一周の意義
疑うことから始めて、疑うためには、疑うだけの根拠をまずは探す。そして、疑わしいことが少しでもあれば、そこに状況証拠であったり、その人の性格、環境などを絡めて考えて、
「その人がいかに犯罪を犯しやすい人なのか」
ということを探そうとするだろう。
これが一つの、容疑者から見た犯行への道筋というものであり、他の方法としては、まず容疑者を絞り込むことをせずに、捜査から見えてくるものを、あくまでも全体的に見つめていく。その中において、状況判断などから、容疑者を絞り込み、アリバイ調べなどを行って、容疑者を絞り込んでくる。そこから先は、同じやり方になるが、この場合は最初から、容疑者を絞り込んでいるので、ここまで来ると、捜査も大詰めと言ったところであろうか。
この事件がどのような捜査になるのか、聡美には興味があった。
何とも他人事のようであるが、聡美も十分に、自分が重要容疑者であることも分かっている。そういう意味では、警察の今後の自分に対しての態度は、追及が厳しくなっていくのは致し方のないことだと考えなければいけないだろう。
だが、それでも、聡美は他人事であった。
殺されたのが母親であり、自分の肉親なのに、なぜか悲しくはないのだ。
――あの人が死んで、本気で悲しむ人っているのだろうか?
と、聡美は考えた。
父親も、母親に対していつも遠慮がちで、仕事でも出張が多いことから、
「出張先で、気楽なものなのかも知れないな」
と思っていた。
妹にしても、母親に対して疑念を抱いているのだから、それも当然、しかし、なぜか妹は、父親に対して何ら感じていないようだった。
本来であれば、自分と母親の血がつながっていないということが本当であれば、両親ともに、責任が半々なのではないかと思うだろう。しかし、父親に対しては何も言わずに母親にだけ反発するというのは、ひょっとすると、妹が自と母親の血がつながっていないという根拠になるようなことを、母親が話したからではないだろうか。
妹は、母親と血がつながっていないことを、本当に悩んでいたのか? 血の繋がりのないことを嫌がっているわけではなく、むしろ安心しているのかも知れない。妹が悩んでいる内容を訊かされた時、姉として、最初に感じたのは、
「何て、羨ましいんだ」
ということであったからだ。
あの母親と血の繋がりがないということを一番望んでいるのは、誰であろう聡美ではなかったか。ただ悲しいかな、考えれば考えるほど、自分と母親は親子だとしか思えないふしがたくさんある。反発はしあっているのだが、それはお互いのことが分かりすぎるくらいに分かっているからであった。
聡美にとって、母親と血の繋がりがあるからこそ、
「彼との結婚の最大の障害になるのは、あの母親だ。あの人だったら、理屈関係なく反対するだろう。しかも、反対する理由が見つかるわけではない。わがままだと思わせるだけの露骨な反対をするに違いない。そうすれば、聡美が苛立って、徹底的に自分を嫌いになり、説得を考えないようになると思っていたような気がする。
母親には、
「自分に関係のないことであれば、親子であっても、他人のようなものだ」
というところがあった。
そもそも、血の繋がりなんて信用していない。田舎にいると、昔からの伝統のようなものなのか、血の繋がりを中心とした世間体が生まれてくる。それを犯されたくないという感情から、よそ者を受け付けないという閉鎖的な考えが生まれるのであろう。
母親も田舎の人間である。ただ、血の繋がりにだけは疑念を抱いているので、どこか歪な考えになり、それは田舎の人から見れば、都会的に見え、都会の人から見れば、田舎臭く見えることだろう。
それは、まるでコウモリ」のようではないか。
そういえば、昔からの話で、あれはイソップ童話の話だっただろうか、
「卑怯なコウモリ」
という話があった。
これは、鳥と獣が戦争をしていて、そこに一匹のコウモリが現れ、鳥に捕まると、
「自分は、羽が生えているから、鳥である。だから鳥の味方です」
といい、逆に獣に見つかると、
「私のこの身体は、すでに獣です。だから、獣の味方です」
と言って、どちらに対してもいい顔をして、逃げ回っていた。
そのうちに、戦争が終焉を迎えるようになり、鳥と獣が和解するようになると、コウモリは卑怯者として、鳥からも獣からも相手にされなくなり、結局、夜行性で、暗く湿った洞窟の中で暮らしていかなければいけなくなったというお話である。
聡美の母親も、田舎も嫌いであるが、都会も嫌いだった。
田舎に対しては、ずっと生まれてからずっと過ごしてきて、sの矛盾を考えるようになったのだが、どうしてまわりの人が、自分の見つけた矛盾に対して何も言わないのかが疑問だった。
誰も自分が感じたような疑念を抱かないのか、それとも疑念を抱いているが、どうせどうしようもないということで、誰も何も言わないのか、要するに、長いものには巻かれる感覚で、余計なことをせずに、やり過ごすという考え方である。
さらに都会に対しては、違った感覚を持っていた。田舎に対しての感覚と同じように、怖いという面を抱いているのだが、都会に対しては、話に聞くだけで、実際に自分が暮らしたことのない場所で、まったく知らない世界である。感覚としては、あの世と言われるところの、地獄のようなイメージがあるのだろうか。特に、考えれば考えるほど、どんどん大きく膨らんでくる都会というところへの妄想は、とどまるところを知らない。
自分の妄想癖が恐ろしいだけなのに、イメージが膨らんで、衰えることのない都会は、まるで母親にとっての仮想敵のようなもので、
「そんな都会に出るくらいなら、田舎で暮らしていた方がマシなのではないだろうか?」
という、消去法からなる、田舎暮らしなのではないだろうか。
それを思うと、田舎に疑念を抱きながらも、都会に出ていくことを選択しない聡美は他の田舎の連中からすれば、異様に見えたのかも知れない。
「なぜか、まわりの人は皆、中学時代から都会に憧れを持ち始め、ほとんどの人は、一度田舎から都会に出て行こうとする。一番多いタイミングとしては、高校を卒業してからというパターンが多いが、自分の娘であれば、そんなことを考えたりしないだろう」
と、母親は思っていたような気がする。
だから、聡美が自分から東京に行くと、高校卒業して言い出した時は、別に反対をするわけではなかった。
聡美とすれば、それなりに反対されたと思っているようだが、実際には、母親は反対をしていたわけではない、むしろ、聡美のことを初めて他人のように感じ、
「出ていきたいなら行くがいいさ」
と感じていたのではないだろうか。
それを思うと、聡美という娘も母親に対して、過敏に反応しているのかも知れない。ただ、それは母親に対してではなく、他の人誰に対しても、過敏に反応しているのだが、まわりから見ると、そんな感覚はなく、聡美というのは、
「結局、最後は自分のことしか考えていない」
という風にまわりから見られているのだった。