っている場合である。
前者は少し違うような気もした。
もし、年上とだけ話ができるのであれば、会話の主導権は相手にあり、彼女は自分から話すということをしないのではないかという考えであった。
というのも、彼女が年上から可愛がられるタイプに見えたからであった。
年上の男性が、まるで愛玩動物のような気持ちで見ていれば、見ているだけでいいという思いとは裏腹に、引っ込み思案な女の子であれば、
「おじさんがどんどん話をしてあげる」
という孤独を感じているおじさんであれば、どんどん話をしてくれるからだ。
もし、そこで女の子の方がまくし立てるようにしてしまったら、どちらに主導権があるのか分からずに、すぐにぎこちなくなるのではないかと思うからであった。
だから、松永に対してあれだけのまくし立てるような言い方をするのだから、引っ込み思案ということはないだろう。いくらファンだとは言っても、初対面である。引っ込み思案なら、あそこまではないはずではないだろうか。
そうなると、彼女はただ、天然なだけであって、ひょっとすると、松永のことを年上という意識はないのかも知れない。
そもそも、年齢という概念が欠如しているのだとすれば、何となく考え方の違いも分かってくるのではないかと思うのだった。
その日、喫茶店に寄って、ゆかりの話を訊いていた。
本当に嬉しいのか、まくし立てるような言い方には、遠慮や気を遣っているという表現はどこにも当てはまらないように見えた。
松永は終始面食らっていたが、最後の方では、彼女の話し方が本当に面白く(実際には笑うところではないのかも知れないが、人とのかかわりがあまりないことで、笑いのツボが松永には分からなかった)、ずっと顔の筋肉がほころんでいたのではないだろうか。
その証拠に、翌日になると、顔の筋肉が痛かった。最初はなぜなのか分からなかった。また老化の一種ではないかと思ったほどだったが、
「あんなにニコニコしたのっていつ以来だろう?」
と思い、意識しての笑顔でないにも関わらず、翌日に痛みを感じるということは、それだけ苦笑いすらもしたことがなかったという証拠であろう。
その日入った喫茶店は、ゆかりの馴染みの店ということだった。病院から少し離れたところにある、まるで昭和を思わせる喫茶店だった。白壁が目立つ佇まいに、中に入ると木目調の建て方が、レトロな雰囲気を醸し出していた。
さらに、コーヒー専門店のような香ばしい香りが、木の柱にしみついているようで、建物全体が湿気を帯びているようだった。
――大学時代には、こんな喫茶店ばっかりだったのにな――
と、最近では、喫茶店というのはすっかり鳴りを潜めてしまっていて、チェーン店になっているカフェがほとんどなので、懐かしさが第一印象だった。
ゆかりは年齢的に昭和を知っているはずはないので、きっとレトロというよりも、アンティークなイメージを持っているのかも知れない、ひょっとすると、この店にオルゴールでも置いていれば、あたかも、
「骨董品屋さん」
というイメージを感じさせ、逆に昭和を知っている松永には違和感が感じられるかも知れない。
「私が、この喫茶店をよく利用するようになったのは、松永先生のおかげなんですよ」
とゆかりは言った。
「どういうことなのかな?」
と正直ピンとこなかった松永は聞き返した。
「先生の作品には、こういう昭和の喫茶店をイメージさせる描写がいくつも出てきたんですよ」
というではないか。
確かに、自分の作品には、喫茶店のイメージが強く、今でも日の当たることのない作品の中には、昭和レトロな喫茶店を登場させることが多かった。
特にクラシック喫茶などのように、ただ、イメージとしては大学時代に駅前に乱立していた喫茶店を思い出して書いていることが多いからだった。
大学時代には、それなりに友達もいて、一緒に喫茶店に行くこともよくあった。その中の一人が佐久間だったのだが、咲間はその中でも特別な存在だったのだ。
お互いに将来の話ができる友達の中でも数少ない相手だったのだが、佐久間も同じだと言っていた。
「大学時代って、一人はこうやって将来のことを話す相手がいるというもんじゃないのかな?」
と佐久間は言っていたが、当時佐久間は下宿をしていたので、よく泊りに行き、ビールやつまみを買い込んで、夜通し将来のことについて語り合ったことも何度かあったのを思い出していた。
昭和レトロな喫茶店に連れてきてくれたことも、ゆかりに対しての特別な思いを抱いた理由の一つだったのではないだろうか。
しかも、ゆかりは、本人が忘れかけている自作小説のことをいろいろと思い出させてくれる。
正直、そんな昔の小説の内容など覚えているはずもなかった。
ずっと途切れることもなく、今は毎日書き続けるようになったが、それは毎日の生活に張りがないことで、最初は抑揚をつけるつもりだったのだが、生活の一部になってしまうと、抑揚を感じなくなった。