小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

一周の意義

INDEX|8ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

 そんな友達が連れてきた彼女が男に騙された時のショックは、まるで自分のことのように思えたので、聡美はよく覚えている。数か月近くは、ショックから立ち直れなかっただろう。それでも少しずつ気分がほぐれてきたのか、次第に明るくなっていった。
「徐々にだけど,元気になっていくのが見れてよかったわ」
 と、聡美がいうと、
「そうじゃないのよ。あなたには徐々にと見えるかも知れないんだけど、本当はある時のきっかけがあったからなのよ。確かに徐々に気が晴れてきたのは確かなんだけど、もし何かのきっかけがなければ、まわりから見て、ショックから立ち直ったように見えても、本人にとってはまったく立ち直っていないようにしか見えないの。分かるかしら?」
 と言われ、
「ちょっとピンとこないかな?」
 というと、
「それはね、やっぱり何かのきっかけというのが必要なのよ。きっかけが自分の中でハッキリと分かって、自分の中でそれまでの自分がまったく違った自分だったということに気づくことができれば、ショックから立ち直ったと自覚できるのよ。いわゆる結界を超えたとでもいえばいいのかしら? 超えた結界というのは、意識していなければ結界ではないのよ。無意識のうちに立ち直るということはありえないと思うと、無意識の中でも、絶対にどこかで自覚できることがあるはずなのね」
 というではないか。
「ということは、自覚したことを、本人が忘れてしまったということになるのかしら?」
 と聞くと、
「いいえ、そうじゃないの。忘れてしまったのではなくて、覚えていないということになるのよね。忘れてしまったというのは、過去形じゃないですか。忘れてしまえばそこで終わりなんですよ。でも覚えていないということは、過去形ではなくて、現在進行形なんです。つまり、覚えていないということが自分の中にあるという意識があって、思い出してはいけないと思っているんですよ。この気持ちが少しでも薄れると、思い出す可能性が出てくる。だけど、忘れてしまったのであれば、何も覚えていないわけではなく、忘れることが記憶に残っているということなので、本人は意識しない時に思い出すことがある。これはデジャブとは違う感覚なんだけど、思い出してしまっても、それが自分の過去の経験のどの部分なのかが分からないと思うんですよ。つまり、中途半端な状態で記憶が意識の中にぶら下がっているという感覚とでもいえばいいのかしら? 忘れたつもりでも思い出すこともあるかも知れない場合は、忘れるのではなく、思い出さないようにするという意識ではなければいけないということになるんですよね。でも、それを人間は意識できない。だから、忘れてしまったことでも、思い出すことがあり、思い出したことに対して、思い出すだけの理由とインパクトがあったということで、思い出したことの理由付けをするんじゃないかと思うんですよ」
 と、彼女は言った。
 難しい話で、聞いた時すぐには分からなかったが、その後、何かがあったその時々で思い出すのであった。
 そんな時、
「思い出すべくして思い出したことだったんだわ」
 と感じるのだった。
 彼女の言っていることも、今は少しは分かるようになってきた気がする。
 確かに今まで生きてきた中で、何かの決断をする時に、何かきっかけがあった気がするが、ショックから立ち直る時も、急に気持ちがすっきり来ることがあったというのを思い出していた。
「何ていえばいいのかしら? そう、割り切った気持ちになれたというのかしら? 割り切ってしまうと、気が楽になれるのよね」
 というと、
「確かに、割り切りというのはきっかけの中の一つなのかも知れないわ。でも、それはあくまでも一つの手段でしかなく、割り切るというのは、自分の中で自分を主観的に見ていたものを客観的に見ることで気楽になれることで成立するものだって思うの。つまりは、他人事のように思えるということね。でも、これって大切なのよ。何が何でも自分の中で抱え込む必要はないということ、他人事として考えて気が楽になれるのであれば、それはそれで気持ちを切り替えるという意味では正解なんじゃないかって思うのよ」
 と彼女は言っていた。
「私はそこまでショック過ぎて落ち込んだことがないので何とも言えないけど、その時がくれば、今のお話を思い出すかも知れないわ。少しでも救われた気持ちになれるかも知れないと思うわ」
 というと、
「そんなことはないわ。あなたにだって、今までにたくさんの選択機会があって、いろいろ悩んだはず。そして、こんなはずではなかったという思いを持つこともあれば、これは運命なんだと諦めようとしているかも知れない。どっちにしても、その気持ちは悩みがあるから考えることなのよ。あなたは、私の今の言葉のようなことを考えたこともあるでしょう? それを悩みとして思わなかっただけなのかも知れないわね」
 というので、
「えっ、それは悩みとして自覚していなければいけないことなんじゃないの?」
 というと、
「世の中には知らなくてもいいことって結構あると思うのよ。絶対ということが世の中にはない以上、すべてを知る必要もないし、いくら自分の人生を左右する場面に差し掛かったとしても、意識をする必要は絶対にないと思うの。人間には、無意識にでも正しい方に導いてくれる、自浄能力というものがあるからね。それが、今話した結界なんじゃないかと思うにょね」
 と、いうことだった。
 その話を思い出しながら、田舎にいた頃のことを考えていると、確かに、家を出る時の気持ちを思い出す炉、結界のようなものがあって、それが見えた時、
「どこで妥協するかよね?」
 と考えたのを思い出した。
 割り切るという言葉と、妥協という言葉、同じ意味で考えていたが、若干違っていることに気づかせてくれたのが、その時の会話だった。その時、割り切るということが、
「いかに他人事だと思えるか」
 ということだと思うかを感じた。
 だが、妥協というのは、自分の中で噛み砕いていかなければいけないもので、
「いかに自分を納得させることができるか?」
 ということではないのだろうか?
 聡美はそんなことを考えていると、
「東京に来てからなのか、一人暮らしをするようになったからなのか、いつも何かを考えているような気がする」
 と思うようになっていた。
 田舎にいる時は東京のことしか考えていなかった。だが、都会に出てきてからは、東京から離れたいと思ったことはあったが、田舎に戻りたいとまで考えることはなかった。東京にいて一番何が嫌なのかというと、必要以上に人に絡まなければいけないことがあるからだ。基本的に東京の人は田舎に比べればであるが、人と絡むというよりも仕事などで、関わらなければいけないというだけである。しかし、そこに感情はなく、血が通っている感じはしない。
作品名:一周の意義 作家名:森本晃次