二重人格による動機
「ええ、図書館に行って調べてみたんですが、その本には河童というハッキリとした形のことが書かれてたわけではないんですが、かつて、昔水害があったようで、川の水が氾濫して大洪水が起きた時、村人の数人を助けた妖怪がいると書かれていたんです。その妖怪はこの温泉地の守り神になっているということですが、そういう守り神的な存在って、ここにはあるんですか?」
と、逆に客は質問した。
いきなり河童伝説と言い出したのは、河童という言葉を出せば、すぐに反応が返ってくると思ったからで、こんなにも話が横道に逸れてしまうとは思ってもいなかったのだろう。
彼女の方とすれば、確かにその文献には河童と書かれていたわけではないが、観光ブックの河童伝説という言葉が頭の中に引っかかっていたのだろう。
「確かにありますけど……」
と言って、仲居さんは少し話をはぐらかすように考え込んでいた。
「その洪水の話というのは、どういう感じだったんですうか?」
と、客は、今度は若干痺れを切らしたかのように聞いてきた。
「そうですね、この話を訊いた時の私の私見なのですが、まるで宗教がらみの話に聞こえた感じなんですよ。というのが、キリスト教の聖典である聖書の中にあった、ノアの箱舟の話ですね、あれのような気がしたんですよ。そのお話は、河童が人を助けたというよりも違った目線で見たような感じですね」
と仲居がいうと、その話を訊いて、どうもこの仲居は性格的に、言いたいことを引き延ばすような話し方をするのではないかと思った。
「どういうことでしょう?」
と、一度会話を切る形で聴いてみると、
「要するにですね。ノアの箱舟伝説というのは、人間を作った神が、自分の作った人間が争いを繰り返したりと、自分が思っていたような形にならなかったので、一度世の中をリセットさせるため、人間を一度全滅させて、その中から選ばれた人間をもう一度アダムとイブのようにして、そこから子孫を増やそうというものだったんですよ。いわゆる『浄化』という考え方ですよね。だけど、この浄化というのは、あくまでも、ただやり直すというだけのもので、先に対する考えがあるわけではないんですよ。そこがちょっと分からないところでもあるんですけどね。それを思うと、このノアの箱舟というのは、浄化というテーマが最初にあって、それと自然現象である洪水に結び付けたわけではなく、まず洪水という事実があって、これを書いた人が、後付けで、浄化という発想を作ったのではないかという考えですね。そう思うと、やっぱり聖書というのは、人間が作ったものなんだなという当然のことをいまさらながらに感じさせることのような気がしてくるんですよね」
と仲居は言った。
この仲居の話を訊いて、皆感心していたが、この話を皆きっとこの仲居が普段からこのようなことを考えていたと思っているだろう。
だが、本当はそうではなく、この場で出てきた話を訊いていて、自分の中の発想として生まれてきた考えであった。
普段から考えていることもあるのだろうが、そうでなければ、こんなに咄嗟にアドリブ的な思いが浮かんでくるわけもない。そう思うと、この仲居の言っていることに信憑性が感じられるのは、説得力が強いという証拠なのではないかと思うのだった。
「では、ここの河童伝説というのは、仲居さん的には河童伝説というよりも、ノアの箱舟のように、洪水という発想があって、そこからただ単に、妖怪に助けられる人たちがいたということで、どこから河童が出てきたのかが分からないということでしょうか?」
と言われて、
「いいえ、河童というのは、やはりこの話を書いた人にとってイメージはあったと思うんですよ。でも、河童という妖怪は、その正体がハッキリとしない。各地にいろいろな伝説が残っているけど、容姿は変わらないのに、神出鬼没であり、正体不明というところで、いい妖怪なのか、怖い妖怪なのか分からない。そこが、この話において、妖怪の正体が限りなく河童に近いというところまでしか書けない要因ではないかと思うんですよね」
と仲居さんは言った。
「その様子が残っている祠が、この温泉宿には残っているということでしょうか?」
と訊かれて、
「ええ、神社の奥の方に祠があるんですが、普通祠というと静かなところにひっそりと建っているというイメージが強いですが、実際には近くに滝があり、その滝つぼに叩きつける水の音が結構響いているので、静かという印象はないですね。しかも、風圧で滝の湿気からか、祠はいつも水に濡れたようになっているんですけども、腐ったりしているわけではなく、昔のままという不思議な状態で残っています。腐らない特殊な木で作られているんでしょうかね」
と話してくれた。
「じゃあ、明日さっそく行ってみようか?」
とその客がまわりの皆にそういうと、
「そうね、それを見に来たようなものですからね。ところで、何か危険なこととかありますか?」
と、もう一人の客がそう言って、仲居さんに聞いた。
「危険なことはありませんが、祠の中で、決して見てはいけないと言われているところがあるので、気を付けてくださいね。その場所は分かるようになっていますので、くれぐれもお願いします。そうじゃないと人によっては、見てはいけないところと聞くと、敢えて見ようとする人がいますからね。だから、本当はあまりあの場所のことを知られないようにしていたはずなんですけどね」
と仲居は言った。
「河童伝説というのは、全国にいろいろあり、微妙に伝承する姿が違ったりしていますけど、共通する言い伝えもありますよね? 例えば、好物はきゅうりだとか、相撲が好きだとか、頭の皿が乾くと力が出ないとかですね。そもそもどうしてきゅうりが好きなんでしょうね?」
と客は訊いてきたが、
「私も詳しくは知らないんですが、これは私が祖母から聞いた話なんですけど、河童というものは、水神様が零落したものだと言われているらしいのですが、このきゅうりというのは、水神を信仰している人たちにとって、お供え物であるということから、河童はきゅうりが好物だと言われるようになったということのようです」
と仲居がいうと、
「零落というのは、どういうことなんですか?」
と客が聞きなおすと、
「落ちぶれたとか、そういう意味のようです」
と答えると、
「まるで西遊記のようですね」
と、他の客が言った。
「ああ、なるほど、沙悟浄ですね。あのお話も確か沙悟浄は河童の化身で、しかも元は天上界の役人で、捲簾大将、つまり天帝のお側役の一人だったようですね。天帝の宝の器を割ったことで、展開を負われたことで、三蔵玄奘の弟子になって、天竺を目指すということになったといいます」
とこれも、別の客が言った。
「でも、沙悟浄が河童の妖怪だと言われるのは、基本的に水の妖怪だという言い伝えがいつの間にか、水の妖怪なら、河童だろうという話になったと伝えられています。ということは逆にいうと、日本では水の妖怪イコール河童の妖怪というイメージが定着しているということを意味していて、それだけ、河童というのは、水の妖怪として他に類を見ない無双の存在と言えるんじゃないかしら?」