骨散る時
同じ時代の人間で、一番と呼ばれるだけではなく、さらにさかのぼっても偉大な人なのだ。あくまでも参考程度にしか思えないのではないだろうか。
そういう意味で、
「不惑という年齢に入ると、本当に迷わなくなったよ」
という人も中に入るが、正直信憑性は感じない。
そういう人は、暗示にかかりやすい人なのか、それとも、自己顕示欲が強い人なのかのどちらかではないか。自己主張が強くて、下手をすればまわりを巻き込んでしまいそうな人物に、いるのかも知れない。
逆にそういう人に二重人格性を感じるのだ。
自己主張を表に出す人は、それまで抑えていた感情を表に出すことを覚えたのではないかと感じる。
抑えていたというのは、出してはいけない性格だと思っていたということで、実際の自分の性格とは正反対のものだったのかも知れない。
それを思うと、二重人格というものを考えていくうえで、いろいろ言われる性格がどこか水面下で結び付いているのではないかと思うのだった。
まるで心理学のような発想であるが、松永は、年齢を重ねていくうちに、自分の小説が理屈っぽくなってくるのを感じていた。
その理由に、人の性格を考えることが多くなったからで、ひいては、他人ということではなく、自分の性格ということであり、自分が小説を書きながら、実は自分の性格分析をしているのではないかと思うようになってきたのだった。
小説を書いていると、意外と文章がスラスラと出てくることがある。特にあまり何も考えていないと思う時の方が、
「もうこんなに進んだんだ」
と感じる。
しかし、実際には時間もそれくらい経っていて、気が付けば一時間くらい、アッという間だったことも少なくはない。
いや、小説をずっと書いてくると、それが当たり前のように感じられた。時間的には十分くらいしか経っていないと思っているのに、実際に時計を見ると、一時間が経っているのだ。
書きあがった成果的には、実際の一時間を要するスピードなのだ。つまりは書いている時に感じるのは、
「俺って、結構スラスラ書けるじゃないか」
と思うことだった。
実際の時間と感覚的な時間の違いの理屈に気づくまで、
「一歩も二歩も作家として成長したのかも知れないな」
と感じていたが、分かってしまうと、
「やはりな」
と、ある意味、成長していないことに納得できてしまう自分に気づく。
悪いことではないのだろうが、ここまで来ると、本当に自分が何を目指しているのか分からなくなってくる。
「四十にして惑わず」
などという言葉、嘘っぱちではないかと思ってしまうのであった。
自己暗示なのか、それとも無意識にできるようになったことなのか分からないが、小説を書くのが仕事ではないと思うと急に気が楽になってきた。前は、
「仕事だと思うから自覚ができるのであって、小説に向かう姿勢が確立される」
と思っていたことで、職業意識が大切だと思っていた時期があった。
確かに、それは必要なことであるのは間違いない。新人賞を受賞してからというもの、出版社の人からも散々言われたような気がする。
それははっぱをかけてくれていただけなのかも知れないが、プレッシャーにもなっているということを分かっていないのだろうか。人の性格に裏表があるように、人が相手を説得しようとして発する言葉にも、それなりに裏表があると思っている、特に説得力のある言葉は余計に、そのイメージが強いのではないかと思うのだ。
説得力というのは、相手をその気にさせる力があるが、強すぎると相手にプレッシャーも掛けかねない。相手を説得しようと一生懸命になることは、時として相手に高圧的なイメージを植え付けることになるであろう。
そのことをどこまで相手が分かってくれているのかを説得する方も分かっていないと、せっかくのいい言葉も相手を苦しめることになるだろう。下手をすると、洗脳に近いことになったり、自分に対しての嫌悪感に繋がったりしないとも限らない。
これは、その人の立場にもよるかも知れない。家族であれば、少々の厳しいこともいうかも知れないが、家族であるがゆえに、指摘されたくないと思うこともあるはずだ。
「そんなこと、ちゃんと分かっているよ」
と、子供の立場で思うことも多いだろう。
親から見ればいつまでも子供は子供、しかし、実際に子供は成長しているのである。他の人であれば言われても素直に聞くのに、相手が親だと、どうしても反発してしまう。それが思春期における反抗期に繋がってくるのだろう。
そういう意味では反抗期は決して悪いことばかりではない。
「小さい頃はあんなに素直な子供だったのに」
と思う母親もいるだろうが、それだけ大人になった証拠だとも言える。
それを分からずに履き違えた理解をしていると、子供との距離が埋まることはなく、下手をすると、決定的な溝となり、その溝に沿って、交わることのない平行線を描くことになってしまうに違いないだろう。
「年を取ってくると、子供の頃のことをよく思い出すようになる」
と言われているようだが、この場合の
「年を取る」
というのは、果たしていくつくらいのことなのだろう。
松永も、よく昔のことを思い出すようになっていた。特に小学生の頃y中学時代などの思春期の頃が多い。しかも、その頃のことを思い出すようになると、今まで学生時代の頃というと、本当に昔のことのように思えていたのに、今では、二十代、三十代の方が遥か昔のことで、子供の頃のことが最近のように思えるのだった。
これは、二十代、三十代というのが、まるで別の次元の出来事のような気がして、
「別の世界ではないのだが、別の次元という考え方だ」
と考えるようになった。
「世界の違うと次元の違い」
この決定的なものは、いくつか考えられる
ます、どちらも、時間的な発想としては同じ時間のものなのであるが、世界の違いは、場所が違っているものであり、その象徴が、文化の違いという発想になる。
次元の違いというと、同じ時間の中で、同じ場所にいるのに、次元が違う世界があり、想像上の世界であるという考えであった。
いわゆる、
「パラレルワールド」
のような発想であり、無限に広がる可能性の数だけ存在するものであり、さらに次の瞬間には、また無限の可能性が広がっているという考えだ。
それを考えた時、松永は物理の授業で聴いた興味深い話を思い出した。
先生は一つの模型を教室に持ってきて、ちょうど円盤のようになったものが、中央で棒にくっついていて、ちょうど円盤が扇風機の羽根のようになってるのだった。そして、中心から円グラフのように、等間隔で区切られたところに、カラフルな色で彩られているのだった。
「色というものは、どんなにたくさんあっても、それを高速で回転させると、こうなるんだ」
と言いながら、その円の端を持って勢いよく回転させる。
「おおっ」
という声がまわりに響いたが、それは一部の人だけで、意外とこの現象は知っている人が多かったようだ。