二重人格による動機
「いいえ、私たちは、文芸サークルの仲間なんです。カルチャースクールといっても、そんなプロを養成するようなところではなく、市の活動お一貫でのカルチャースクールなので、それほどたいそうなものではないんです。一年に一度、フリーマーケットを行うんですが、そこで販売するための同人誌を発行するのが、基本的には一番の目的になっているんですよ」
と言った。
「じゃあ、先生のような人がいるわけではなく、自分たちでやっているという感じですか?」
「ええ、そうですね、上達が目的でもありますが、それは、作った作品と、サークルの中で回し読みすることで、批評は受けられる。やはり、自分たちの作品が同人誌とはいえ本になって、それが販売されるというところに大いなる醍醐味が感じられるんです」
ということであった。
番頭さんは、その気持ちは分かる気がした。何もないところから自分の発想で何かを生み出すというのが、芸術であるならば、それを少しでもたくさんの人に見てもらいたいと思うのは、一つの感性物が出来上がれば、当然次に考えることである。
そういう意味では、
「本が売れた売れない」
というのは、本来の目的ではない。より多くの人に見てもらえたかというのが目的なので、同人誌の編纂も一部は市の予算から出るのだが、とてもそれだけで賄えるはずはない。だから、その分はサークルメンバーの手出しになるのだが、それでも、一年に一回なので、毎月少しずつ積み立てることで同人誌の制作に充てる。つまりサークル費と呼ばれるものは同人誌製作も入っているので、他のサークルに比べて若干割高である。
だから、このサークルに入る人はあまりいない。学生時代に、
「自分の本を出せるようになれればいいな」
と感じたことがある人がほとんどであろう。
中には学生時代に文芸サークルに所属し、同人誌を発行したことのある人もいて、さの人の意見も参考にしながらの活動であった。
この文芸サークルができた時、
「人なんて集まるんだろうか?」
と発足を考えていた市のスタッフだったが、実際に募集してみると、最初から何人かが入部してきた。それだけ、自分の作ったものを形にしたいと思っている人が多いということであろう。
「どうして、この温泉を選んでいただいたんですか?」
という疑問を口にしたのは、最近入った若い女中だった。
彼女は、他の質問はどうでもよくて、これを訊いてみたかったのだ。彼女は若い子独特の興味津々な部分があり、しかも、他の女の子のような流行やファッションのようなものに興味を持ったわけではなく、歴史であったり、文化などに大いなる興味があったのだ。
「それはですね、この温泉にはいろいろ伝説というか、言い伝えが残っているというのを訊いたのと、実際にそれらを彷彿させるものも残っていると聞いたからなんです。私たちは文芸が好きで集まったメンバーなんですけど、その中でも私たちのように、歴史や文明などに興味を持っている人も多いんですよ。芸術というのも、元をただせば文化ですからね。歴史が好きな人が多くて不思議ではないと思います」
と、いうではないか。
それを訊いて質問した仲居は大いに喜び、
「そうですよね。私も歴史大好きなんです」
と言った。
彼女は大学を出ているのだが、就職活動がほぼ全滅だったこともあって、この温泉街にやってきた。就職先がなくての苦肉の策だと思われているかも知れないが、最初から就職先がまともに見つからない時は、ここに来てみるつもりでいたのである。
どうして最初からこちらに世話になるという決断をしなかったのかというと、
「趣味と実益を一緒にしてしまうと、せっかくの趣味が楽しめない。仕事は仕事、趣味とは切り離した時間を持つことが理想なんだ」
と思っていたからだ。
確かにそうである。
「趣味と実益を兼ねられれば、それに越したことはない」
などと言っている人もいるが、それは一部の人間の、一部の考えだと思っていた。
文芸サークルに所属しているのに、最初からプロを目指す気がしていないのは、そのあたりに問題があったからだ。
小説家を目指すのは、小説を書いている人すべてが、確かに最初は考えることであるが、実際には、
「プロになってしまうと、自分の思っている通りの作品を書けるかどうか分からない」
ということがあるからだった。
小説家というプロの商売がどのようなものか、一応は目指そうと思っていた時に、最初に調べるものである。小説家としてデビューすると、出版社とは二人三脚で売れる小説を書くことを義務付けられる。編集者の方で、作家の担当の編集者が割り当てられ、彼は作家の原稿の出来上がりを待って、それを出版社に届けるだけではない。もっとたくさんの仕事がある。
これが二人三役だと言われるゆえんであるが、作家が作品を書き始めるのが、本づくりの最初では決してないのだ。出版社によって、若干の違いや順序の前後はあるかも知れないが、まずは、企画を立てることから始まる。それは出版社が最初に計画したもの、つまり企画会議で検討されたものを、どの作家に依頼するかというところまでを編集者が行う場合、あるいは、まずは作家が決まって、企画を作家と編集者の間で検討が行われ、出来上がった企画書を出版社の方で会議を行い、没にならなければ、次の段階に進むというもので、ここがスタートラインとなる。
そこから作家がプロットを作成し、それを編集者が納得しなければ、何度でもダメ出しを食らうということになるだろう。作家の中にはプロットの苦手な人もいるだろうが、ここが決まらないと書き始めることはできない。ここまでくれば、後は作家が書くだけなのだが、作家にとって一番厄介な締め切りというものが存在する。雑誌入稿までに出来上がっていなければいけないので、それは当然のことだ。
作家が自分の意志で描きたいものを書けるとすれば、それはプロットが完成してからということになるだろう。
「これを自由に創作できると言えるのだろうか?」
と考えるのは当たり前のことであり、
その流れを知ってしまうと、一気にプロ作家に対しての思いが萎えてしまう人が多いのもうなづけるのではないだろうか。
ここにいる五人もそうであった。
「書きたいものを書けないのであれば、プロになんかなりたくない」
という思いや、
「余裕のない思いなんかしたくない」
という考え方が、彼女たちの中にはあったのだ。
河童伝説
そんな彼女たちは、
「このあたりに河童の伝説があるのを訊いたのですが、どういうものなんでしょうか?」
と一人の奥さんが聞いてきた。
それを訊いた仲居の一人が、
「河童ですか?」
と聞きなおした。