一周の意義
だが、逆に田舎にいると、今度は人と関わらなければいけない。関わらなければ、その人は仲間外れにされて、生活自体ができなくなってしまう。都会では、生活はできるが、将来において、出世などができなくなる。下手をすれば、望んでもいない田舎に飛ばされることだってあるだろう。だから、聡美は正社員になれないのを、高卒で田舎から出てきただけの人間だからしょうがないと思っていたが、今のように、コンビニとスナックで何とかではあるが生活ができていることで、正社員として就職できなかったことを悔やんだりすることはなかった。
むしろ、社会人として、会社の一部としてしか機能していないのであれば、別に正社員である必要などないと思っていた。
スナックにいると、いろいろな客がやってくる。常連さんの中にはサラリーマンもいれば、自営業の社長さんもいる。芸術家の先生もいれば、大学教授もいると言った、いかにも社会の縮図を見ているようだ。
スナックにいる間は、サラリーマンであっても、社長であっても、大学教授でさえも、まったく上下関係はない。ただ、皆相手に敬語を使っているが、それは、敬意を表しているからで、無意識のうちだという。それでも、中には無意識に敬語を使わなければいけないという癖がついてしまっている人もいるが、敬語を使うのは、本当に尊敬しているからであろう。
サラリーマンが先輩や上司とくることがあるが、完全に先輩の機嫌を取っているというだけにしか見えない。本当に尊敬などしているわけではないのに、敬語を使われることに、違和感などないのだろうか?
最近では、コンプライアンスが厳しくなってきたので、パワハラに当たるのかも知れないが、春の新入社員の時期など、ちょうど花見の時期と重なることもあって、新人が花見の場所取りをするのが恒例になっている会社も結構あった。
それを見て、聡美は、
「何てバカなことをしているんだ?」
と思ったものだった。
単純に考えて、仕事の時間に仕事よりも、花見の場所取りを優先させるのである。会社の仕事の一環でもなんでもないのである。
聡美が考えたのは、
――誰が、彼らの花見をするための外出を許可したというのだろう?
というものだった。
江上にこの話をした時、江上も、
「まったくその通りだ」
と言っていたが、外出許可の話を訊いた時、彼も一緒になって、
「それは確かにそうだな」
ということであった。
基本的には、事務所を少しでも開ける時は、外出届がいる。仕事以外での外出があるとすれば、歯科医などの病院への通院の場合などは、いちいち提出しなくてもいい会社もあるというが、それ以外では基本的にはありえない。
まさか、外出届の備考欄に、
「花見の場所取りのため」
などと書く人はいないだろう。
まず直属の上司のところではじかれる、
しかも、花見の場所取りなのだから、一人というわけはない。数人で出かけるのだから、それぞれの理由にも限りがあるというものだ。
そんなことよりも、さすがにコンプライアンスを叫ばれていなかった時代であっても、この風習はきっと誰もがおかしいと思っていることだろう。そう思えば、花見の場所取りまではいかないが、他にも無駄と思えることはたくさんあった。
社員旅行であったり、忘年会新年会の強制出席などである。百歩譲って、一次会はいいとしても、二次会の半強制に近い参加は、無駄としか言えないだろう。上司の下手な歌を聴かされたり、飲みたくもない酒を飲まされたり、それで翌日の仕事に差支えが出れば、誰が責任を取ってくれるというのか。ほとんどの場合、
「本人が無理に飲んだだけ」
ということで自己責任にされてしまう。こんな理不尽なことはないだろう。
ちなみに、都会y田舎というわけでもなく、会社という括りでもないが、無駄だと思っていることがあった。
それは学校での朝礼である。
週に何度か、全校生徒が校庭に整列し、校長先生の訓示を訊くという行事であるが、これに何の意味があるというのか、以前、朝のワイドショーを見ていて、そのことを問題にしていたのを見かけた。
「別にしなければいけないことではないですよね。何か全校生徒に対して発表しなければいけないこと、表彰であったり、学校行事の一環としての集合であれば問題はないが、絶対に週に一度は朝礼をしなければいけないという理屈はない。熱中症で倒れる人が何人もいるのだから、そういう意味でもまったく意味のないこと」
というコメンテーターの人がいた。
普段は、ワイドショーのコメンテーターの話は半分聞いていただけだったが、この話には全面的に賛成だった。
世の中というのは、今ではなくなっていることもたくさんあっただろうが、実際には、
「あるある」
ということで、脈々と受け継がれていることがある。
世の中の理不尽を思うと、都会にいると、田舎よりも多いような気がしていた。それでも頑なに田舎に帰ることを考えようとしなかったのは、母親に対しての確執があったからだ。
そこに妹の、「さおり」が絡んでいるから少し厄介だった。スナックに勤めるようになって源氏名をどうしようかと考えた時、最初から、
「さおり」
を意識したわけではない。
いや、正確には、意識はしたが、この名前は使いたくないというのが最初にあった。それでもほとんど時間を空けることもなく、源氏名を「さおり」にした時の心境を、思う出そうとするのだが、すぐに思い出せるものではなかったのだ。
男の裏切り
聡美がそれでも田舎に帰ってきたのは、江上と付き合い始めてある程度になって、聡美は江上からプロポーズされた。
江上は、
「僕は三年間付き合って、それでも気持ちが変わらなければその人と結婚しようと思っていたんだ。だから、結婚が早いとか遅いとかはあまり関係はない。ただ、知り合って三年というと、二十代後半くらいには早くてもなるわなと思っていたので、そういう意味ではちょうどいい時期なのではないかと思っているんだ」
ということであった。
聡美としても、付き合い始めてから、最低でも一年は相手を見極めるのに必要だと思っていたので、三年付き合ってきたが、一度も、
「結婚してほしい」
という話をしたことはない、
結婚を匂わせたこともないし、だから彼も付き合いやすかったのかも知れない。
「後から思えば、三年というのは、ちょうどいい期間だったのだろうな」
と思ったほどだ・
ただ、江上は基本的に、
「結婚する場合、家族には祝福されたいよな」
ということを言い始めたのは、プロポーズされてからのことだった。
付き合っている時、結婚観はおろか、結婚という言葉を使ったことがなかっただけに、家族についての考え方も話したことがなかった。
もし、最初から分かっていれば、付き合うのをやめていたかも知れない。家族への確執は、聡美にとっては、それくらいのレベルのものだ。
しかし、結婚の気持ちが固まってしまっているだけに、家族の確執を理由に、結婚を思いとどまるには、
「時すでに遅し」
だったのである。