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一周の意義

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 何かの禍が自分に襲い掛かってきた時、どうすれば一番いいのかということに、正解などない、しいていえば、最初に考えたことが効果を生めば、それが正解であることになるし、何度もいろいろやってみて、やっと見つかったことであれば、一番なのかどうかは分からないが、正解の一つなのだろうと考える。
 正解が一つなのか、一つでないのかということを考えた時、自分の中でどのような結論付けをするかによって変わるのだと、聡美は考えた。
 だが、この考えが自分だけのものなのか、他の人も同じ考えなのかまでは分からなかったが、少なくともここまで考えることができるのは自分だけではないかと思っていた。
 その理由は、
「自分がいじめられっ子だから」
 であった。
 いじめられっ子だからこそ、考えてしまう。苛める方は苛める方で、
「なぜ、自分がその人を苛めなければいけないのか」
 ということを考えているだろうと思っている。
 苛める方にだって、苛めるだけの理由がなければ、ただの悪者となってしまうからだ。
「ただ、ムカつくから苛めている」
 ということであっても、それは立派な理由になるだろう。
 もちろん、苛められている方とすれば、溜まったものではないのだが……。
 しかし、苛めている方としても、自分で納得できるものでなければ、これほど後味の悪いものではないはずだからである。
 苛められている方は、
「どうして、苛めるの?」
 と聞きたいのは当たり前のことで、苛めの理由がハッキリとしないと、ただの悪者だということは分かっている。
 だから、苛めている自分に理由がなければいけないのだった。
 なぜ、苛める自分に理由を求めるのかというのには、もう一つ理由がある。それは、
「苛めという行為が行われる中で、一番悪いのは苛めている自分たちではない」
 という思いがあるからではないだろうか。
 これは、苛めがなくなって苛めをしていた人との話の中で出てきたことだった。ちなみに今では自分を苛めていた人が唯一小学生の頃から今でも友達であった。この事実が、一番自分が悪いわけではないという理屈の答えに近づいているのであった、
 そう、苛めというのは、苛めを行う加害者と、苛めを受ける被害者だけで成り立っているものではない。その他すべての第三者である傍観者が一番の罪作りだということである。そういえば、法律関係の中で、よく、
「第三者」
 という言葉が出てくるが、法律ではそれだけでは成立しない。なぜなら、
「善意の第三者」
 という、頭に「善意の」という言葉がついてくる。
 つまり、ただの第三者というのは、善意の人とは違う、極悪人としての認識が、苛めに関しては位置づけられていると考えてもいいのではないか。言い方を変えると、
「第三者がいなければ、苛めなんて、この世に存在しないのかも知れない」
 ということである。
 極論であるが、
「第三者というのは、苛めている人よりもたちが悪い。なぜなら、自分で手を下しているわけでもないくせに、人に苛めをさせて、高みの見物をすることで、自分のストレス発散につなげている」
 と言っても過言ではないだろう。
 それは学校の先生にも言えることで、苛められる方も、苛める方も、最初の数回だけが苛めとして成立していて、そこから以降は世間の目に操られているだけだと思っているのではないだろうか。
 そんな状態の中、せっかく彼が満足してくれるような結果にめどが立ってきたと思った矢先のこと、彼となかなか連絡が取れなくなり、挙句、
「もう、これ以上待つことはできない」
 という主旨の内容のメールが届き、結局彼からの連絡も途絶えてしまった。
 聡美としては、彼に裏切られたという感覚が生まれ、足元がパカっと割れてしまい、奈落の底に叩き落された気がしたのであった……。

              死体発見

 一体何がどうなってしまったのか、彼のいきなりの別れの切り出し。聡美としては、
せっかく上った梯子を外されたため、屋上に取り残されたという感覚になってしまったに違いない。
 そこには誰も助けにくる人はいない。むしろ、そんなところに人がいるなどということを誰が想像するというのか、そこに人がいるということは、その人にとっての自殺行為であり、誰もするはずのない行動を、敢えて自分からした人でなければ、その場所にいるわけはないということで、これが自分ではなく他人がその場所にいたとすれば、聡美は皆と同じように、
「そんなところにいるのが悪いのよ。自業自得だわ」
 と思ったことだろう。
 だったら、どうしてそんな場所に上ったのか。やはり、自分がもっとも苦手とする母親を説得しなければいけないということで、かなり自分の気持ちを捻じ曲げなければいけないという感情を持ったのは間違いない。そのために母親に対してというだけではなく、まわりの人間にも気を遣ってしまうというこれまでの聡美からは考えられないほど変わってしまわなければいけないだろう。
 だが、実際にはまわりから見ていて、聡美がそれほど変わったという感じに見受けられることはなかった。
 その一番の要因は、聡美自身がいい方に変われていると思っていたことが、まわりには、あまりいい方に変わっているようには映っていなかった。
 なぜなら、聡美の目的が最初からまわりに対しての性格を変えていたわけではなく、あくまでもターゲットは母親であり、母親に対して変えていくうちに、その連鎖反応のようなものとしての副産物が、まわりへの変化だったのだが、それは決していいことではなかったのだろう。
 だから、まわりは忖度し、まわりは悪い方にばかりに映る彼女を、
「本当に全部を受け入れてしまうと、性格が崩壊しているようにしか見えない」
 ということでの苦肉の策として、最低限の低下しか見ないことにしたからなのだろう。
 ただ、聡美はそんなこととは思ってもいないので、
「どうして、私の思いが通じないのか?」
 と、まわりに対して自分を見ている態度が想像していたこととあまりにも差があることで、信じられない気持ちになっている。
 そのため、まわりに対して、憎しみに近い目を向けているのだが、そんな視線だけはまわりに性格に伝わるもので、まわりからすれば、
「これでも贔屓目に見てあげているのに、それを仇で返すとはどういうことなのかしら?」
 と、誰も聡美の味方をする人などいるはずもないほどに、孤立してしまった。
 完全な自業自得である。
 自分の見積もりの甘さと、勘違いしていることにまったく気づいていないことで、せっかくまわりが贔屓目に見てくれていたのに、それすら分かろうともせず、自分で敵を作り出すという最悪のストーリーを、自分で勝手に作ってしまっていたのだ。
 もちろん、最初はアリの巣の穴ほどの小さなものだったに違いないのに、どこがこんな状態として作り出したというのか。聡美は自業自得であるなどということを、これっぽっちも感じていないことだろう。
 少しでも、自業自得だと分かっていれば救いはあったかも知れないが致命的な距離を作ってしまったことで、四面楚歌を迎えてしまったのは、決定的なことだった。
 だが、実際に彼に逢いに行くことはしなかった。
作品名:一周の意義 作家名:森本晃次