二重人格による動機
「ええ、正直、不倫というものを味わってみたいという、アバンチュールを想像して興奮を覚えたこともありました。だけど、それは独身の頃のことであって、結婚してしまってからは、そんなことを思ってしまってはいけないという思いがあったから、文芸サークルに入る気になった一つの原因だと思っています。奥さん連中は耳年魔が多かったり、実際に不倫をしている人もいたりして、その話を訊けたりするだけで満足できる気がしていたのでした。でも、実際に話を訊いているうちに、話だけでは満足できない自分がいることに気づかされたんです。つまり、実践してみたいという欲望ですね。それに、奥さん仲間から勧められたということであれば、不倫がもしバレたとしても、他人の責任にできるかも知れないとも思ったんですね。その思いを巧みに利用していたのが、横溝さんだったんです。だから、私は危険を感じ、横溝さんと少し疎遠になりました。その時まわりからギクシャクしているように見られたんだと思います。横溝さんは、甘い言葉で不倫の良さを宣伝してきます。中学時代に性について何も知らないウブな生徒の耳元で、耳年魔なのか、それとも早熟なのか分からないクラスメイトが、その人に対して、性の悦びなるものを言って、煽るのを思い出しましたね。『とっても気持ちいい』などと言われると、想像しただけで身体がムズムズしてくる思春期という時代ですからね。そうなると、もう抑えが利かなくなる。相手もそれが狙いなのか、でも思春期にはそれ以上のことはないのですが、結婚して主婦になってからの場合はそうも言っていられない。その後には必ず何かの報復が行われることになる。私と横溝さんの関係は、その時、そんな関係だったのですよ」
と、高木明子は、そういった。
「あなたの気持ちは分かりました。きっとその通りなのでしょう。でも、それはあくまでもあなた側の解釈ですよね。だから実際の横溝さんがどうだったのか、それが問題です。もっとも、もうこの世の人ではないので、立証のしようがないですが、誰か他に彼女のことをあなたくらいに知っている人がいればいいんでしょうけどね」
と、辰巳刑事が訊いた。
辰巳刑事はさすがだった。彼女に対して、自分がそのあと不倫をしたのかどうかをいきなり聞いたりしなかった。さっきの門倉警部補の言ったことば、
「あなたが話しやすいように」
という内容をしっかり実践し、自分たちから煽ったりはしないようにした。
もし、必要以上に煽ると相手がムキになって思ってもいないことを口走ってしまったり、こちらを困らせようと故意にウソをつくかも知れない。それを思うと、
「この高木明子に対しては、余計なことを言ってはいけないんだ」
と感じていた。
だから、余計なことは一切言わず、相手から言わせようとするのが、この場合のベストなのだ。さすがいつも門倉警部補の下で勉強してきただけのことはある。桜井刑事も見習うべきところだと思っていた。
「それからの横溝さんなんですが、私に対して不倫の気持ちよさを煽るものですから、ついにその口車に乗ってしまったんです。私が不倫に興味を持っているような話をすると、彼女は不倫について話をしてくれる人がいるから、その人に聞いてみればいいと言ったんですね。その相手の人というのは、女性だから安心すればいいと言われたので、横溝さんについて、あるスナックに寄ったんです。そこのママさんが、どうやら、不倫の仲介のようなことをしているというので、本当はよほど信頼のおける人でないと紹介しないんだけどっていう触れ込みのママさんだったんです。入会金のようなものはなく、ただの仲介なのでということだったんです。要するに、ここでお金を取ると自分たちがあっせんしたということがおおっぴらになると困るというんですね。それを訊いて私ももっともだと思ったので、ちょっとした火遊びのつもりで参加してみたんです。ママさんからすれば、そうやってあっせんするだけでお客がきてくれればいいということだったんですが、実際にはあくどいことをしていたんです。不倫相手が酒の中に睡眠薬を入れて、そのまま昏睡状態でホテルに連れ込み、いかがわしい写真を撮る。そして、それで脅すというわけです。ただ、彼女たちは、一回それで脅迫した相手には、二度と脅迫をしないというのがモットーだったので、私も、五十万を渡しただけで、その後は何もなかったんです。なぜ一度以上しないかというと、私と横溝さんのように同じサークルだったり会社だったりすると、その関係がぎこちなくなって、そこから警察にバレたりするとヤバいと思ったんでしょうね。一度脅迫すると、そこでいったん終わりにする。だから、泣き寝入りであっても、それがお互いに一番いい、波風を立てない解決方法なんです」
と意を決した高木明子は、そこまで一気に言い切った。
意を決していなければ、絶対に言えないことであり、そもそも、横溝房江が死んだりしなければ、この秘密は墓場まで持って行こうと思ったのだろう。
しかし、それを言おうと思ったのは、このまま捜査が進んで、自分にいずれ容疑者に入ることになれば、殺人事件の時一緒にいた仲間の一人として、最重要容疑者になりかねない。そうなると、その時に警察の執拗な尋問や、捜査で分かったことを証拠として突き付けられでもしたら、自分に否定するだけの自信がなかったのである。
それくらいなら、最初から怪しいのだとすれば、自分から話をした方が、隠していて、後で分かった時の印象の悪さはハンパではない。
それを思うと、やはり意を決しなければいけないのは、最初だったのだろうと思わずにはいられなかった。
だが、その秘密を訊いても、辰巳刑事はどこか納得のいかない部分があった。
先ほどの四つ辻の犯行現場で、女中さんが話していた、
「キツネと天狗伝説」
の話を訊いている時、何か他人事ではないような表情をしていた。
何を思っていたのか、本当に何か虚空を見つめていたのは確かであり、その先に何が存在するのか、辰巳は知りたかった。
だが、今の彼女の告白だけでは、何か物足りまい。
「彼女は、まだ何かを隠している」
と思わずにはいられなかった。
さらに、こちらに来てから最初に見た男の顔に対するリアクションである。それは、
「どうしてこの男がここにいるのだろう?」
というイメージで、その男のことは知っているが、どこで横溝房江と繋がっているのかが分からないということなのか、それとも、
「横溝房江との関係から言って、この場所にいてはいけない一番の相手ではないか」
という思いが、彼女の中に意外性を見せたのかも知れない。
どちらにしても、この時の表情には意外性のようなものがあり、何をどう反応していいのかを考えているのかも知れない。
彼女が何かを隠しているとしても、それを強引に聞き出すやり方をすることはできない。なぜなら先ほど門倉警部補の方から、彼女に対して、
「あなたが話しやすいように」
と言ってしまったことで、こちらのハードルを上げてしまったのだ。