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骨散る時

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 松永も知っていて、それほどの感動はなかったのだが、それよりも、実際に見たのは初めてだったので、話に聞いていたことが証明されたことに別の意味での感動を覚えたのだった。
 高速で回っている縁は、色がすべて消えて、真っ白になっていた。それを見た時、最初に感じたのが、
「これを使えば、人工的な透明人間だって作れるかも知れないな」
 ということであった。
 もし、話に聞いておらず、初めて見せられたことに感動していれば、こういう発想は生まれてこなかったかも知れない。
 このことは、事あるごとに思い出してきたような気がする。別に決まった時ではないので、定期的にという言葉にはならないが、思い出すというのが決まって、小説のアイデアを考えている時だったというのは、それだけ集中しているからだったのではないかと思ったが、逆に、
「集中している時に、ふと気が抜けた時に思い出しているような気がする」
 とも考えた。
 しかし、それは逆に言えば、
「気を抜いた瞬間であっても、集中しているという括りで考えた時だってあるので、その時の方が、却ってアイデアが浮かんでいたような気がする」
 というものであった。
 松永は、これまで自分が小説をアイデアを考える時というのは、思ったよりも集中していることに気が付いた。
 だから、肝心なのは最初なのだ。
 集中できる環境を自分の中で形成できるかできないかで、生みの苦しみを味わうようになる。
 それはアイデアを生むという意味ではなく、アイデアを生むための時間を自分で持てるかということが大切だということである。
 自分で集中できる環境を作り、その中にうまく自分が入り込むことができれば、意外と入り込んだ世界は居心地がいいものだ。
 居心地の良さがアイデアを形成し、昔に感じたアイデアに繋がりそうな記憶をよみがえらせることができる。それが円盤の色のカラクリであった。
「無限のまったく違った色であっても、高速で回転させれば、色は混じりあって、一つの色を形成する。つまり、どんなに別の次元であっても、高速で回転させれば、そこには真っ白な世界が広がっているのであって、皆はその回転した真っ白いものしか見ていないのかも知れないんだよ」
 と先生が言った。
「どういうことなんですか?」
 と他の生徒が聞くと、
「世の中には、次元というものがあって、それが可能性の数だけ広がっているという考え方があるんだけど、先生はその考え方には賛成で、それをいわゆるパラレルワールドと呼ぶんだけど、皆は、パラレルワールドという言葉を知っているかい?」
 と訊かれて。
「はい、知っていますよ」
 と、答えた生徒がいた。
「じゃあ、それが未来にばかり広がっているものだと思うかい?」
 と訊かれて、訊かれた生徒は一瞬たじろいだが、
「そうじゃないんでしょうか?」
 と答えた。
 これは、意外な質問だったというよりも、どちらかというと、自分の心の中を覗かれたかのようなドキッとした感覚ではないかと思えた。だから、一瞬返事に困ったのだろうが、考えていたことに自分なりに自信があったのだろう。毅然とした態度で答えていたのが印象的だった。
「うん、確かにそうかも知れないけど、過去にだって、可能性があったのは間違いないんだ。しかも、未来に末広がりで広がっているように、過去にも末広がりで広がっていると思うのは、先生だけかな?」
 というと、皆考え込んでいた。
 ここまでくると、ついていけないと思う人がほとんどではないかと思ったが、それ以上に、普通なら、どう考えても違っていると思えることなのに、それを全面的に否定できないのは、先生の迫力もあるのだろうが、奇抜な発想に戸惑っている自分を感じているからなのかも知れない。
「じゃあ、先生は、現在が至上だという考えなんですか? いわゆる現在至上主義というのかですね」
 という人がいた、
「私はそう思っているんですよ。この円盤でいえば、中心部分ですね。一番中心には色はないんです。だけど、高速で回転させると、色がついて見えるでしょう?」
 と言って皆が見つめる。
「それは目の錯覚なんじゃないですか? ちゃんと見れば色がついていないことが分かりますよ」
 と誰かがいうと、
「ええ、その通りです。その通りなんだよ。でも目の錯覚というのは、まわりが真っ白だから、中心も真っ白だと思うとおいうことでしょう? それをどこまで正しいと考えるかということが大切なんですよ」
 というではないか。
 さらに先生は続けた。
「円盤のまわりを過去と未来の発想だと考えると、中心は現在なんだよね。現在というのは一つしかない。だから、それが中心だという発想なんだ。まわりのどこからどこまでが、未来で過去なのかって分からない。それは時間が定期的なスピードで動いているからであって、未来が現在になって、一瞬にして過去になるという瞬間が存在する。それは意識することのできないほどのスピードなんだよね。このスピードが、カラフルな色を真っ白にするスピードではないかと思っているんだ」
 と先生は言って、少し考え込んだ。
 生徒の誰も声を出す人はいない。小さな声で唸っている人はいたが、それは必至に話を理解しようとしている態度に思えた。
 話に途中で突いてこれなくなった人も、同じように考え込んでいる。どこかで先生の話がつながったのであろうか、それを思うと、先生の話にはワープのような作用があり、ワープというのを思い出すと、これも、当時流行っていたアニメを思い出した。
 その頃は習ったことはなかったが、高校生で習う、三角関数におけるところの、
「サインカーブ」
 と言われるものがある、
 一種の心電図のようなものだが、十代でそこまで知っっているわけではなかった。
 いわゆる波目のカーブであり、グラフのゼロの線を上に行ったり下がってきて、下に行き、また上がってきて上に行くというのを繰り返しているものだが、それを時間軸というのだという。
「ワープというのは、その時間軸のカーブを描くことなく、頂点から次の頂点に飛び移ることである」
 という説明をしていた。
 それを思い出すと、先生の言っている話をまんざらでたらめではないように思えていた。きっと他の生徒も同じように、そのアニメを思い出していたのだろう。
 また別の発想としては、
「先生は、こんな発想に至った元々の起源は、この発想によるものだったのではないか?」
 と思えた。
 大人だからと言って、SFアニメを見ないとは限らない。特に先生のようにSF的な発想をするのが好きな人は、余計にアニメを見ていることだろう。それも子供の目線からではなく、あくまでも、SF、つまりは、サイエンティフィック・フィクションとして見ているということだ。
 小説を書いていると、最近その時のことをよく思い出す。すると、自分なりにいろいろな発想が生まれてきて、その発想を裏付けるかのような思いが、沸き上がってくる。
 そんな時、
「小説って書いていて楽しいものんだな?」
 と感じる。
 ある時期から、発想が湯水のように溢れてくることがあったが、それをメモに書き出してくると、いくらでも書けるような気がしてきた。
 ただ、プロとして、いわゆる
作品名:骨散る時 作家名:森本晃次