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一周の意義

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 聡美にとって、時として、寂しさと孤立は、反比例するものだった。普通の人は、孤立することで寂しさが生まれるのだが、聡美にとって、孤立は最初にありきであり、寂しさは、孤立が減算法で削れていく分から生まれるもののようだった。
 そういう意味で、元々寂しさと孤立は一緒になっているものであって。どちらかが分裂して、小さくなることで、片方が大きくなるという意味の反比例という考え方であった。
 だから、聡美に孤立は害ではなく、むしろ力になるものだった。一人になることで、まわりとのわだかまりがなくなっていき。正しい答えを導き出す環境を作ることのできるものだと思っていた。
 害というものが、孤立に含まれているとすれば。孤立することで、どんどん膨れ上がってくる自分というものを見つめなおす力が、一度違った道に入ってしまうと、なかなかそれを修復することが困難になってくることであった。
 さおりの友達はというと、完全に一人で孤独と戦っているようだった。
「そうだ、孤独というのは、戦う相手なんだ」
 と、いまさらながらに、聡美は感じた。
 聡美は、中学生の頃くらいまでは、
「孤独というものとは戦うものだ」
 と思っていた。
 それがいつの間にか、
「孤独が共存するものであり、自分の力になるものなのかも知れない」
 と感じるようになった。
 それが、孤立という形のものだと聡美は思うようになった。
「孤独と孤立」
 言葉は似ていて、下手をすれば使い方を間違ってしまいそうにも感じるものだが、聡美はその二つを進化系による名称の違いであり、まるで出世魚のようなものではないかと考えるようになっていた。
「孤独があっての、孤立」
 そう感じることで、孤立というのは、決して悪いことではないという発想に至る、そう思うことで、孤立することが単独の行動に正当性を与え、「ソロ○○」などという単独での趣味が流行っているのだろう。

 しかも、昨今の世の中の状況を鑑みれば、集団行動による伝染病の流行を促すことが、いかに世の中をマヒさせる蔓延となるかを、人類は身をもって経験しているはずである。中には一部の不心得者による蔓延を抑止できない行動をする輩もいたが、それらを除いてはほぼ、理解したことだろう。
 政府の無能さ、有事の際のマスゴミと呼ばれる連中の無責任で、信憑性のない、そしてまったくと言って無責任な報道が、世間を混乱せしめたのは、いかなる罪よりも重たいのではないかと思えた。
 何度となく繰り返された、
「自粛と解除」
 意味もなく時間だけが過ぎ去っていき、残ったものは、政府への不満と、マスゴミへの不信感であった。
 政府は、利権のためだけに動くほとんどの政治家に、まったくと言って、リーダーとしての機能のない首相。国家の緊急事態なのに、
「どうせ私は次の選挙までの間のつなぎの首相だ」
 と言わんばかりのやる気と責任感のなさ。
 あれが我が国の元首だと思うと、恥ずかしくて世界に顔向けできないと思うほどであった。
 責任の優先順位としては、まずは一部の不心得な国民が一番であろう。
 なんといっても、蔓延の原因は、あいつらにあるのだ。一番悪いのは、それを自覚していないこと、自分たちの勝手な行動が、死ななくてもいい命を奪い、経済をめちゃくちゃにしたことで、自殺者も増えたりした。
 夜の公園でマスクを外して酒盛りをしている連中のすぐ横で、心筋梗塞であったり、交通事故などに遭い、救急搬送を必要とする患者を乗せた救急車が、どこの病院もいっぱいのため、そのまま救急車の中でどんどん死んでいくという地獄絵図を描いていることを全く知らずに、当然、罪の意識もない。それこそそんな連中は、
「地獄に堕ちろ」
 と、誰もが思っているだろうが、それでも口にしないだけのことである。
 もっとも、口にしないから、分からないのであろうが、ただ、あの連中には口で何を言っても分からないだろう。自分たちが死にそうな目に遭って、救急車の中で死んでいくという立場にならなければ分かるはずはない。これが、人間というものの、最悪の一面だと言ってもいいだろう。
 さて、優先順位の第二位は、マスゴミではないだろうか。本当は、マスコミというらしいのだが、私はやつらをマスコミとは認めない。マスコミというのは、正しい情報を、信念をもって伝え、ペンの力によって、正義を貫くものが、真のマスコミと言えるのではないだろうか。
 それができずに、記事が売れさえすればいいということで、信憑性があろうがなかろうが、書いた記事によって、その相手がどのようになろうが、やつらには関係ない。それこそ、血が通った記事を書くことができないという、ジャーナリズムの欠片もない連中の多くが、世界を混乱させるのだ。
 マスメディアの影響がどれほど強いものかということは、当然会社に入って自分で経験していれば分かりそうなものだが、上司のやり方によるものなのか、ジャーナリストとしてのプライドのない連中に限って、事の重大性が分からないのだ。これは、一番の戦犯である不心得な国民と同じである。やつらが直接的な責任だとすれば、マスゴミは、そんな国民を先導し、マインドコントロールを仕掛けるという大きな罪がある。そもそも戦犯の優先順位ということ自体、おかしいのかも知れないが、考えれば考えるほど、彼らの罪の深さに苛立ちを覚えるしかないのだった。
 では、三番目の悪の根源とはなにか?
 これは当然のことながら、政府であろう。
 世の中を実際に動かしているのは、直接的には国民だが、その国民を抑えるのは政府の仕事、ここでいう政府というのは、政治家すべてを含んだものであり、行政の長としての政府だけを意味するものではない。広義の意味での話であってここには国会議員も含まれるし、地方自治の知事や市町なども含まれる。
 やつらは、国民に安心安全を与えると言っておきながら、様々なお粗末で、後手後手にまわる政策しか行わず、社会を混乱させ、実際に、死ななくてもいい命が奪われたり、経済をマヒさせて、自殺者を増やす結果になった責任は大きい。
 もちろん、未曽有の大惨事に立ち向かうのだから、これほムスカしいということはないだろう。
 いつぞやの首相が言っていたではないか。
「政治家は結果がすべてである」
 まさにその通りだ。
 この言葉が本当であれば、一年も経ってから、政治家は総入れ替えになっていなければならないはずなのに、首相が病気を理由に病院に逃げ込んだくらいで、後は、適当にシャッフルしたくらいではないか、誰か責任を取った人っているのだろうか?
 さらに、国家的大プロジェクトが控えていることもあって、どうしてもそれを実施したいという思惑があるため、国民の命など関係ないとでも言わんばかりの政策に国民は苛立ってしまっている。
「政治家は利権に塗れ、自己保身に必死なんだ」
 と、これもマスゴミによる扇動が大きいのか、ほとんどの人が思ったことだろう。
 しかも、出してくる政策はすべてが後手後手に回ってしまい、
「いまさらそんなことをやっても」
 と誰もが思っていることを、平気でしようとする。
作品名:一周の意義 作家名:森本晃次