二重人格による動機
「宿帳にはフリーライターのようなことが書かれていました。そういえば、お部屋にカメラ機材のようなものを持ち込んでいたのを見ましたね」
と女中は言った。
「フリーライターですか。おい、鑑識さんの方で、そのような機材がどこかで見つかっていないか?」
と聞かれると、
「いいえ、機材が見つかったとは聞いていませんね」
ということだったが、それを訊いた女中は、
「そのお客様は、今日お早めにお出かけになりましたが、その時には間違いなく機材を持って車に乗り込んでおられましたよ」
ということだった。
「この男の車はどこかにあったかい?」
と辰巳刑事に聞かれた鑑識は、
「はい、ここから少し離れたところに停車していました。四つ辻のこのあたりに車を止めると、他の車の邪魔になりますからね。少し行ったところに駐車スペースのようなところがあって、そこに停めていました。彼のポケットに車のキーがあって、車の扉を開けると開いたので、この男性の車に違いないと思われます。おっしゃっていたカメラ機材などは、トランクの中に入っていましたよ」
という報告だった。
「この清水という男が出かけたのは何時頃だったんですか?」
と聞かれた女中は、
「まだ、こちらの文芸サークルの方々が起きてこられる前でしたから、六時半くらいじゃなかったかと思います。元々前の日から、今朝は早く出かけるということはお聞きしていたので、ビックリはしませんでしたけどね」
と答えた。
「この男性はいつまでの滞在予定だったんですか?」
と桜井刑事が訊いた。
「予定としては、ハッキリとは聞いていません。お一人でしかもお仕事で来られる方は、宿泊日数が未定の方もおられますので、私どもも、繁忙期でもなければ気にしません。もっともお仕事でご利用されるお客様は、繁忙期にご利用されることはないので、そういう意味では、うまく回っていると言えるんじゃないでしょうか?」
「その、お仕事で宿泊される方というのは、そんなにいるのか?」
と訊かれて、
「他の旅館との比較になるとよくは分かりませんが、小説家の先生や、絵をお描きになる先生など、数人はおられます。小説家の先生などは、引きこもって想像力を豊かにするために訪れているので、期間は決まっていません。出来上がってからも、宿泊を続けられたりもしますよ。今度は一般人として、温泉や自然を味わうのだと言ってですね。皆さん、生き返ると言われていますよ」
と女中は言った。
「作家や絵画などの芸術家の先生と呼ばれる人はそうなのかも知れませんね。でも、この男性はフリーライターなんでしょう? そういう芸術家の先生方とは違った赴きを持っておられたんじゃないですか?」
という桜井刑事い対して、
「ええ、そうですね。芸術家の先生は、自分のうちに秘めた感性を、なるべく控えめに見せようとしていましたが、昨日の男性は、自分自身をオブラートにでも包もうとしておられたかのような気がします。何がしたいのか、目的がまったく見えてこないという感じでしたね」
と女中がいうと、
「じゃあ、どこか胡散臭さが見え隠れしていたと?」
「そうですね。何かを隠そうとしているのを、私たちに対して隠そうとはせずに、敢えて見せているという雰囲気はありました。フリーライターなどという職業の人はそういうものなのだろうって、私は解釈したんですけど」
と女中は言った。
それを聞いていた鑑識が、
「辰巳刑事。ちょっといいですか」
と言って、話の中に割り込んできた。
「死亡推定時刻なんですが、死後三時間というところだと思うので、午前七時前後ではないかと思われます。死因は見た通り、胸に刺さったナイフですね。一突きというところでしょうか。声を出す暇もなかったと推測できます」
という報告をした。
そこへ、ちょうど鑑識官のケイタイが鳴っていた。
「はい、もしもし」
と言って、電話に出ていたが、どうやら、相手はもう一組の鑑識部隊からの報告のようで、
「そうか、分かった。そちらの死亡推定時刻は、こちらよりも遅いということになるな、こっちのガイシャも、どうやら、旅館『新風荘』のお客さんだということだ。そっちの方も引き続き、鑑識の方を頼みます」
という話をしていた。
それを訊いて、三人の女性は急に震えが止まらなくなったようで、それを見た辰巳刑事が三人に声をかけた。
「どうされたんですか?」
ということを聞くと、
「ええ、いえ、今の話が気になったんですが、まるで、他でも死体が発見されて、それがうちの旅館の宿泊客ででもあるかのような言い方だったので、ビックリしたんですが」
というではないか。
「ああ、そうか、皆さんは先にこちらを発見して、通報されただけですので、知らないんですね? 実はあなた方の別動隊とでもいいましょうか、滝のある祠に行かれた人たちがいるということでしたよね。そちらでも、先ほど死体が発見されたという報告を受けたんですよ」
と、辰巳刑事は言った。
「ええ、元々私たちが探していたのは、この男性ではなく、一緒に来ていた行方不明になった友達を探していたんです。それなのに、想定外に他人の死体を見つけることになってしまって……」
と言いながら、主婦の一人は、頭を下げて忌々しそうにしていた。
「実は、そのお友達ですね。横溝房江さんですか? 彼女の死体があちらで発見されたということなんですよ」
という桜井刑事の報告に、
「えっ、何ですって?」
と三人は同時に声を挙げた。
三人三様で驚き方が違っていたのだが、声を挙げる瞬間が同じだったため。警察の方としても、その違いに気づかなかった。
「一体、どういうことなの?」
と、女中が桜井刑事に聞くと、
「我々もまだそちらに向かっているわけではないので、何とも言えないんですが、どうやら、男女二人の死体が発見されたということです」
というのを訊いて、主婦の一人が、
「それって心中?」
と声を挙げた。
それを訊いて、桜井刑事はふいに、
「どうしてそう思われるんですか?」
と聞くと、彼女は少し戸惑うような表情で、まわりを見渡して、少しして意を決したように話し始めた。
「私は彼女と結構仲がいいつもりなんですが、最近の房江さんは、自分が不倫をしていて、それを悩んでいるように話していたんです。元々の不倫は、旦那が不倫をしていると思い込んだことから始まったそうなんですが、どうやらそれが勘違いだったようで、だからと言っていまさら不倫相手に、旦那の不倫がウソで、自分も不倫をやめたいなどと言えないと言って、苦しんでいたようです。特に最近は表情が暗かったんですよ」
という、
「じゃ、この旅行の最中も上の空だった李したこともあるんじゃないですか?」
「ええ、最近の房江さんはずっとそんな感じだったので、まわりの皆も慣れっこになっていて、そんなに余計な心配はしていないと思います。でも、不倫を知っているのはたぶん私だけだと思うので、彼女が行方不明になったのを知って、単純に何かに悩んでいると思っていた人は、訳もなく心配していたんだと思います。だから、殺されたと知ると、皆ビックリなんだと思いますよ」
と主婦の一人が言った。