一周の意義
逢ってしまって、最悪のシナリオを描いてしまうのが怖かったからで、そのためには自分がいかに、最悪の結果に対して覚悟ができているかということが分かってからでないと、会いに行く勇気はなかった。もしもうダメであっても、その現実に耐えられるだけの自分を作っていなければ無理なことであり、その状態を作り出すには、自分をどれだけ納得させられる人間になっているかということが重要であった。
自分を納得させられさえすれば、少々のショックなことに耐えられる。ただ、そんな自分になるにはどこまで耐えられるかということが重要であった。
聡美はだから、家から離れることをせずに、最初は何とか連絡が取れるようにとメールを送り続けていたが、次第にそれもなくなり、自分では膠着状態に持っていくことで、彼の気持ちが少しでも変わってくれたらと思ったのだ。
それが何を意味しているのか、現実には分からなかったが、そう考えているうちに、次第に、聡美の中で、彼に対しての気持ちが冷めてきているようだったのだが、さすがにそこまでは気付いていないようだった。
聡美が彼を連れて家にやってきてから、彼からの別れを告げるかのようなメールを受け取るまでの期間、最初こそ、自分中心の考えで凝り固まっていた聡美だった。
見えているのは、自分と彼との将来だけで、そのための障害をなくすためだけに、ここにとどまっているという感覚で、妹のさおりのことなど眼中にはなかった。
さおりの方としても、姉の性格は分かっているつもりだったので、彼しか見えていない状態での姉の姿を見ていると、
「どうせ、あの人は私なんか見ているわけはないんだ。ただ、一緒の家に暮らしている同居人というだけで、家を出ていく前の姉ではないんだ」
と思っていたようである。
さおりは、年齢的に十八歳になっていた。高校を昨年卒業したてで、今は地元の短大に通いながら、アルバイトをしていたりしていた。
彼氏はいるようだったが、母親にも姉にも話をしていない。特に姉には知られたくないと思っていた。
ただ、さすがにさおりも姉がずっと自分に対して、無視を決め込むことのできるタイプではないと分かっているので、そのうちに話しかけてくれるであろうことは分かっていた。
その期間がどれくらいなのか分からなかったが、元々高校を卒業してから、家を出ていく前の姉というのは、妹から見ていて、
「決して嫌いな性格ではない」
と思っていた。
実際に、妹から見て、結構似たところがあり、共通点も多かった気がしたが。だからと言って、お互いの距離は必ず保っていて、近づきすぎず離れすぎない距離というものをお互いに分かっていたような気がした。
その距離感にほとんど差がなかったことが、一緒に住んでいる頃に、お互いを嫌いになることのなかった理由だと思っている。
だから、妹が姉を、姉が妹のことを嫌いだと感じることはなかった。会話が多かったわけではないが、それはお互いに相手の性格を考慮しているからで、お互いにあまり会話が好きな方ではなかったことが一番の理由だった。
だが、二人が会話が嫌いだったという理由はそれぞれに違っていて、そのことを分かっていたのは姉の方で、妹はその時、まだよく分かっていなかった。今では分かるようになったが、それが、ある程度の年齢になれば分かってくることなのか、それとも、孤独を感じた人間でないと分かることができないものなのかのどちらかではないかと思っているのは妹の方である。
「私は、お姉さんの後を追いかけているという意識はあるんだけど、いつも同じ距離で後ろから追いかけていると思っているのに、時々近づきすぎることがあったと思っていたのよね。でも、そんな時、姉は決して後ろから自分が追いかけてきているなどと思っていなかったような気がする。それが姉の本当の性格だったのかも知れない」
と感じた。
つまり、一緒に住んでいる時も、姉は後ろを決して見ることはなかった。それは妹が後ろから追いかけてきているということを分かってのことなのかは分からないが、今思うこととして、
「後ろを振り返ることが怖い:
と、思っていたのではないだろうか。
それをさおりは考えていた。だが、今では前を歩いているのは、自分であり、姉が後ろにいるという意識はある。自分が姉と接していない時期だけ先に進んでしまって、いつの間にか、ここからいなくなってしまった時の姉の位置まで戻ってしまっているからだった。
だが、それはさおりの勘違いであり、聡美は前を歩いていたはずなのに、この街に帰ってきたその時、一気に後ろに下がってしまったというだけのことだった。
自分でもその状況が見えていたはずなのだが、姉が帰ってきたその時に、自分の中で意識が一瞬消えてしまい、瞬間的な記憶喪失に陥っていたのではないかと感じるのだった。
そんな妹と初めて話をしたのは、聡美が帰ってきてから三か月が経った頃だっただろうか。聡美の方も何とか自分が田舎で暮らしていた時期のことを思い出してきたようだ。ただ、昔のことを思い出すということは、聡美が感じている感覚を少し歪めなければいけない感覚に陥っていたのだ。
その一つが、時系列と自分の感覚の問題だった。
時系列というのは、
「昨日よりも今日、今日よりも明日」
という感覚で、毎日毎日が少なからず積み重ねられているという感覚である。
逆に聡美の中では、そんな時系列への感覚がなくなってしまったら、その時点で次第に感覚の老化が始まってしまったということであって、過去のことを振り返ることが多く鳴ったり、今日一日何事もなく、平穏無事に過ごせればいいというだけの毎日になってしまうと思っている。
それでも、老化が始まるまでにどれほど、自分が先に進んでいるかということが大切なのだろうと思っていた。少なくとも、まだ結婚もしていない状態なので、まだまだ人生は長いと思っている。家を出てから数年が経っているが、自分としては、まだそこまで経っていないように思えたのは、家に帰ってきて感じたことだった。
「もう、二度とこの家の敷居をまたぐことなどありえない」
と思っていた聡美にとって、この家の敷居をまたぐということは、あってはならないことだったはずだ。
それをいくら結婚のためとはいえ、アッサリと破ってしまった禁を聡美はどう考えているのか、
「それまで禁というのは破ってはいけないものであり、それまでいくつかあった禁も、一つを破ることで、そのすべての存在価値がまったく消えてなくなってしまうのではないか」
と考えるようになっていたのだった。
家に帰ってきて、最初の数か月は、懐かしさというよりも、初めてきた場所だと思うことにしていた。
「懐かしいなんて思ったら、自分の負けだ」
と考えていたのである。
つまりは、最初の数か月の聡美は、勝ち負けがすべての感情に優先していて、完全に臨戦態勢だった。
そんな人に対して、まわりの人は冷静だった。相手が必要以上に前のめりでくると、まわりの人は完全に引いてしまう。それは意識してのことではなく、無意識の行動であり、引いてしまった自分を落ち着いている状態だという意識だけはあったのだ。