一周の意義
そうなるのが分かってしまうと、そんな男への気持ち悪さを拭い去るどころか、考えれば考えるほど、泥沼に入り込んでしまうのであった。
だから、彼を誰ももうまともに見ようとはしない。会社ではイケメンとして通っているのだろうが、
「会社の女性たちは、もう僕を男だとは見てくれていない」
と言っていた。
「それが昔から嫌だったけど、一人でも自分を男性として見てくれる人がいれば、これほど安心感が与えられるのかということを分かった気がする。その思いがあれば、僕は男に戻ることができる。いや、却って君のように強い視線で僕を見ている人が一人の方が、より視線を強く感じられるのかも知れない」
と、江上は話を続けたのだ。
そんな江上が、自分を励ましてくれている。母親との平行線を改めて感じた聡美は。心が折れかけていた。
「高校の時はそんな母親が嫌で嫌でたまらないから、逃げ出したんじゃないか。またもう一度親子関係を取り戻そうとして、結婚という目標があるだけに、きっかけとしてせっかく、取り戻せる機会を得ることができたのだから、このタイミングに、何かの意味があるのではないか」
と思ったのだ。
彼が東京に帰り、自分一人で親を説得しなければならないと思った時、そのパフォーマンスを使うしかない。相手に、自分が改心したとでも思わせるだけの行動を示すしかないのだろう。
そういう意味では、一人暮らしをしてきたことは役に立った気がする。一人で家にいては分からなかったことでも、一人で暮らしていると自然と身につくこともあれば、自分なりに調べてできるようになることもあるのだ。
そのあたりは母親も認めてくれているようだ。
「聡美は、一人暮らしをしただけのことはあるようね」
と、素直に褒めてはくれないが、これだけの言葉でも、今までのように一緒に過ごしてきた間に感じたことのない思いができるというものだった。
もっとも、一緒に暮らしている時にも同じような感情を抱かせてくれるような言動はあったのかも知れないが、それはまだ自分が子供だったからなのか、一人暮らしをすることで自然と身についたことなのか、自分でも成長を自覚してもいいのだと思うようになっていた。
だが、あくまでも、それは親が子供に感じる普通の感情で、まだまだハードルが高いのは分かっていた。これくらいのことで、母親が納得してくれるなど、思ってもいない。
だが、これ以上、何をすればいいというの、家事手伝いはもちろんのこと、近所づきあいにも積極的に参加するようになった。
いくら、結婚という目標のためだけに行っているパフォーマンスだとしても、人と付き合うのが思ったよりも楽しいということに、いまさらながら思わされた。
特に、田舎の方は都会に比べて閉鎖的だという意識があるからか、比較的近所づきあいの上手な母親の娘だという意識が分かりにあるとしても、ずっと付き合っていれば、メッキであれば、剥がれる運命にあると言ってもいいだろう。
しかし、実際にメッキが剥がれるということはなかった。ある程度までくれば、それまで半信半疑に見えたまわりが、次第に気持ちを瓦解させてくれているような気がしていた。たくさんの人がいて、少しずつ瓦解していくのだが、皆が心を開いてくれる瞬間は、それほど差があったわけではない。
申し合わせているわけではないだろうに、判で押したように同じ時期だったのは、それだけ、田舎の人の感性は似ているということなのか、その基準が低いのか高いのかは分からないが、同じ時期だというだけで、すごいと思う聡美であった。
もし、それまでの半信半疑の間にこちらが挫折してしまっていれば、二度とまわりの人と心を通わせることなどできないような気がする。
心を通わせるということは、ここでも、結界が存在し、その壁をぶち破れるか破れないかが問題になるのだ。
ほとんどの場合、その結界を見ることなく、途中で挫折というのがパターンなのだろうが、結界の存在に気づいた時点で、ここまで来たという自信が自分には漲っている。そうなると、結界をぶち破ることは、そんなに難しいことではないだろう。
結界と呼ばれるものが、なかなかぶち破ることができないものだという思いから来ているのだとすれば、それは結界を見ることもなく、おじけづいてしまったことで、
「結界すら見ることができなかったという。屈辱をまわりに自らが知らせるまでもないのではないか」
という思いから、見えもしない結界の存在を勝手に肯定しているのではないだろうか。
そのため、結界の本当の存在を見た時、すでに勝負は決していたのかも知れない。結界さえ見えてしまうと、結界というのは、ぶち破るほどのものではなく、近づいただけで、まるで自動ドアのように、ハンドフリーで、開けることができるほど、緩いものなのかも知れないと思うと、乗り越えて見えてくる光景も、結界が見えた瞬間から、想像できているというものではないだろうか。
そんな結界というものを、いかに意識するかということが、人を説得するための自分を作るためには必要なのだろう。
「人を説得するということは、自分自身を納得させることだ」
という言葉を聞いたことがあった。
これも、
「タマゴが先か、ニワトリが先か?」
という言葉と同じで、どちらが先なのか分かりにくいものである。
「自分自身を納得させるために、人を説得する」
と言っても、考え方としては、大差のあることではない。
ただ、タマゴとニワトリの関係のように、どちらが先でも結果は同じというわけではない。きっとどちらが先なのかハッキリしないと、進めない道なのではないかと思う。しかも、道を間違えてしまうと、後戻りができるわけではないので、一発勝負である。
そういう意味で、自分を納得させるということで派生する思いは、危険と隣り合わせだとも言えるのではないだろうか。
人を説得することがその先にあることだとすれば、至難の業という言葉を遥かに通り越しているのではないかと思うのだった。
何とか、母親の怒りを買わないように一緒にいることができるようになっていった。
秘訣があったわけではなく、ただ、怒りを受けることに慣れてきただけのことだった。これは、小学生の頃に苛めに遭っていたことが幸いしたといえる。
苛めと言っても、露骨に何かをされるというわけではなく、無視されることが多かった。助けてもらえそうなことまで無視をされるので、そうなった時のショックは普通に大きい。助けてもらえることが当たり前だという本能があるだけに、大きなショックが自分の中に蓄積していた。
そのショックはただ残像として残っているわけではなく、次第に大きくなっていく。記憶が薄れていく中なので、大きくなっていくという意識はないのだが、なかなか消えてくれないことが、トラウマになっていくのだった。
そんな時、本能が感じるのは、
「慣れてしまって、感情をマヒさせてしまえば、ショックをショックと思わなくなるかも知れない」
ということであった。
その思いが、次第に、苛めに遭った時には、
「慣れてしまって感情をマヒさせることでやり過ごすしかない」
という思いに結び付けていくのだった。