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一周の意義

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 と思っているかも知れないが、その間に、まるでスーパーコンぴゅうーたー並みのスピードで、いろいろなことが考えられ、グルっと一周して、さおりという名前に落ち着いたのではないかと思うのだった。
 さおりというのは、妹の名前である。
 もし、何も考えずにパッと思いついたのであれば、後になって、
「どうして、この名前にしたのだろう?」
 と時間差で、一度は考えることになるはずだと思っていたが、あれから相当経つのに、その思いに至ることはなかった。
 確かに、家出をしてきて、家とは縁を切ったかのようになっているが、妹は妹だ。しかも、その妹に対して一切何もわだかまりもないし、恨みのようなものがあるわけでもない。
 むしろ、
「あんな分からず屋の母親の元に、一人残して、自分だけが逃げるようにして家出をしてきたんだ」
 という後ろめたさがあるために、この名前を大っぴらに使うのは、憚ろうと思うのではないか。
 そう感じているのに、どうしてあんなに悩むことなく、さおりという名前が出てきたというのか、それは、自分でも意識していない中で、必要以上の何かを妹に感じていて、それは高速回転で一周したことが分からないほどに速く考えたのだから、それこそ意識として残っている方が却って不自然というものだ。
 江上は、全体的に優しい人だった。先輩からあのような苛めに近い目に遭っていたからではないかと最初は思っていたが、あれは傍から見ていて苛めに見えるからであって、話をしてみると、本人もあのような仕打ちを受けることはまんざらでもないようだった。
 それなのに、優しく見えるというのは、本人の中で最初から備わっていたものだと言えるのだろうが、その優しさにどこか女性のようなあざとさがあることを、聡美は見て見ないふりをしていたような気がする。
 これはいわゆる、
「見て見ぬふり」
 ではなく、
「見て見ないふり」
 である。
「何が違うのか?」
 と聞かれるに違いないが、微妙な違いを普段は感じないが、ふとした時に感じると、それが自分の中重要なことだったと思うのだ。
 それはまるで重要な夢を見たにも関わらず、目が覚めるにしたがって忘れてしまうという夢のように思えて仕方がない。ちょっとした言葉の違いであっても、それぞれに使う場面が違って、ちゃんと存在している言葉があれば、決してどちらかに含まれていうはずのことではないのだった。
 この場合の、
「見て見ぬふり」
 というのは、目を逸らすことはなく、見なかったことにしようという思いなので、行動よりも気持ちが勝っていると言えるだろう。
 しかし、
「見て見ないふり」
 は、見ていないという行動が先で、そこに気持ちが伴っているということなので、どちらが強いか、どちらが勝っているかなどという次元の問題ではないのだ。
 ただ、江上に女性らしいところがあるのは、最初から分かっていた。そうでもなければ、先輩からのパワハラ、セクハラもどきの行動に苦笑いだけで済ませられるはずもないからだ。
「こんな気持悪い人は気にしないに限るわ」
 と思っていたはずなのに、コンビニで声を掛けられ、共鳴する話ができたことは、聡美にとっても衝撃であった。
――私のことを見ている人がいたなんて――
 という思いと、
――隠していた自分を見つけてもらえることがこれほど嬉しいなんて――
 という思いが交錯したのだ。
 本当は誰にも注目もされずに、一人でいる方が気は楽なのだ。
 小学生の頃、なるべく目立たないようにしていたわけでもなく、自然と目立たなかっただけなのに、クラスで何かの当番を決める時だけ、まず最初に名前が挙がるのが聡美だった。
「あの子は、最初から誰もが嫌がる仕事って決まっているのよ。そのために存在しているんだから」
 という辛辣な言葉を浴びせられていたが、聡美は小学生の頃、その辛辣な言い回しに、ショックはなかった。
――これが私なんだ――
 と、勝手に理解して、逃れられない運命を呪ってはいたが、それ以上に仕方がないと諦めていた。
 だから、自分が苛められたりする分には、別に違和感はなかったのだが、まわりで苛められている人を見ると、憤りが走るのだった。
 それは、苛めている人に対しての憤りではなく、苛められている人に対しての憤りであった。
「苛められるには苛められるだけの理由があるって、どうして思えないのかしら?」
 と思っていた。
 自分が苛められることに対して憤りを感じていないことを棚に上げてのことなのだが、自分はその人とは違うと思っていたのだ。
 これこそ、
「見て見ぬふり」
 と、
「見て見ないふり」
 という言葉の違いに近いものだと思っているが、それを自分の中で、
「裏表のある人間である」
 という思いを分かっていながら、否定しようとしているかどうかの違いではないだろうか。
 甘んじて受け入れる聡美と、何とか、なかったことにしたいと思う他のいじめられっ子の感覚の違いは、見えない分微妙に感じるが、実は月と地球の距離くらいに離れているものではないかと感じた。
「一周まわって、戻ってくるには、それだけの距離が必要なんだわ」
 というのが聡美の考え、裏表とは、そんな一周を見えない世界に抱えている人たちのことをいうのだと感じていた。

               社会の理不尽

 聡美は、すでに二十二歳になっていた。高校を卒業して都会に出てきて、最初は途方にくれていたが、コンビニのバイトと、スナックの仕事で何とかやりくりができるようになったのは、二十歳を過ぎてくらいからだろう。
 それを最初は、
「二十歳を過ぎてから、大人になったという気持ちが表に出てきて、自分の感情とまわりの目との間にギャップがなくなったからかも知れないわ」
 と思うようになっていた。
「さおりちゃん、これでやっとお酒が飲めるね」
 と言われて、自分ではあまり飲めないと思っていた聡美も、勧められて飲むうちに、少しずつ飲めるようになってきたのは、身体が酒に慣れてきたからだろうという当たり前のことを思っていたが、この発想が実は自分の中で重要な発想であると感じるようになるまでに、少し時間が掛かった。
 お酒が飲めるようになったおかげなのか、それまでなるべく関わりたくないと思っていた客に対しても、さほど意識をしなくても、普通に会話ができるようになっていた。
 今まで関わりたくないと思った理由は、
「あの人たちは、私のことをどうしても上から見ていて、子供としてしか思っていないんだわ。その基準があの人たちにとって、お酒が飲めるか飲めないかというだけなんじゃないのかしら?」
 と思っていたことだった。
 もし、そうであれば、何と浅はかな発想であろうか。そもそもお酒を飲めるようになるのが、二十歳という根拠、一体どこにあるというのか、法律上確かに二十歳未満は未成年だが、医学的に、生理学的に、二十歳という年齢が本当に大人と子供を分けることのできる唯一の年齢だと言えるのだろうか。
作品名:一周の意義 作家名:森本晃次