一周の意義
法律なので、どこかで一定の線引きは仕方がないとしても、人は個人差というものがあるので、一概に大人と子供の境界線を決めてしまうのは無理がある。個人同士の間であれば、その猶予を認め、必ずしも二十歳を大人と子供の境界線として決める必要がどこにあるというのだろうか?
聡美はそんなことを考えていた頃に、自分が江上のことを好きになってきていることにやっと気づいたのだ。
知り合ってから、一年近くが経とうとしていた。最初こそ、話をすることはあるが、友達というところまでは許せても、親友であったり、ましてや恋人という一線まではまったく考えられなかった。
だが、聡美には東京に出てきてから、気持ちの中のことを、腹を割って話せる相手がいなかったのも事実だ。そのことを、聡美は、
「見て見ないふり」
をしていたのだ。
東京というところは、いつも空気がよどんでいるところであった。だが、問題hそこではない。空気がよどんでいることを誰も見ようとしないのだ。それが、
「見て見ぬふり」
なのか、それとも、
「見て見ないふり」
なのかのどちらなのか、正直、聡美にも最初は分からなかったが、今では、
「見て見ぬふり」
なのだろうと思うようになった。
その理由は、気持ちと行動にギャップがあるからだ。行動だけをいくら繕っても、気持ちが伴わなければ、相手には分からないということを分かってはいるのだが、きっと自分のこととなるとどうにもなることではないのだろう。
これは都会田舎の人間関係なく、誰もが自分のこととなると、とたんに分からなくなってしまうという一種の人間としての本能のようなものなのではないだろうか。
しかし、本能という言葉、実に都合のいい言葉である。
本能と言ってしまえば、少々のことは許されてしまうという風潮があるからであり、それは本質を見ないということと結びついているからではないだろうか。
つまりは、
「相手のことを看破して、それを自分だから分かったんだと言おうものなら、それは相手にもこちらに対して隙を見せることになるからではないか」
という思いがあるからだ。
以前、スナックで話をした会話の中で、
「さおりちゃんは、将棋をしたことがあるかい?」
と訊かれて、
「いいえ、ありませんけど」
というと、
「でも、何となく並べ方くらいは見たことがあるんじゃないかい・」
と訊かれて、
「ええ、テレビで見たことがあるくらいですけど」
と答えると、
「それならいいんだけどね」
と、ここまでは何が言いたいのか正直分からない会話だったが、その人がいうには、
「将棋で一番隙のない布陣というのは、どういう布陣なのか分かるかい?」
と聞かれた。
「たった今、将棋を知らないと言ったのに、それを分かっていての質問なのかしら?」
と感じ、その人の顔を見ると、ニコニコと笑っている。
その笑顔は、
「私には何もかも分かっているよ」
とでも言いたげな余裕を感じさせる笑顔だった・
それを見た時、敢えてその人が自分にそんな質問を浴びせたことが分かった。つまり、今の情報だけで答えられるだけの知識があるということである。
聡美は考えていると、思わず笑ってしまった。
「なんだ、そういうことか」
と思うと、笑わずにはいられなかったのだ。
それを見た相手は、
「やっと分かったみたいだね」
と言って、ニッコリ笑っていたが、
「うん、答えは、最初に並べた布陣なんでしょう? だって、それ以外に思いつくことはないもの」
というと、
「そうなんだ。将棋では最初に並べた布陣が一番隙がない、つまり、一手指すごとに、そこに隙が生まれるということなんだよ。それにね、今さおりちゃんが感じたこととして、いろいろ考えたけど、最終的に、情報が一つしかなかったので、その方法が答えだって気付いたことで、おかしくなって笑ったでしょう? それはね、自分の中で一周して得られた答えだからなのよ。裏も表も回り切ることで一周するために、当然時間が掛かる。でもそれを意識させないから、本当は結構なスピードだということも言えるのよ。人間には裏表がない人間なんていないんだ。それを意識できるかできないかがその人にとって、自分を理解できるかできないかということに繋がるんだって、僕は思っているんだよ」
とその人はいうのだった。
「目からうろこが落ちる」
というのは、まさにこのことではないだろうか。
その時に聡美は、本能という言葉を思い出した。
自分の中で、裏の部分があるということは分かっている。具体的にはどういう部分なのかというところまでは把握できているわけではないが、それを自分の中で、
「本能のなせるわざ」
として、勝手に解釈しようとしているのではないかと思うことがあった。
だから、
「本能という言葉が都合よく使われている」
と感じるのだった。
「自分の中にある隙を、本能の一部のように考えているふしがある」
と思うのは、
「やはり都合よく考えなければ、大人になれないからだと思っているからではないだろうか?」
と、感じているからなのかも知れない。
東京に出てきてからすぐというと、誰を見ても怪しいとしか覆えずに、そんな自分に嫌悪を感じているという矛盾を抱えていた。しかし、それは自分だけではなかった。多くの田舎から出てきた人たちはほとんどと言っていいほど抱えていて、さらにはずっと東京で育った人たちも、同じように、まわりが信じられない人が多かった。
ただ、元から東京にいた人は、そんなことで自己嫌悪に陥ったりはしない人が多いだろう。
「そんなことでいちいち自己嫌悪になんか陥っていたら、生きてなんか来れないわよ。それが東京というところなのよ」
と言っていた。
そんな東京に住んでいる人が田舎に対してほとんどの人は、
「いいわね。田舎は呑気だし、人情は厚いし」
という人がいる。
それを訊きながら、
――何を言っているの。田舎だって、閉鎖的でしがらみが大きいのは東京よりも激しいんだから――
と心の中で思っていたが、ある時友達が、
「私は田舎は嫌よ。一日だって暮らしていけないわ」
と言っていた。
その目を見ていると、とてもウソを言っているようには思えない。切羽詰まっているような感じではなかったが、その様子には、
「誰かに聞いてもらいたい」
という思いが詰まっているような気がしたのだ。
彼女は、結婚したいと思う相手と巡り会って、実に幸せそうな表情をしていたのだが、実はそれが結婚詐欺だということが分かり、それまでお表情が一変してしまった。聡美のスナックに来たのは、友達が、
「話を訊いてあげよう」
ということで連れてきた店だったのだが、その友達というのが、聡美が入るようになってからすぐに常連になってくれた人だったのだ。
「同じ時期にここで出会ったというのも、運命のようだわね」
と言って、よく話すようになり、店以外のプライベートでもたまに会うようになっていた。