二重人格による動機
と言って、愚痴をこぼしている人がいた。
この人はポジティブに先だけを考えている人で、一言言いたいと思ってお無理もないことであった。
だが、もう一人の、本当に事件のことを忘れようと思っている人は、何も言わない。言っても仕方がないと思っているのか、自分の中ではある程度割り切っているからなのか、別にどうでもいいと思っているようだった。
集まった人は。女将を含め、今回事件に関係のあった人だけで、残っているのは、他の仲居さんなどで、彼女たちが通常の業務を遂行していたのだった。
「すみません。わざわざ集まってもらう必要はなかったのかとも思ったんですが、少し気になることがあったので」
というと、
「そうよ、別に必要ないわ」
と、ポジティブな人はそう言った。
それはまるで自分に言い聞かせているかのようで、皆そこは分かっていた。
しかし、全体を仕切っているつもりでいる女将は違い、
「あなたの思いを訊いてみましょう」
と、促してくれた。
「実は、先ほど帰ってきてから、少しして、いつものように荷物を確認していると、私のメモノートの中から、一通の手紙が出てきたんです。封がされていて、、宛名はないんです。そして裏書には、房江さんの署名。つまりは、相手は誰になるか最後まで決めていなかったけど、誰かに伝えたいことが封筒の中に入っている。そして、これは当然のことだけど、警察に届けなければいけない。でも、私はそれを皆さんに了承してもらう必要があると思ったんです」
というと、
「そんなのどうでもいいわよ。さっさと警察に持っていけばいいのよ」
と、やはり、ポジティブな主婦が吐き捨てるように言った。
これに対して、誰も反論はなかったが、
「じゃあ、ここで開けずに警察に持っていくというの?」
「ええ、そうです。で、警察には私が持って行こうかと思っているんですが、そのことを皆さんにお知らせしたうえで、一緒についてきてくださる方がいれば、それはそれで私には心強いと思うんです。どうでしょう? 一緒に行ってくれる方はいますか?」
というと、誰もそれぞれ顔を見合わせて、明確な返事をしなかった。
それを見ていた女将さんが、
「じゃあ、あなたがそれを警察に届けるのに出かける時、その時一緒に行く人は玄関に集合すればいいんじゃない? それが意志表示になるんだから」
と言ったのは女将さんだった。
「そうね。その通りだと思うわ」
と、高木希子がいうと、皆返事はなかったが、それは了承したということだと言っても差し支えないだろう。
ということで、今から三十分後に、警察に同行する人はロビー集合ということになった。
一応車を出すのは、この店のマイクロバスということになったので、乗ろうと思えば全員乗れる。ただ、今回は旅館からは、運転手だけで、それ以外の仲居さんは警察に行くことはなかった。
運転手が、その時々の事情を把握して、何かあれば逐一、女将に連絡を入れるということにしておいたのだ。
それから三十分後、ロビーに来たのは、もう一人の奥さんだけだった。
その奥さんは、最年長の人で、
「本当は私が行くべきかどうか悩んだんだけど、自分が最年長ということと、他の誰も来ないというのは私の中で感じたことだったので、私が一緒だと、あなたも気が楽かと思って同行することにしました」
と、普段なら、何か言い訳っぽい感じであったが、話には十分な説得力がある。
それを思うと、二人でも十分ではないかと思った高木明子は、さっそく警察に赴くことにした。
警察には、三十分前の集まりの痕になって報告した。
「私どもが伺いましょうか?」
と言われたが、
「いいえ、私の方で、K警察署に伺います。誰が行くことになるかはまだ決まっていませんけども」
ということであった、
それを訊いた警察側は、
「分かりました。お待ちしております」
と言って、それ以上の余計なことはいわなかった。
何も分かっていないのに、変に触れてもしょうがないのは分かっているからであった。
それから三十分後に車に乗り込んだわけだが、時間的にはすでに夕方近くになっていた。本当であれば、夕飯が近い時間なので、お腹が空いても仕方ないのだろうが、ここはそれどころではないという自覚があるので、減るであろうお腹が、思ったよりも減っていないことを自覚していた。それだけ、緊張感はピークになっているのではないであろうか。
警察に向かう車の中で、西の山の方に沈みかけている夕日を見ると、時間的にはまだ昼間と言ってもいいくらいであったが、夕方に近い身体のだるさがあった。
車の心地よい揺れとともに、どこか睡魔に誘われているのは、それまでの緊張感が少しずつだが車の揺れのおかげで解消されているのではないかと思うと、余計に気になってしまい、そのまま眠ってしまうのではないかと思うのだった。
「確か到着したのは、昨日のこれくらいの時間だったかしら?」
と、高木明子はぼんやりと考えていた。
見えざる敵
警察に到着すると、そこには辰巳刑事が待っていてくれた。
「わざわざすみません、こちらからお伺いしましたのに」
と辰巳刑事がいうと、
「いえいえ、私もこちらに伺った方がいいと思ったので来たんですよ。直接お話したいこともありましてね」
と、高木明子はそう言った。
その時の高木明子は、最初に見た時とまったくの別人のようだった。何があっても、ビクビクしていて、まわりばかりを気にしていて、もし、彼女の名前でも呼ぶものなら、そのまま数十センチ後ろに飛ぶように後ずさりするのではないかと思えたほどだった。
あの時の高木明子を見ていると、
――まるで、以前にも似たようなことがあったような気がするな――
と感じていた。
それは、自分が刑事になりたての頃だった。あれも確か殺人事件で、当時の門倉刑事が解決した事件だったと思うが、マンションで起こった事件だったので、まわりの野次馬が多かった。そんな中にまだ中学生くらいの女の子が怖がりながら、じっと見ていたのを思い出した。
その子は、怯えたような目をしながらも、じっと辰巳刑事を見つめていた。最初は気付かなかった辰巳刑事もさすがに気になってしまって、
「どうしたんだい?」
と声をかけると、その場から立ち去ってしまった。
しかし、しばらくすると、またその女の子を見かけるようになった。捜査でいろいろなところに行くのだが、そんな辰巳刑事を追いかけているかのようだった。
もちろん、遠くには出没できなかったが、近所での聞き込みや現場に何度も赴いた時などは、彼女の存在が気になってはいたが、気付かないふりをしていた。
さすがに中学生の女の子が事件に関与しているとは思ってもいないが、重要な何かを知っているのだとすれば、聞きださないわけにはいかない。
しかし、近づくと逃げ出してしまう相手に対してどうすればいいのか考えていたが。とにかく、意識していないふりをしながら、意識しているということを、彼女に思わせることで、興味を引いてしまうと、手の届く場所につれてくることができると思い、その感覚で事件を追いかけていた。