一周の意義
聡美から離れていく人もいるだろうが、それよりも、そんな聡美を利用してやろうと思っている人も多いようだ。
ひょっとすると、結婚を考えていた江上という男もそうだったのかも知れない。最初は軽い気持ちで、彼女という位置を彼女に与えたのだが、彼女が思ったより、まわりに感心を持っていないところが、彼女としてはちょうどいいと思ったのかも知れない。
そのうちに、聡美のことを本当に好きになり、結婚を考えるようになると、今度は、
「さあ、彼女の親が障害だったなんて」
ということになり、彼女に説得を任せることにした。
そのうちに時間が経ってしまい、次第に恋愛感情が冷めてくると、聡美はもう自分のものではなくなってしまっていた。
一周まわって、元のところに戻ってきた気がしたことで、聡美との時間が何だったのか、次第に苛立ちを覚えるようになった江上は、もう完全に気持ちが冷めてしまっていた。そして、
「聡美は結局、自分のことしか考えないという、そんな女だったんだ」
と江上に思わせてしまったのだろう。
だから、江上の方としても、絶対に自分が悪くないという自負があったので、別れを言い出しやすかったのかも知れない。もし、他の女性に対してでは、彼の性格から言って、簡単に相手に対して、別れを切り出すことなどできるはずもないからだった。
聡美は頭のいい女性であった。しかも、先読みのできる方だったので、相手に対して、その人が何を考えているのかということも分かっているつもりだったし、自分をどれほど相手に見せればいいのかということも分かっているつもりであった。
しかし、それだけに聡美は自分のまわりを甘く見ているところがあった。言ってみれば、舐めていると言ってもいいかも知れない。特に長い付き合いになればなるほど、聡美には相手のことがよく分かってくるのだが、相手も聡美のことを分かってくる。そこまでは分かっているつもりであったが、聡美としては、まわりの人が考えるほど、まわりの人は聡美のことを考えていないと思っていた。
それは、聡美とすれば、自分のことを冷静に見ていると思っていたからだったが、実際にはまわりを舐めているということになるのだろう。そのあたりが、聡美にとってネックになる部分で、頭の良さがアダとなった部分であろう、
頭の良さは、聡美としては自慢ではなかった。しかし、まわりの人から見ると、彼女の自意識が過剰なのではないかと思わせるのだった。
頭がいいのと、自意識が過剰などとでは若干感覚が違っている。自分で頭がいいと思っていると、自意識も過剰になってしまいがちなのだが、自意識が過剰というだけでは自分の頭の良さと結びつけて考える人はいないだろう。むしろ、自意識が過剰になってくると、頭の良さを否定する人も多いかも知れない。それを考えると、世の中には、自分よりも頭のいい人と、自分よりも劣る人がどれだけいるのかということを無意識に考えてしまう。それは、自分が世間的なレベルでどのあたりにいるのかということとは違った感覚である。同じような発想であっても、感覚が違っているのは、きっと、そこに自意識がどれだけ過剰なのかという無意識な意識が働いているのではないかと考えるのだった。
そんなことを考えていると、刑事が自分のことをどのような目で見ているのか、少し興味があった。
普段から、人に注目されることを一番嫌っていたと思っていたのだが、今回警察が自分に大いなる嫌疑をかけているのは分かっている。それをいかにオブラートに包んで話を訊き出そうとするのかに興味があった。
もっとも、それは自分が犯人ではなく、間違っても容疑者として逮捕されることなどありえないという考えの下でのことではある。
聡美は、刑事とは違った意味での推理を自分で組み立ててみたいと思っていた。もちろん、警察が手に入れた証拠や情報を、一般人、ましてや容疑者に教えるわけはないことくらい分かっている。もし教えるようなことがあるとすれば、それは、聡美に対して、揺さぶりをかけている証拠であろう。少しでも容疑者として深く疑っているという証拠にもなってくるのだ。
テレビドラマなどの刑事とは、実際には違っているのだろうが、そのあたりも見分けられれば面白と思っている。
「ところで、聡美さんは、結婚に対してどのように思われているんですか? いえね。結婚の説得のつもりで帰ってこられたんでしょう? そこで相手に言い方は悪いですが、置き去りにされてしまった形になったわけですから、自分が中途半端なところにとどまってしまったという感覚はあると思うんです。その位置から見て、聡美さんの目には結婚というものがどのように写っているのかということが私は気になってですね」
と、刑事は言った。
何とも不可思議な考え方をする刑事である。刑事というのは、誰もがこんな考え方をするものだろうか。
いや、皆が皆こんなおかしなところを切り口にして捜査をしていれば、同じ事件を解決するにしても、どれだけかかるか分かったものではない。この刑事もどこか、一周まわって、何かを探し当てるところが、特徴の人なのではないかと思った。
「私は結婚というものに対して、いろいろな考え方を持っていた気がしたんですが、何か一周まわって、元のところに戻ってきたような気がするんです。でも、その戻ってきた場所というのが、どうもよく分からないんですよ。以前、最初の出発点だったような気がするという感覚はあるんですが、それがどこであり、自分にとっての本当の出発点だったのかということすら分かっていないんですよ。だから、今刑事さんからその質問をされた時、私はドキッとしてしまったんですよね。本当に私は今、一体どこで彷徨っているんだろう? という感覚になったとでもいうんですかね」
と聡美は言った。
「なるほど、何となくですが私にもその気持ちは分かる気がします。結婚というものが、今のあなたと、亡くなったお母さんを結ぶ唯一の線だったと私は思ったので、こんな質問をしてみました」
ということだった。
この刑事の考えていることが少し分かってきた気がしたのだった。
その刑事の質問は、意外と短いものだった。それに対応したように、朝倉早苗の方の質問も終わったようだ。
「朝倉さんの事情聴取は終わりましたか?」
と聞かれた刑事は、
「はい、終わりました」
ということで、
「では、とりあえず、お二人に今のところお伺いするのはここまでになります」
ということだった。
二人は、キョトンとしていた、あまりにも話が早かったからであったが、あまりの物足りなさに、このままお互い何も話さないというのは、どうにも納得がいかなかった。
これは後で聞いた話だが、最近の警察は、その署独特の捜査方法が許されるようになったようだ。昔から、所轄同士で縄張り争いのようなものを行ってきた警察なのだから、
「それだったら、それぞれの所轄で、独自の捜査方法があってもいいんじゃないか?」
という県警の本部長の考えだった。