二重人格による動機
だからと言って、門倉警部補を責めることはできない。それは門倉さんが上司だからという意味ではなく、もし自分が門倉警部補の立場であれば、同じことを言ったはずだと思いからだった。
相手に変な思い込みなく、素直に自供させるには、相手が話しやすいように環境を整えること。昔のように強引に、
「吐かせる」
などということは、今の時代には合っていない。
コンプライアンスに反するということでもあるし、人間の感情が複雑になっていて、その分疑心暗鬼になっている。したがって、一度殻に閉じこもってしまうと、二度と出てきてくれないという状況に陥ったとしても、無理もないことであろう。
そんな中で、発生した今回の事件、大きなカギを握っているのは、いうまでもなく、現時点では高木明子であった。
ひょっとすると彼女の口から、今回の旅行に来ている他の人物の名前が、予期せぬところから出てくるかも知れない。そういう意味でも、他の三人も緊張を持って、しかもそれぞれに違った思いで、高木明子を見つめていた。
「私の名前を出さないで」
であったり、
「私の名前が出てきたらどうしよう」
であったりする。
前者であれば、犯人、もしくは犯人を知っているということで、一気に容疑者にされてしまいそうな状況であり、後者であれば、自分はこの事件に関係ないのに、間違って容疑者にされてしまったらどうしようと思っているのだ。どちらにしても、ここで名前を出されるのは、致命的であり、もし事件に関係ないとしても、警察に疑われたまま、元の世界に戻らなければならない。戻った瞬間から、負の要素を負ってしまうのであった。
だが、それにしても、高木明子は何を知っているというのだろう。なかなか話そうとしないのは、今感じていることが事実かどうか分からないからだろう。
言い方はおかしいが、死人なのだから、間違っているからと言って、侮辱罪や、名誉棄損に当たるわけではない。あくまでも、犯人追求のための、情報の一つでしかないのだ。
警察の方も、この時点で仕入れた内容を、外部に漏らすようなことは絶対にしてはいけない。
警察であれば、それこそ、死者への冒涜として、世間から誹謗中傷を浴びることになるだろう。もちろん、発表してしまわないと分からないことなので、そういう意味でも外部に漏らすことはしないはずだ。
門倉警部補が一つ気になっていることがあるのだが、それは、四つ辻で死んでいた男がフリーライターだということだった。
普通であれば、温泉地の取材をしたのだろうという考えになるのだが、一日目には、ほとんど何もせず、二日目では、早朝からどこかに出かけようとした。温泉地の取材というわけでもなさそうだ。
しかも、この男、いつまでの宿泊か決めていないという。長くかかると踏んでいるからなのか、どこまでの取材をOKとするかなのかということが問題になりそうだが、そこもハッキリとしなかった。
門倉警部補も辰巳刑事も、じっと高木明子のことを見守っている。それぞれに違った感情を持って見守っているのだが、門倉警部補は、まるで花嫁の父親のような心境で、辰巳刑事は勧善懲悪な自分の理念を彼女に当て嵌める形で見ていた。
その視線に彼女も気付いたのか、徐々に頭の中で言いたいと思っていることを整理しているようだった。
「下手なことを言って誤解を与えるのは本意ではない:
つまり、捜査かく乱などという意識はまったくないということだ。
しかし、彼女は次第に胃を決してきた。言いたいことを頭の中でまとめているつもりだったが、実際に出てきた言葉が違った感情になったのか、自分でも分かっていないようだった。
「あの男、実は詐欺師なんです。最近流行りの、老人をターゲットにした詐欺、そのため、自分たちではなく、相手を安心させるために送り込むのが主婦なんです。借金のある人を助けるという名目でやらせているんです。しかもその借金を作らせたのも、それを助けるふりをしてお金を都合したのも、詐欺集団のやり口です。彼はそんな中の一人でした」
と、そう言って、やっとすっきりとした顔になった高木明子だった。
一通の手紙
高木明子の証言はその場にいた人全員に少なからずのショックを与えた。もしこの男が高木明子のいうように、詐欺師であったのなら、一緒になぜ房江がしななければいけないのだろう?
房江は殺されたのだから、房江には殺されるだけの理由があったことになる。今まで漠然として見えていなかった殺人の動機が、もう一人の男が詐欺師であるということを考えれば、絞られてくるかも知れないという思いである。
しかし、文芸サークルの人たちにとっては、他人ごとではなかった。何しろいつも一緒に行動している人が殺されて、その動機に詐欺が絡んでいるとすれば、一歩間違えれば、自分たちが殺される運命にあったのか、それとも、詐欺の片棒を担がされるという運命が待ち受けていたのかと思うと、ゾッとしてくるのであった。
文芸サークルの中で、房江はいつも端の方にいて、何を考えているのか分からないところがあった。しかし、真面目なところに好感が持たれ、比較的真面目な人の多いこのサークルの中では目立たない彼女に、誰も知らない過去があったとすれば、恐ろしい思いであった。
「高木さん、ところでその男を詐欺師だというには、それなりの信憑性のある根拠があってのことですよね? これは殺人事件ですので、そのあたりをしっかりと考えたうえでの発言でお願いしますよ」
と、門倉刑事は念を押した。
「ええ、分かっています。私もここでお話をしようと思った時から腹をくくっていましたからね。この期に及んでウソやハッタリを言ったりはしませんよ」
と、高木明子も挑戦的だった。
彼女はここまで、ほとんどずっと怯えていたのに、話を始める前に吹っ切れてからというもの、完全に開き直っていて、それまでの彼女とはまさに別人だった。そんな彼女を見て、サークルの皆も別に驚いた様子はない。皆分かっていることのようだった。
そういう意味では、この高木明子という女性は、分かりやすい性格なのかも知れない。そんな女性が開き直って話をしているのだ。彼女の言う通り、いまさらウソをいうようなことはないだろう。