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二重人格による動機

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 というのが、河童に詳しい女中さんの話だった。
 この女中は河童にだけ詳しいわけではなく、妖怪全般に詳しいようで、文芸サークルの主婦たちもさすがに歴史が好きだということもあって、民俗学や民芸に対しても詳しいようだ。
 河童の話で結構盛り上がった話は充実した夕食の晩餐であり、気が付けば二時間近くも時間が経っていた。別に宴会をしたわけでもないのに、ここまで話が盛り上がったことはあまりないのか、女中さんたちも、結構充実した時間を過ごしたと思ったのか、想像以上に疲れを感じていたようだ。
 客の五人は、かなり興奮していたが、充実していたことに変わりはなく、このままではすぐに寝付くことができないと思ったのか、温泉に最後は浸かることにした。
 この宿の露天風呂は結構広く作ってあるので、五人は月あかりを見ながら、それぞれに充実した気持ちになっているのか、それとも、先ほどの会話で思考回路がマヒしてしまったのか、皆温泉に浸かると無口だった。
 その日は満月で、月明かりが綺麗に差し込む露天風呂だったので、宿に到着してすぐの入浴は、
「汗を流す」
 ということだけが中心であり、食事に繋がる、一種の繋ぎというイメージだったが、今回は会話で火照った頭を冷やすという意味合いの入浴なので、おのずとのんびりとした入浴に、中には、そのまま気持ちよくなって眠ってしまうのではないかと思えるほどの充実感に包まれたかのように思っている人もいたりした。
 実はその時間、女将が相手をしていた一人宿泊の客も偶然入浴をしていた。
 彼は、女将と差し向かいで、約三十分ほどの夕飯を終えると、軽く睡眠を摂り、先ほど目を覚ましてから、もう一度温泉に浸かろうとして、一人男湯の露天風呂に入っていた。
 女性の方から声は聞こえないが、気配だけは感じていた。
「確か、数人の団体だと聞いていたが」
 と、その割には静かなことにどこか違和感があったが、静かなことは彼にとっても願ったり叶ったりだったので、ありがたかった。
 彼も同じように月を見ていたが、どのようなつもりで見ていたのだろう。風呂から上がったら、月の写真でも撮りたいという衝動に駆られたいたのだろうか。だが風呂に浸かっている時は、湯の暖かさに集中していた。
「余計なことは考えない」
 と思っていたのかも知れない。
 温泉を出てから、男性の方は、部屋に帰って、少し仕事をこなしていた。温泉に浸かったのは、その日の疲れを取る目的と、食事を摂ってからなまった身体をシャキッとさせることで、仕事ができる精神状態に持っていくことが目的だった。隣の女湯にいた文芸サークルの連中とは目的が違っていた。
 部屋の戻ると、すでに布団は延べてある。その横にテーブルが置かれていたが、布団の端を座布団代わりに座ると、意外と楽であった。
 テーブルの上にパソコンを広げて、彼はそれから二時間ほど作業をした、それから寝たのだが、眠った時間は十一時頃だったろうか、一仕事が終わって彼は喉が渇いたことに気が付いて、自販機コーナーへと足を勧めた。ほとんど薄暗い状態の中で強い照明をしめしていた自販機コーナーには、数種類の販売機が置かれていて、そのうちの缶ビールのコーナーから、中くらいの大きさの缶を選んで購入した。その奥には小腹が空いた時ように、数十秒でできる簡易の料理があり、ハンバーガーや焼きそばがあった。
「まるで、高速道路の自販機コーナーのようだな」
 と思い、ビールにはおつまみをと思い、その中の焼きそばを選んで、できるのを待っていた。
 するとそこに、
「こんばんは」
 と言って、一人の奥さんが現れた。その人もまだ飲み足りないと思ったのか、ビールを買ってすぐに戻っていった。
 挨拶を交わしただけだったが、男の方は彼女を見て、
「女性の浴衣姿って、結構色っぽいな」
 と感じた。
 男はその女性が自分を見た時、一瞬だが、ハッとしたのに気付いていた。だが、それは暗闇の中で見つけたのが自分であり、しかも、自販機コーナーの強い明かりに照らされた顔は、まるで暗闇に突然浮かび上がった妖怪でもあるかのように感じたからではないかと勝手に思っていた。
 男には、その主婦とは初対面だと思って差支えはなかった。まったく初めて見た人だと思ったからだ。
 時計を見ると、そろそろ十一時半くらいだっただろうか。二人とも普段であれば、まだまだ宵の口と言える時間であった。
 しかし、温泉宿では物音ひとつしないほどの真っ暗であり、ロビーは申し訳程度の明かりがついているだけで、とても一人でいられる雰囲気ではなかった。
 時期としては春から梅雨に向かう時期で、風も生暖かったのだが、じっと表にいると、寒気が感じられた。
 しかも、二人とも自販機に飲み物を買いに来ただけなので、裸足にスリッパである、足元から冷えてくるのを感じると、すぐにでも部屋に戻りたい衝動に駆られたとしても、無理もないことだ。女性は特に冷え性の人が多いということなので、足元からの冷え込みは男性に比べてきついのかも知れない。彼女が挨拶だけですぐに部屋に帰っていったのも、分からないでもないと、彼は思った。
 男の方としても、寒さと不気味さで部屋にすぐに帰ったが、何とも言えない臭いがどこからか漏れてくるのを感じていた。
 それはまるで石を齧ったかのような、味気なさを比喩したような表現になるが、この臭いはまさしく、雨が近いということを感じさせるものだった。
 他の人に聞いたことはなかったので、何とも言えないが、
「これを感じるのは自分だけなのかも知れない」
 と思った。
 それに、時々、
「私は雨が降るのを予知することができる」
 という人がいるが、その人は自分と同じような匂いを感じたり、空気中の湿気の濃度の微妙な違いから、雨が近いことを悟るのではないかと思っていたが、やはり臭いが大きな影響を及ぼしているように思う彼は、
「寒いのは足元だけで、身体は湿気からか、それほど寒さを感じない。こういう時は時間をかけると身体が慣れてきて、寒くならない」
 と感じていた。
 しかし、缶ビールを飲むにはここの冷たさは合わない。よほど部屋の中が暖かいという思いが頭の中にあった。
 部屋に戻ったことで男は、焼きそばをつまみにビールを飲んだが、先ほどの女性の態度が気になって仕方がなかった。
「あの時に声をかけておくべきだったのか」
 と感じたが、すでに後の祭りだった。

             心中死体発見

 翌日になると、一番目覚めが早かったのは、男性客で、まだ時間は七時前だった。
「朝食はいらないので」
 ということで、早めに目を覚まし、まだ文芸サークルの主婦連中は寝ているようなのに、この男性は六時過ぎには、出かける用意を済ませてロビーに出ていた。旅館の朝は早いので仲居を始め、女将さんが揃ってお出かけの見送りをしてくれた。
「今日はどちらかに行かれるのですか?」
 と聞かれると、
「ええ、ちょっと隣の街まで行って来ようと思います」
 という。
「隣の街というと、D寺町ですか?」
 という女将に対して、
「ええ、そうです。あそこには大きな地獄絵図が伝わっていると聞いたので、見せていただこうと思っております」
 というではないか。
作品名:二重人格による動機 作家名:森本晃次