二重人格による動機
「じゃあ、滝の近くの祠で発見された心中偽装事件とはまったく関係がないということなのかな?」
と訊かれて、
「いや、それはそうではないようなんです。実は彼は不倫に悩んでいたと言います。その相手がどうやら殺された横溝房江ではないかということだったようなんですよ」
と桜井刑事がいうと、それを訊いた辰巳刑事とそこにいた二人の主婦はビックリするというよりも、
「やはり」
というような表情をしていた。
その時、取り出したのが、房江が高木明子に託した手紙だった。
その内容がついさっき公開され、そこには、彼女の苦悩が書かれていた。不倫相手を名前を書いていなかったが、フリーライターと明記されていたので、その意外性についさっき驚いたばかりだったのだ。
「実は、その時、横溝房江の親友であった女性が、男に騙されて、自殺未遂を図ったそうなんです。いつも自分が清水のことで相談に乗ってもらっていたんだけど、その親友が近くの病院に自殺未遂で運ばれてきた。手首を切っていて、必死で助けようとしたが、出血多量で死んでしまった。その遺書が見つかったんですが。そこには、結婚詐欺に騙されたと書かれていた。それが房江と一緒に死んでいた坂口伸郎だったんです、で、その房江の親友である自殺した女性には、妹がいたんですが、彼女は姉の仇を打とうとずっと坂口を狙っていたと言います。騙されたつもりになって近づき、復讐の機会を狙っていたということでした。そのことが今まで表に出てこなかったのは、それだけ彼女がうまく騙されているふりをしていたんでしょう。きっと、他の女性が騙されていくところをじっと見てきたのかも知れない。相手を安心させて復讐をしようとしていたということに、ほぼ間違いはないようです」
と桜井は言った。
「じゃあ、その女が今回の事件の犯人なんだろうか?」
「いや、それは微妙に違うようです。しっかりとしたアリバイがあり、しかも、彼女には青酸カリという毒を手に入れることは不可能だったんです」
「じゃあ、どういうことになるんだ?」
「これは私の考えですが、彼女は犯罪を清水に頼んだのではないかと思うんです。清水には表に出てはいないが、殺したい相手がいた。その人物を殺すと自分が疑われる、だから、誰かその人を殺してくれる相手を探していた」
「まさか、それって、交換殺人?」
「ええ、そうです。お互いに交換殺人の相手を探していて、お互いに自分のことしか考えていなかった。ただ、少し女性の方がワル賢かった。つまり、男に犯行をさせて、自分は何もしないという計画だったんでしょうね」
「じゃあ、清水が殺されたというのは?」
「これはたぶんですが、横溝房江と不倫していたのは、清水ではなかったか? そして清水は房江絡みのことで、復讐したい相手がいた。そのことを房江が知ってしまったことで、房江の口から、その人に、このまま清水を放っておくとあなたが危ないとでもいったのかも知れない」
「でも、不倫相手なんでしょう?」
「ええ、でも、房江の方で、そろそろ清算したいと思っていたらどうですか? 自分を愛してくれていると思った相手が、復讐のためだけに自分に近づいたと思った時、裏切られたと思いませんかね。だから、復讐を思い立った」
と桜井刑事は言った。
「なるほど、それは言えるかも知れない。じゃあ、この事件は目に見えない復讐劇が二つあり、偶然にも、その復讐を遂げたい二人がそれぞれ、交換殺人を考えていた。そこに、不倫により復讐を考える別の男がいて、事件として複雑に絡んでいたのだが、偶然にも、事件が同じ時に起こってしまったということかな?」
と辰巳刑事がいうと、
「それは違うと思います。確かにこの事件は最初から偶然の積み重ねでしたが、次第に一人の人がシナリオを作って、その通りに事件が動くようになったんです。その人は自分が事件の関係者でありながら、それを隠れ蓑に、後ろから操り、警察の捜査や推理までも、自分の考えに押し込めようとしたのではないかと思うんです。つまり、その人の存在があればこそ、少々変なことでも理解できることもあるんじゃないでしょうか? 例えば心中偽装に見せかけたのもそうです。疑惑を持たせることで、逆に坂口と房江の二人に、見えない関係があったのではないかということを想像させてみたり、清水に犯行を起こさせておいて、他の場所で殺されるという演出をしてみたりですね。同じ場所で死んでいるわけでもなく、しかも、心中疑惑の渦中にある主婦とが不倫をしているなどと思いもしませんからね。それに犯人が、坂口を殺したのが青酸カリだということですね。つまり、青酸カリというのは、そう簡単に手に入るものではないですからね。犯人は青酸カリを手に入れて、それがバレる前に、さっさと病院を辞めてしまった。それも、なるべく疑いがもたれないような正式な理由でですね。だから、青酸カリが喪失したことを、病院側が隠蔽していたんでしょう。殺人に使われたと追求すれば、病院側は簡単に吐きましたからね」
と桜井刑事は言った。
「じゃあ、この事件の黒幕というのは?」
と辰巳刑事は訊くと、
「そう、そこにいる高木明子さんです。あなたが、この事件を裏で操っていた人なんじゃないかと私は思っていますがいかがですか?」
と言われて、最初はオドオドとして、自分が被害者のような顔をした。
しかし、次第に顔色が変わっていき。ただただ黙っていた。
それを見た桜井刑事は、
「そう、その今のあなたの態度が私にとって、一番にあなたを疑うきっかけになったんです。最初あなたは、オドオドとしていたにも関わらず、途中からとってかわったかのように開き直った。私はそれをあなたの開き直りだと思ったんですが、そうじゃない。それがあなたの本性です。つまり、二重人格であり、そのことをあなた自身が自覚していないんです。それが、あなたの動機ではないかと私は思いました。あなたが事件のシナリオを書いて、実践する。あなたは空想作家でありながら、実践作家でもあるんです。書いたシナリオを実践するというジャンルがあるとすれば、あなたは、その先駆者なのかも知れないと感心するほどです」
と桜井刑事にそこまで言われると、
「そうね。ここで私が認めないと、私がプロとして、自分の存在価値を人生の中で唯一実証できる機会を失ってしまうのよね。これも一種のジレンマというのかしら? でも、私はこの結末も実は自分のシナリオの中にあったのよ。つまり私は脚本家であり、演出家でもあり、監督でもあり、主演なの。こんな素晴らしい作品を完成できたことは私の誇りだわ。だから、後悔なんかしていない。犯人が後悔するなんて、見苦しいわ。私は潔いのよ。だから負けたとは思わない。私は勝ったの。誰に勝ったかって? ふふふ。それは私にしか分からないわ」
そう言って、人生で最大のクライマックスを迎えた高木明子は、自らその場で人生に終止符を打った。青酸カリの入ったカプセルを飲み込んだのだ。
これも彼女のシナリオ通り。