二重人格による動機
実際に、彼女はこちらの術中に嵌ってしまったのか、辰巳刑事に引き寄せられるようになり、まるで催眠術にでもかかったかのように、従順になっていた。
彼女はとても頭のいい子で、事件を自分で見ているだけの情報で、的確に事件の要点を言い当てた。
「この部分が私が気になっているところなんですけど、警察は違った観点で見ていると思うんです」
といいながら、自分の意見を述べた。
辰巳刑事が自由に発言できる環境を与えたからであり。辰巳刑事も彼女の発想を訊きながら、目からうろこが取れた気がした。
実は、辰巳刑事も実にいいところまで事件の核心に迫っていた。だが、最後の結界を超えることができずに、途方に暮れていたのだが、彼女のちょっとした助言が結界をこじ開けてくれ、事件解決へと一気に突っ走ったのだった。
その後、彼女の家庭は引っ越していったので、それ以降は会っていないが、今でも連絡だけはよくくれる。
この間大学を卒業し、新入社員になったということだが、彼女であればどんなところでも十分にやっていけると思っている。
あの子も最初はまだ中学生だった。今はあれから十年近くの歳月が経ったが、今でもまるで昨日のことのように思い出せる。
その子のイメージがこの高木明子の中にあった。彼女が今回もカギを握っているような気がしてならないのだが、やはり、どのように事件を解決していくのか、方針も決まっていない今では、何とも情報が少なすぎた。
ただ、彼女の与えてくれた。
「あの男は詐欺師」
という情報のおかげで、やつの身元はすぐに分かった。名前は、
「坂口伸郎」
という。
どうして分かったのかというと、詐欺被害の届け出を見ていると、その中に坂口の写真があり、殺された男の写真を、詐欺被害者に見せたところ、
「ええ、この男に違いないです」
と言った。
ただ、この男には複数の詐欺被害者がいて、当然ではあるが、名前をいくつも持っていた。
この男は、数人で結婚詐欺をやっていたが、バックに組織が存在するわけではなく、勝手にやっていただけだ。とりあえず目立たずにやっていたので。他の連中から目を付けられることもなかった。ヤバくなったら、行動範囲を狭めればいいだけだったからだ。
ヤバいかどうかの見極めは、それ専用の男がいた。警察でいえば、情報屋に近いのかも知れないのだが、見極め専用の連中は、見極める力がどうしてそんなにあるのか分からないが、実際に警察やその筋の行動を察知するということに長けていた。
「同じ空気を感じているからなのかも知れない」
という人がいた。
同じ空気を感じることで、呼吸や心臓の鼓動迄も感じることができるほど、相手との波長を合わせることができるのだろう。しかも、相手に波長を合わされたことが分からないので、こちらは安全なのだ。
空中戦にて、ロックオンされ、それが分かってしまって逃げられないという状況とは違うので、相手に悟られたと感じさせることもない。
結婚詐欺のウワサがヤバい筋の人たちに察知されたということを、こちらも分かっているので、やつらが近づいてきた時には、完全に気配を消している。
「本当に、そんな連中いるのかよ?」
と言われて、報告した連中は完全に戸惑ってしまい、その能力を生かせなくなってしまったのだとすれば、詐欺グループの警察に対しての貢献とも言えるかも知れない。
だが、それはあくまでも結果論、彼らは自分たちが逃れられればそれでいい。
やるだけのことはやって、気配も残さずにいなくなる。まるで忍者のような連中だったのだ。
それでも被害者はいる。
詐欺行為をした連中は誰なのかということまでは、警察の捜査力なら簡単に見つけることができるのだが、見つけてしまえば、それ以降、まったく見えないベールに包まれてしまって、いるのにいないかのような状態になった。
この気配を消すやり方が、この連中の一番の得意技だった。
「気配を消す」
これは、
「石ころのような存在になることだ」
ということであった。
河原にたくさんの石が落ちているが、それを見る方は、
「たくさんの石」
として一つ一つに注目しない。
しかし、見られる方は、目が合わないように必死に逸らしているのだが、相手は全体を見ているので、一つ一つを意識することはない。だから、いくら気配を消しても同じなのだ。
気配など消す必要のないのに気配を消そうとするのを、
「河原の石」
とでもいえばいいのか、見えているのに、意識に引っかからないというような状態をそう表現してもいいのではないだろうか。
そんな詐欺師連中は、警察から見れば神出鬼没である。
しかし、これが殺人犯のような凶悪犯であれば、簡単に見逃すようなことはしないだろう。
詐欺犯罪というのは、どちらかというと民事に近い犯罪で、刑事罰に関わる問題ではないので、警察は、
「民事不介入」
ということで、一応被害届を受理はするかも知れないが、実際に真剣に捜査することはない。
そもそも、行方不明になった人を警察に対して、
「捜索願」
を出す人が多い。
しかし、警察がいくら捜索願を受理したとしても、真剣に探しているわけではない。まず、
「事件性があるかないか」
これに尽きると言ってもいい。
「何かの事件に巻き込まれた」
あるいは、
「誰かに殺されるかも知れない」
または、
「自殺の可能性がある」
などの場合である。
そういう場合であれば、警察は優先して調べるであろうが、事件性はない、つまりは、
「ちょっとした家出なのではないか?」
と思われることで、余計に騒がないようにしている。
だから、警察に捜索願を出したからと言って、警察が本当に調べてくれているかどうかなどあてになるものではない。
だから、詐欺事件なども、よほどの証拠があって、刑事罰に問えるような事件であり、起訴できるだけの証拠がなければ、警察は真剣に捜査などしないだろう。そのことを分かっている一般市民も結構いるのではないだろうか。
特にやつらは、
「河原の石」
なのだ。
存在感をしっかりと消すことで、いかに自分たちをうまく警察の網からすり抜けさせることができるか、それも彼らにとっては、一つの才能なのであろう。
詐欺事件というものは、被害者が被害届を出しても、詐欺であるという立証をどこまでできるかということが問題になる。
もし、結婚詐欺などで、女性が、
「騙し取られた」
と言っても、相手の男が、
「自分は要求したわけではない。彼女に相談したら、私が出してあげると言ったので甘えただけだ」
と言われてしまう。
たぶん、その通りなのだろう。騙す方は自分から要求などはしない。要求しなくとも、向こうから差し出してくれる人をターゲットにするのだ。その時は、女の方も、
「私が彼を助けるんだ。これは私にしかできないことなのよ」
という相手の自尊心に訴える。
自分だけだという思いに訴えることで、相手に催眠術を掛けたのと同じにさせて、本人たちがいくら詐欺だと気が付いて逆上しようとも、すでに証拠になるものは存在せず、やつらの言う通り、自分たちの自尊心を証明するだけのものしか残っていない。