二重人格による動機
――この人はちょっと怪しい人なのかな?
とも感じたが、驚きを感じた気配を見せないようにしていた。
それなので、これ以上の会話は不要と思い。
「いってらっしゃいませ」
と一言言って、お見送りをした。
ただ、一晩ゆっくり眠れたからなのか、昨日に比べて、顔の色が少しいいような気がした。昨日不気味に感じたのは、きっと顔色が悪かったからではないかと思った女将は、顔色さえよくなれば、ちょっとした表情でも、笑顔に見えるこの人が、普段は表情豊かな人なのだということに気づいた気がした。
荷物は相変わらずカメラを持っていて、車に積み込んでから、そのまま出発していった。この出来事は、普段から旅館であれば、普通にある出来事であったが、今度は、そうもいかなかった。
文芸サークルの奥さんの団体が起きてきたのだが、どうも様子がおかしいようだ。先ほどの男性客の顔色がよかったのと反対に、さっき起きてきた奥さん連中の表情は血の気が引いているように見えたのだ。
ゆっくり顔を洗っている様子ではなく、そそくさと慌てている様子が見て取れた。
「どうかされたんですか?」
と、女中の一人が気になって訊ねてみると、
「ええ、仲間の一人が朝起きたらいないんです。それで探しているところなんですけどね」
というではないか。
「どちらか近くを散策しているというようなことはないんですか?」
と訊かれて、
「いいえ、ちょっとそれも考えにくいんです。彼女は浴衣を脱いで、着てきた服を着てから出かけたようなんです。ようなんです。玄関に靴もありませんでした。だけど、単独で帰ったとも考えられないんですよ。カバンもあるし、他の荷物も置いたままなんです。まだバスがある時間ではないでしょうから、ないでしょうから、バスに乗ってどこかに出かけたというのは考えられないですよね」
というと、もう一人が、
「ところで、他に男性の宿泊者がおられるということでしたが、その人は?」
と訊かれて、
「ああ、その方なら、すでにおでかけになりましたよ。隣の街に行ってみたいということで、三十分くらい前にお見送りをしました」
というと、
「実は、いなくなった女性は。結構肉食のところがあって、皆で旅行に来ていたとしても、気に入った男性がいれば、モーションを掛けたくなるようで、今までにも何度か、飲み会の後に男性と仲良くなったことがあるようなんです。でも、そのほとんどは男性からの誘いのようで、彼女が自分から誘うことはないらしいんです。でも、そんなことがあっても、あまり大げさな騒ぎにはならないのは、なぜなのかと、いつも皆で話していたんですが、そのあたりのカラクリに関しては誰も知らないということでした」
と、そこまでいうのだから、今回は何か彼女たちの中で嫌な予感があるのか、それとも、今まで言いたくてウズウズしていたのだが、さすがに今回は堪忍袋の緒が切れたとでもいうべきか、ただ、そのわりに、彼女をディスっているという感じではなかったのが、彼女たちの表情を複雑に見せていたのだ。
そのため、皆何を考えているのか分からないと思わせた。
とりあえず、皆で探してみることにしたが、主婦の人たちは、このあたりの場所を知らない。とりあえず、旅館には女将と一人の女中さんを残して。後の二人の女中が、彼女たち二人ずつと一緒になって、案内役として探してみることにした。
まず、行動をとる前に、誰がどのあたりを担当するかを決めておかないと、却って混乱をきたしてしまうので、捜索前に役割を決めておくことにした。
その時、行方不明の彼女についての質問が旅館側から出たのだった。
「彼女はここに来たことはなかったんでしょうね?」
と訊かれて、四人とも顔を見合わせたが、
「それがよく分からないんです。私たちは文芸サークルでよく一緒にはいるんですが、お互いにプライベートなことは話さないので、もちろん、個人的に仲良くなった場合は話をするでしょうけどね」
と一人が代表で答えると、
「じゃあ、どなたか、彼女と個人的に仲良くなった人っているのかしら?」
と訊かれて、皆またしても顔を見合わせたが、それぞれに首を振るだけだった。
要するに、顔を見合わせた時はお互いに不安で見合わせるのであって、その場合、ほぼ期待の回答が得られないことは、ほぼ間違いないと思ってもよさそうだった。
「分かりました。じゃあ、彼女はこのあたりをよくは知らないだろうから、危険そうな場所と、さらには、誰かと会うとすればどこになるのかということを中心に探してみることにしましょう」
と、仲居の一人が言った。
この温泉街で、まず危険な場所というと、滝がある場所であり、河童伝説の祠のある場所が思い浮かび、待ち合わせをするといえば、その祠もその一つなのだが、もう一つとしては、四つ辻の近くにも少し小さいけど、人が待ち合わせをする場所があるという。
そこは、逢引きというよりも、中学生、高校生が待ち合わせをするようなところで、どちらかというと、
「逢引き予備軍」
とでもいえばいいのか、健全とは言えないが、不純ともいえないような中途半端なデートに使う待ち合わせ場所になっていた。
一組が滝の近くに行ってみて、もう一組がそのデートの場所に行ってみるということで、行動が決まったところで、いよいよ出かけてみることにした。
主婦の人たちも元々探検好きな人ばかりだったので、スニーカーにラフな服装は持ってきていた。
「じゃあ、それぞれに捜索の方、よろしくお願いしますね。こちらはいつでも行動できるようにしておきますからね」
と言って、女将さんが送り出してくれた。
滝に向かった三人は、三人とも、
「いるとすれば、こっちの方が怪しい気がするんですよね」
と言っていた三人だった。
後の三人は、滝にいるという意見には、さほど賛成派できなかったが、かといって、四つ辻の方の小さな森の中にいるという気もあまりしなかった。ただ、他に探すところがないというだけで、とりあえずという気持ちが強かったのだろう。
この三人は、
「ひょっとしたら、もうこの温泉街から離れているんじゃないかしら?」
と感じていたが、荷物があることから、それも考えにくいと思っているので、どうにも何を考えているのか分からないというのが、本音だったようだ。
昨夜の会話の中で、行方不明になった女性が、一番会話は少なかった。そもそも、以前から都市伝説であったり、オカルトやホラー的な話はあまり興味がなく、どちらかというと、怖がりなところがあったので、本当であれば、話をやめてほしいと思っていただろう。それができないのであれば、自分から立ち去りたいと思っていたのかも知れないが。そこまでの勇気もなかったのか、ただ、黙っているしかなかったようだ。
彼女の性格としては、あまり集団での行動は好きではなかったようだ。文芸サークルに入っている手前、皆と行動をともにしないと、一人だけ浮いてしまって、やりたいこともできなくなってしまう気がしたのが嫌だったようだ。
文芸サークルとしての行動であれば、自分から行動するタイプなのだが、文芸サークルの活動ではない、今回のような旅行には、本当は来たくなかったのかも知れない。