二重人格による動機
「皆さん、何かここまでの中で、気になることや、言い忘れたこと。出てきた話の中で気が付いたことなどがおありでしたら、お話いただけでば幸いです。ないのであれば、本日はご協力ありがどうございましたということで、解散ということにしたいと思うのですが、また今後何か事件に進展があって、皆さんからのお話を伺うことになるかも知れませんが、その時はまたご協力お願いいたします」
と言って、門倉警部補は、一旦解散を言い渡した。
警察関係者は、長谷川巡査と一部の警官を残して、そのまま撤収していった。そして、二人の女中と、主婦四人組は、そのまま温泉旅館に帰っていった。
温泉旅館に帰った六人は、正直、かなり疲れていた。まだ昼過ぎくらいであったが、この数時間の間に、まるで数日を過ごしたかのような、今まででは考えられないような濃密な時間を過ごしたような気がしていた。
その中でも一番疲れ果てているのは、高木明子だったであろう。一番気を張っていたのも彼女だし、何よりも被害者の男性の正体を知っているのは、彼女だったのだ。
最初は別の方を捜索していたので、直接死体を発券したわけではなかったので、そこまで直接的な大きなショックはなかったが、何か虫の知らせのようなものがあったのも事実で、明子は自分がなぜあの時、死んでいる人間に心当たりがあったのかが、誰も触れなかったが、実際には気になるところであった。
考えてみれば、さっきの証言で、詐欺師と房江の関係を、
「他の人から聞いた」
というだけであり、それが誰なのか、触れられることもなく、あの男が詐欺師だということが分かったことで、事件が急展開したという印象が強かったので、あの場面は完全にスルーしてしまったのだろう。
そう思うと、警察が事件を少しずつ調査し始めると、いろいろと分かってくることもあるだろう。それがどういう状況になってくるのかが気になってきた。
「一周まわって、自分のところに戻ってくるかも知れない」
と感じた高木明子だった。
部屋に帰ってから、自分の荷物の確認をしていた高木明子だったが、これは看護婦時代からのくせで、何もなくても、自分の荷物を時々確認していた。意識的にすることもあるし、最近では無意識が多かった。今回は、かなり自分が疲れているということもあったし、何よりも事件の真相に一番近いところにいるという緊張感から、無意識な部分が多くなってしまうのも仕方のないことであろう。
そう思って、彼女はいつものように自分の荷物をあさっていた。すると、いつもつけている日記。
日記と言っても、そんなにたいそうなものではなく、その日にあったことをメモ程度に残している程度のものだったが、それを取った時に、何か一つの紙のようなものが零れ落ちるのを感じた。
「あれ? 何かしら?」
と、明らかに自分の知らないところのものだった。
確かに、日記の中に何か提出書類のようなものを挟んでおくことは結構あった。もちろん、意識してのことで、それを、
「あれ?」
と言って、いまさら何事かと思うようなことはなかったのである、
そして、それをよく見ると、それは便箋の入った封筒ようなもので、中に手書きでも入っているのか、封がされていた。明らかに自分の知らないものであった。
封筒の前には、宛名はない。切手を貼っているわけではないので、どこかに出すものではなく、中の便箋を閉まっておくものである。そして、裏を見ると、厳重に封がされてあり、そこに署名がしてあった。その名前は、
「横溝房江」
と書かれているではないか。
もし、表の宛名に自分の名前が書かれていれば、その場で開けてみようと思ったが、無記名だったことで、
「ここで私が開けるわけにはいかない」
と開けることを思いとどまった。
開けてみたいという衝動には十分に駆られていた。しかし、ここで開けてしまうと。あとで警察からおしかりをうけることは分かっていた。そして、事件が佳境に入ってきた時、この時の行動が決め手となって、自分が容疑者として浮かんだ場合に、自分にとって不利な状況になるということも考えられなくもない。
そう思うと、明子はまず警察に知らせなければならないと思った。
そしてもう一つ気になったのが、
「宛名が書かれていない」
ということであった。
ということは、彼女はそれを渡す相手が誰でもよかったということになり、まずは警察に見せる前に、そんな手紙があったということを、他の人にも示してから警察に知らせるべきなのかを悩んだのだった。
別にいきなり警察に見せたとしても、それは間違っているわけではないのだが、死んでいった、そして殺されてしまったであろう差出人である房江の気持ちを考えると、どうしていいのか、彼女は悩むのであった。
警察の目に触れるのは最終的には当然のことだが、その内容を、他の皆にも知っておくべきことなのか、それを思うと、悩むところであった。
だが、やはりここは、差出人の気持ちを汲むのが一番だと思った高木明子は、他の皆にも教えておこうということで、一旦、宿のロビーに集まってもらうことにした。
現場から帰ってきてからの皆は、それぞれ印象がまったく変わっていた。
仲居さんは、従来の業務に完全に戻っていて、女将も凛々しい姿だった。
それよりも一緒に来た他の三人の奥さんは、それぞれに、先ほどの事件がまだ尾を引いていて、顔色もあまり優れない人もいるかと思うと、先ほどのことなどまったく関係ないとばかりに、自分の時間を謳歌しようと心がけている人もいれば、次はどこに行こうかと、先しか見えていない人もいた。それは高木明子にとって、想像もしていなかった光景であり、あれからまだ少ししか経ってない中で、ここまで一人一人が違っているのかと思わせるに十分であったのだ。
ただ、基本的に仲間が死んだとはいえ、どこまで彼女と親しかったのかと言われると、考えてしまう。
「房江さんが殺された」
というよりも、
「同行者の一人から、殺害された人が出てしまった」
という方が強く、これが何らかの連続殺人事件であれば、
「次に狙われるのは自分ではないか?」
と考えてしまうこともありえるが、この場合はその可能性は限りなく低い、
なぜなら、一緒にいた男の正体が詐欺師と分かっていて、自分とは何ら関係のない男だということが分かったからだ。
房江はその男と何らかの関係を持っていて、そのために殺されたのだと思えば、自分たちはまったく関係ないことになる。それならば、せっかく温泉に来たのだから、楽しまないという手はないということである。
捜査は警察が行うことであって、そのうちに協力することもあるだろうが、それはその時のことだからである。
だが、それはあくまでも、これからのことであって、実に不確定要素であった。あと二日ここで滞在することになっているので、その間に何もなければ、このまま帰宅することになるはずであったが、もし、この房江からの手紙が出てきたことで、事件の様相がまったく変わってしまったとすれば、一体どういうことになるというのであろうか。
高木明子が皆に集まってもらうと。
「一体どういうことなの? もう事件のことはなるべく忘れたいのに」