一周の意義
半永久的に続くものなど存在しないし、限られた場所に人が密集しているので、自分一人が占有できる場所はわずかしかない。それも、人との共有を半強制的にさせられて、占有などという言葉が存在しないのが、東京というところではないかと思わせた。
力がないと生きていけないのも東京というところである。力がないのであれば、力のある人間にくっつくしかない。まるで寄生虫のような生活だ。
そんな生活に思いを馳せて、自分は田舎から出てきたのだろうか?
そんなバカなはずはない。希望に胸を膨らませてきたはずなのだが、何が恐ろしいと言って、いつの間にか、希望というものが、何であったか。胸を躍らせるとはどういう感覚なのかということを、すっかり忘れてしまっているのだ。
言葉だけ覚えていて中身はない。すべてを消滅させてくれるのであればいいのだが、肝心な部分だけが欠落しているというおかしな感覚を与えてくれたのも、東京というところであった。
「東京には、空がないという人がいたが、ないのは空だけではない。何が怖いと言って、何がないのか、それが分からないことが恐ろしいのだ」
と言えるのではないだろうか。
聡美はそんな東京に、本当に帰りたいと思っているのだろうか?
そんなある日、妹の友達が、いもう戸を訊ねて遊びに来た。
ちょうど母親もいなくて、家にいるのは、自分だけだった。時間的には昼の十二時頃だったようで、母親がスーパーに買い物に行く時間とも一致していた。妹の友達は週に二回くらいは妹のところにやってきて、勉強をしているという。
「中学三年生の時にちょうど引っ越してきて、仲良くなったんだけど、彼女の母親とうちのお母さんも仲良くなったようで、よく母親同士でも、いろいろ一緒に出掛けたりすているということだった。
家に来ることもたまにあったが、さすがに田舎の旧家には、敷居が高いので、しょっちゅうは来ないようだ。それに比べて娘の方は、そんなことにはおかまいなしに、よく遊びにやってきていた。
聡美の家は、結構な土地持ちで、敷地面積は千坪を超えているようで、詳しくは知らないが、家屋に納屋、さらに庭の広さはハンパではない。最近では旧家の方が老朽化してきたこともあり、母屋とは別に新たな建物を作って、そっちに拠点を移そうとして、新旧二つの家が連建しているが、それでも庭は十分にあり、家の広さが際立っていた。
さらに近くには、農地も持っていて、以前は近所の人に土地を貸して、農業を営んでいたということもあった。今では近所の人は都会に引っ越していったので、土地は売って、その場所はスーパーになるということだった。
納屋の方も、少し老朽化していたが、聡美が家にいた頃までは、前述の農地を貸していた分で、摂れた農作物を格納するのに使っていたようだが、今は補強を施し、妹の勉強部屋に改造し、うまく使っていた。
それでも余った部分は、駐車場に改造し、納屋もそれなりに使用価値はあった。
だから、妹が家にいる時は、母屋の時もあれば、納屋にいることもある。どちらが長いかというと、何とも言えないほどではないだろうか。
その日、妹の友達が訪ねてきた時、
「さおりさんはいますか?」
と、いつものように母屋に訪ねてきた。
しかし、母屋で聡美が声をかけてみたが、いないようだったので、彼女はいつものように、
「じゃあ、納屋の方かも知れないですね。私行ってみますね」
といつものように、納屋に向かった。
表から見る分にはただの納屋だが、中はかなり改造が施されていて、数人が十分に暮らせるくらいであった、結構広い勉強部屋だけではなく、リビングや、ダイニングキッチンも揃っていて、たまにイベントがあった時など、納屋を使って、パーティを催すこともあったくらいだ。
実は、父がこのような改装癖があるようで、祖父が生きている頃はなかなかできなかったが、祖父が死んでから、父がこの家の世帯主になってからは、結構、家の改装に没頭することが多かった。
「元々、お父さんは、学生時代には建築業に興味があったんだよ」
と言っていて、自分で図面を書けるくらいだった。
工事の発注にも、最初から口を出すことが多く。まるで、現場監督になったかのような格好が実に様になっていた。
今は他の仕事が忙しくなったので、現場監督の恰好までは見ることができなくなっていたが、この家は、ところどころに奇抜な改装が施されているが、それは父親の意向がかなり影響しているのだった。
奇抜ではあるが、しっかりとした機能性も充実していて、それが、一度は建設業を志したというだけの父の建設家としての冥利に尽きるところであった。
納屋の表はそのままの佇まいを残しておいて、内装は近代的な形にしているところなど、プロの建築家を唸らせるだけのものであった。
元々、聡美とは仲がいいわけではないが、喧嘩をするほどのものでもない。母親があまりにも聡美に構いすぎているところがあるので、父親は口出しできなかったというのが本音だったようで、母親と喧嘩をして一人になった時など、たまに声をかけてくれて、話をすることもあったが、父の自由奔放な性格に羨ましさを感じるくらいであったが、そんな時、
「やっぱり、親子なんだな。私のこの性格は、父親からの遺伝に違いない」
と感じていたのだった。
自由奔放で話をすれば、そのほとんどを分かってくれる父と、世間体を気にしたり、まるで自分が家を守っているかのような、どこか無理を感じさせる母とでは、聡美の感じ方は真逆であった。いまさらながら、そんな母親を説得しようと、のこのこと帰ってきたのは、江上との結婚を夢見たからだったのだが、まさか、その江上が結婚を諦めるなどと言い始めるとは、思ってもいなかった。
「裏切られた」
と感じるのも、当然のことではないだろうか。
江上が別れを告げてきてから、さすがに狼狽した聡美は、彼に逢いに行ったが、けんもほろろに相手にされず、追い返された。その時の顔を忘れることはできないが、
「人間というのは、こんなにも恐ろしい顔になれるのか?」
と思ったのは、それまでの彼が優しさに満ち溢れていた顔をしていたからだ。
いや、そう思い込んでいたというだけのことであって、本当は彼に優しさがあったわけではなく、彼の方も無理をしていたのかも知れない。それは、冷静になって考えると、自分も無理をしていたのではないかと思ったからであって、お互いにすれ違っていることに気づかなかったのは、きっとお互いが無理をしていたからであろう。
そう思うと、燃え上がるのが一緒であれば、冷めるとしても、同じタイミングだという考えは、思い込みにしか過ぎない。
そんな思い込みに気づいてからのことなのか、最初に冷めた方も、まだ冷めていないのに、一方的に冷められてしまった方も、お互いに傷つくことは分かっている。
しかし、最初に冷めた方とすれば、ここで情に流されてしまっては、お互いに絶望的に傷つくまで、つまりは行きつくところまで行きついてしまうと思ってしまうことだろう。
冷められた方は、訳も分からずに追いかけてしまうが、その惨めな様子を見た最初に冷めた方は、
「やはり、別れを切り出して正解だった」
と思うのだ。