一周の意義
だから、前のめりで、挑戦的な聡美に対して、まわりの人は、最初から余裕のある体勢でいたのだ。だからこそ、聡美が家にいても、ギクシャクした感じにはならず、聡美も居心地が悪かったわけではない。実にうまくいっていたと言ってもいいのだろうが、
「これが家族というものだ」
と言っていいものかどうか、そこまでは誰にも分からなかった。
それでも、最初の数か月を、実に無難に過ごせたことで、聡美は次第に冷静になってくると、自分の家に帰ってきたということを、その時になってやっと実感したようだ、
それは、数年間のギャップを埋めるものであり、聡美の中では、家を出て行った時の翌日くらいの感覚になってしまったのだ。
もちろん、彼との結婚を夢見るという気持ちに変わりはないが。そのことと、自分自身の感覚とは別のところにあるのだと思うと、実際のところ、矛盾した考えを抱いているのだと、自分でも感じた聡美だった。
妹に対しての感覚も、自分が出て行った時は、まだ中学生になったばかりくらいだったと思っていたが、思春期をそのまま見ていなかったのであるから、この数年間で一番変わったのが誰かといえば、妹であることは歴然とした事実であった。
ただ、それは肉体的な面とビジュアルの面でだけであって、実際に精神的なものがどれほど変わったのか、もっといえば、表面的なものと同等に変わっているのかどうかが気になるところだった。
聡美の気持ちとしては。
「そこまで変わっていてほしくない」
という思いがあり、その思いがどこから出てきているのかということを、自分で分かっているわけではなかった。
ただ同い年の感覚であることから、そんな風に感じたのだろうという思いだったのだ。
さおりと話をするようになってから、さおりが何かに悩んでいることが何となく分かってきた。強引に聞き出そうとしても、頑なになるだけだというのがさおりの性格だということが分かっているので、一気に話を訊くことはできなかった。
そのため、少しずつ時間を摂るようにして気を遣うのだったが、さおりが悩んでいることをどうして姉の自分に言えないのかということがおぼろげながら、分かってきた、それは外枠が分かってきたという感覚で、内容は分からないが、何に対しての悩み伽賀分かってきたという意味である。
どうしてそれを姉である自分に知られたくないかというと、その悩みの相手が母親だったからである。
ただ、その悩みというのが、自分のような悩みとは違っていることは同じような悩みだったら、その内容が次第に分かってくるからであった。
そのうちに、さおりの方から、
「お姉ちゃん、相談があるんだけど」
と言ってきた。
小学生の頃はよく相談してくれたさおりだったので、その頃のさおりが戻ってきたかのように錯覚に襲われた聡美だった。
「どうしたんだい?」
と、まるで初めて気づいた様子で聴くと、さおりもその態度を意識することもなく、
「実は、お母さんのことなんだけど」
と、いかにも深刻そうな顔で話しかけてくる。
その様子を見て、自分が感じていた妹の悩みは、実は自分の想像以上なのではないかと思った。その表情には今まで言いたかったのだが、何度も思いとどまった後が見受けられ、もし涙を流したのであれば、その涙の痕まで見えてくるのではないかと感じるほどだったのだ。
妹は続けた。
「実は、私、お母さんの本当の娘じゃないんじゃないかって思うようになってきたの。お姉ちゃんはどう思う?」
というではないか。
この悩みはさすがに想定外だった。
母親とのやりとりや会話の中での悩みだと思っていたので、まさか、その外にある環境的なことであるとは思ってもいなかったので、その疑惑を訊いた時、
――聞かなければよかった――
とさえ思えたほどだった。「一体、ど、どういう根拠でそんな疑念が浮かんできたの?」
と訊ねると、
「お姉ちゃんが東京に行ってからのことなんだけど、私が中学の頃、遠足に行った時のことなんだけど、その数日前に、そのあたりをゲリラ雷雨のようなものが襲ったらしいの、学校側は、ちょっと危ないカモ? っていうことで検討したらしいんだけど、危険はないという判断がなされて、予定通りに遠足にいくことになったのね。その時、現地でミニキャンプのようなことができる湖畔があるので、そこでミニキャンプをすることになったの。そこで、野外勉強も兼ねて、アウトドアの基礎的な体験をするようなことになっていて、みんなで松ぼっくりを探そうということになったのよね。お姉ちゃんは知っているかどうか分からないんだけど、松ぼっくりって、いわゆる天然の着火剤のようなものらしいのよ。それで、できるだけたくさんの松ぼっくりを探すということで班に分かれて捜索を行っていたんだけど、そこで、私たちの班は、一生懸命になりすぎて、立入禁止区間にまで入り込んでしまって、ちょうどそこが急な崖のようになっていて、檻からの豪雨で、山肌が緩くなっていたのね。そのために、私は崖を転げ落ちることになったのよ。その時、ちょうど落ちたところに枝の切れ端のようなものがあって、そこで腕を抉ってしまったの。それで急いで救急車で運ばれたんだけど、親にも大至急連絡が行って、お母さんが飛んできてくれたというの。ちょうど、私が簡易手術を行うということで、輸血が必要だったんだけど、その時、私は駆けつけてくれたお母さんが輸血してくれたと思い込んでいたんだけど、その時のことをこの間の同窓会で話題になって、誰かクラスメイトがその時を振り返って、輸血してくれたのがお母さんではないと口を滑らせたのね。皆一瞬、固まってしまったようだったけど、すぐに何事もなかったかのように話し始めたので、皆事なきを得たと安心したようだったんだけど、私はその時から、疑心暗鬼に襲われるようになったのよ」
とさおりは言った。
「皆、顔色が変わったというのね? ということは、当時緘口令が敷かれていたことは確かなようね。でも、今回は飲み会の席だし、もうあれからかなり時間が経っているので、時効だと思ったのか、それとも酒の勢いで、口を滑らせたのかだね。ところで、その口を滑らせたその子の様子は?」
と訊かれて、さおりは、
「別に何事もなかったかのように話していたわ」
と答えた。
「じゃあ、その子が無神経だったということなのか、それとも、勘違いしていたということなのか、それでは分からないわね。どちらとも取れる気がするわね」
と、聡美は言った。
「そうなのよ。だから、私も次第に気になってきてね。もしあの同窓会の時の、まわりが固まってしまったかのような状況さえ見なかったら、意識することもなかっただろうに、それを思うと、まわりも余計なことをしてくれたと思ったわ」
と言って苦笑いをしていたが、それはすでに引きつった笑いと言ってもよかったであろう。
「お姉ちゃんはどう思う? もし私がお母さんの本当の娘ではないとすれば、お姉ちゃんとも血がつながっていないということになるのよ。実は私が嫌なのはお母さんが誰なのかということよりも、お姉ちゃんと血がつながっていないということの方が何倍もショックなのよ」
とさおりは言った。