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骨散る時

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「売れる小説」
 というものを書けるとは思っていない。
 むしろ駄作ばかりを書いてしまうのではないかと思うくらいで、小説家というものが、どういうものなのかを見失ってしまいそうだった。
 そういう意味で小説家としては中途半端であるが、物書きとしてはある程度充実しているのではないかと思っていた。
 そう思うと、他の売れる小説を研究し、そちらにばかり目を受けているのを見ると、
「まだまだ青いな」
 などと思うようになってきた。
 売れない小説家の戯言なのだろうが、それでもいい。売れることが大切であるのは分かっているが、本当にそれだけなのだろうか?

              -ナースの女の子

 佐久間を見舞ったあと、病院の食堂で、コーヒーを飲んでいると、いろいろと考えてしまった。一人になることが増えてくると、いつも何かを考えている。そんな時は、まわりから声を掛けられることもなく、それは声をかけにくいからではないかと考えていたのだが、果たしてそうなのか。たまに、
「誰かに声を掛けられてみたい」
 と思うことがあった。
 そんな時であった、後ろから一人の女性が声をかけてきた。
 よく見ると先ほど病室に顔を出したナースであり、ニッコリと笑ったその顔は、懐かしさすら感じるほどであった。
「松永先生ですよね?」
 と言われてビックリした。
 彼女は松永の顔を真正面から見て、好奇に満ちた視線を浴びせてきた。普段であれば、好奇に満ちた視線は痛すぎると思っていたが、その時は痛いというよりも、癒しを与えてくれたように感じたのは、彼女のナース服に魅せられたからなのかも知れない。
「ええ、松永ですが。どこかでお会いしたことありましたっけ?」
 と、わざと、少しそっけない態度を取ってしまった。
「いいえ、初対面ですよ。だから私は感激しているんですよ」
 というではないか。
「小説家でいらっしゃるんですよね?」
 と言われて、
「ええ、まあ」
 と曖昧に答えたのは、彼女の勢いに圧倒されたからなのかも知れない。
 だが彼女の勢いはそれほどあるわけではなく、最初から声を掛けられたことでマイナスから自分が出発したことから始まったのだった。
――このままでは、終始彼女に押し切られてしまいそうだ――
 と思ったが、
――それも悪くないかも?
 と感じるようになった。
「先生のお話は、佐久間さんから伺っていたんですよ。それに私も以前、先生の作品を読んだことがあって、自分が考えていることと似ているような気がしたので、先生のファンだったんです」
 というので、
「僕の作品をですか?」
 と少し疑念を持って訊ねた。
「ええ、先生の作品の中で、『霧の円盤』というのがありましたのよね? あれが一番好きですよ」
 と言われた。
「霧の円盤」という作品は、新人賞を取ってから、三作品目くらいに発表したものだっただろうか。今までに出版した作品が五作品。その中の一つではあったが。この作品は、自分の人気の下降を決定づけた作品だった。
 SFチックな作品で、その中に恋愛の描写を入れたりして書いた作品だったが、聡い読者諸君にはお分かりの人もいるであろうが、この作品の元になっている発想は、前述の学校の授業で習った高速回転させた円盤の発想から来ていた。
 そして、そこに派生させる発想として、ワープの話も折りまぜていたような気がする。
 ある意味、自分にとっての発想の集大成に近い作品だった。
 最初に、円盤の発想が思いつき、そこから雪崩式にワープの発想が浮かんできた。自分としては手ごたえのあった作品であったが、一般受けはしなかった。やはり、自分が目指す作風と、売れる小説というものにはかなりの隔たりがあり、そこには、
「交わることのない平行線」
 であったり、結界のようなものが見えずに佇んでいるのだということを感じたのであった。
 科学とも物理ともつかない発想は以前からあった。だが、それらの作品が一般受けしないのは分かっていたので、途中で恋愛ものを書いてみたりしたが、なかなか書けるものではない。何しろ、人間関係に関わることを避けてきたのだがら、恋愛小説など書けるわけもない。かといって、ホラー系お小説もダメであった。正直、怖い話は自分自身が苦手なので、当然書くこともできない。
 だが、ホラーではないが、オカルト系の作品には、大いに興味があった。ホラーとオカルトの厳密な区別に関しては分からないのだが、ホラーの場合は、サイコ系であったり、妖怪や幽霊のようなものが出てくるものが多いと思っている。
 しかし、オカルトというと、カルトというように、
「奇妙なお話」
 というものがオカルトに含まれるのだと思っている。
 つまりは、
「普段はごく普通の生活を送っているような人が、何かの弾みで、知らない世界の扉を開けてしまうという表現になるのか、あるいは、奇妙な世界が存在していて、誰でもがその世界に入り込んでしまう」
 というような発想である。
 同じ時間に、同じ場所に、まったく別の世界が広がっている。いわゆる、
「次元の違い」
 というものを醸し出しているというべきであろうか。
 そんな次元の違いというもの、それは前述の次元というものと、見方によれば同じなのであるが、理屈としては微妙に違っているという言い方ができるのではないだろうか。
 ただ、どちらからでも、もう一つの次元という発想は思いつくものであり、そういう意味では、自分の小説に次元というものが切り離して考えることのできないものであると言えるであろう。
 そういう意味で、オカルトが最近は自分のジャンルになる。
 オカルト系の小説というのが、最後一番ごまかしがきくものだという感覚がある。
 またしても前述の話に戻って恐縮であるが、
「始めるよりも終わらせる方が数倍難しい」
 この言葉は小説にも言えるのではないだろうか。
 どんなジャンルの小説であっても、書き始めと終わらせ方。つまり、プロローグとエピローグは難しい。インパクトを与える書き出しも大切だが、最後まで来て、辻褄が合っていなかったり、尻すぼみのような話であれば、なかなか自分でも納得できない話にはならないだろう。
 小説を書き始めると、途中、集中する時間があることに気づくのだが、入り込んで小説を書いていると、話が脇道に入り込んでしまうことが、往々にしてある、そんな時は修正をするよりも、そのまま幅を広げて書いてしまうようにしている。特に、そんな時、収拾がつかなくなってしまうので、最後の終わらせ方をうまくぼかすというテクニックを覚えたのだ。
 オカルト系の小説を書いていると、時々、自分に才能があるのではないかと錯覚してしまいそうになる。だが、うまくごまかしてラストを形成しているので、実際には本当に上手なのかどうかは分からない。
 しかし、ずっとオカルト作品を書いていると、曲がりなりにも、
「上手になっていくのではないか」
 と思うのであった。
「松永先生の作品で、私はオカルト系の作品が好きなんですよ。最後のまとめ方が結構上手な気がするのでね」
 と言ってくれたことがあったのを思い出した。
作品名:骨散る時 作家名:森本晃次