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キツネの真実

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 という言葉で片づけようとする女性もいないとは限らない。
 この問題は、
「限りなく同権に近づけようとはできるだろうが、決して、同権であるわけはない」
 と言えるのではないだろうか。
 なぜなら、男性と女性は身体の作りが根本から違うのだ。それを踏まえずにすべてを同権だとするのは無理がある。
 では、それを踏まえたうえで、同権にすればいいと言われるかも知れないが、どうなると、
「それを踏まえるのは誰なのか?」
 ということである。
 そこが曖昧であると、今度は男性の立場が怪しくなる。女性を男性に近づけようなどとは絶対にできないのだ。そういう意味では、男性側にも女性に歩み寄る形のものがなければいけないのではないだろうか。男性に女性を近づけようとするから無理があるのであって、どちらも不公平のないように、妥協して、お互いにうまい落としどころを見つけるしかないのではないか。
 そもそも、身体の作りが違っているのだから、どちらかに無理に合わせようなど、無理な相談なのである。
「人間は、生まれながらに不平等だ」
 と言われるが、それは別に男女同権の話から来ていることではない。
 どちらかというとこの発想は、
「人間は、生まれてくる時も、死ぬ時も選べない」
 という発想から来ているのではないだろうか?
 生まれてくるのを選べないというのは、
「子供は自分の親を選べない」
 ということだ。
 親が裕福な家庭であるか、貧乏であるかという時点で、すでに生まれた時点で不平等ではないか、皆、同じような親から生まれるわけではない。社長の息子として生まれる子供もいれば、貧困にあえいでいる家に生まれる子供もいる。中には親が犯罪者ということもなきにしもあらずである。
 それを思うと、生まれながらに不平等だ。
 では、それを育つ環境と、本人の意志によっていい方に変えられるのであればいいが、なかなかそうもいかないだろう。だが、裕福な家に生まれたからと言って、一生幸せに暮らせるというわけでもないし、貧乏な家庭に生まれたからと言って、ずっと貧乏というわけでもない。
 そういう意味で、確かに男女平等という言葉は、
「機会均等」
 という意味では当て嵌まるだろうが、それを誇大解釈をして、
「男女はすべてにおいて、平等でなければいけない」
 という発想になると、それはそれで恐ろしいことになる。
 そもそも男女が平等であれば、セクハラやモラハラ、マタハラ(マタニティ・ハラスメント)などが発生することもない。
 それなのに、男女平等を盾に、
「セクハラだ」
 と言って大げさに騒ぎ立てる人がいるが、それは言っていることが矛盾しているとは思わないのだろうが。
 そういう人に限って、
「男としての権力を振りかざす」
 というのだろうが、男女平等であるならば、セクハラを自分のことで訴えるというよりも、今後の男女平等のために立ち向かうという発想であれば分からなくもないが、訴訟を起こしても、相手に示談金を積まれると、
「背に腹は代えられない」
 とばかりに、示談に応じる人もいる。
 それはそれで仕方のないことだとは思うが、
「男女平等をあれだけうたっていたのに、簡単に矛先を下ろすとは、どういうことなんだ?」
 と言われるに違いない。
「夫婦の間のことは夫婦にしか分からない」
 というが、ハッキリ言って、この夫婦はどちらかというと分かりやすい方だった。
 五年という歳月がもたらしたものは、やはり大きかったのだろう。旦那の方とすれば、最初の二年間くらいは結構楽しくて、充実した時間が過ごせていたようだ。その二年間のうちに、安心感が芽生えたのか、
「少々のことで、お互いに亀裂は生じないだろう」
 という思いがあったことで、しばらくして二人の間に会話があまりなくなってきた時に感じたのは、
「もし、何かあればきっと私にちゃんと相談してくれるだろう」
 という思いから、無口になってきた奥さんに対して、自分から会話をしなかったkとだった。
 それが奥さんにとって、旦那に対しての疑問として浮かんできたのだろう。
 奥さんも結構我慢したのかも知れない。元々スナックに勤めていて、
「ずっと一人でもやっていけるよう、自立するんだ」
 という意識が強かったことで、旦那を信じようという思いが強かったに違いない。
 それだけに、自分が苦しんでいる時に手を差し伸べようとしない旦那に次第に疑問を持つようになり、
「私のことを愛していないのだろうか?」
 と感じるようになると、疑心暗鬼が激しくなり、次第に精神が不安定になってきたのではないかと思われる、
 そうなると、真っ暗な中で足元がパカっとあいてしまったかのように、奈落の底に堕ちていく自分を感じたのかも知れない。
 次第に疑惑が加速するようになり、妄想に近づいてくると、ロクなことを考えるようになってくる。
「あの人は浮気をしているんだ。だったら、目には目を、歯には歯をで、この私だって浮気くらい」
 と思ったとしても、無理もないことであった。
 その時に旦那が浮気をしていたという確固たる証拠があったわけではない、確固たるものどころか、浮気を示唆するものも何もなかった。
 ただ、紗友里の中で妄想が勝手に膨らんでいき、自分以外の女性を抱く旦那の姿がおぼろげに浮かんでくるのだった。
 のっぺらぼうのオンナの口には白いものが見えていた。目が見えるわけではないのに、目があったかのように感じたのは、どういうことであろうか?
 明らかに旦那はその女の魅力に参っているようで、女は自分を敵視しながら、余裕の笑みを浮かべている。そんなことを思うと、
「本当に私はこの男を愛していたのだろうか?」
 と思うのだった。
 それまでは肉体的にはマンネリ化から少し距離感があっただけで、精神的には結び付いていると思っていたはずなのに、夫からの裏切りを感じると、その反動は大きなものとなっていった。それが、
「身には目を、歯には歯を」
 という考えに至り、早急に浮気相手を探そうと思うことだった。
 浮気相手は探すまでもなく、すぐに見つかった。
 相手は誰でもいいというわけではなく、気持ちが移ることのないような、
「ただの遊び相手」
 というくらいがちょうどよかった。
 その方が、露骨にバレることもないだろうし、何よりも相手に本気になられて、浮気が浮気でなくなってしまうことを、紗友里はよしとは思わない。
 肉体関係だけの相手であり、快感を貪ることができればいいというだけの、そう、気分転換にはちょうどいいくらいの相手を欲していたのだ。
 そこには、
「自分の浮気が先に相手にバレてしまったら、私の負けだ」
 という意識があった
 あくまでも、自分の不倫は、
「相手に先を越されたが、別に負けたわけではない」
 という、まるで勝負感覚だったのだ。
 浮気は旦那に隠してするものではあるが、あくまでも、旦那に対しての当てつけだという最初から矛盾したものだったのだ。
 歪な感覚で始めようとしている不倫であったが、よくよく考えてみると、他の家庭でも不倫が始まるきっかけや、始める時の最初の気持ちは皆大同小異、似たり寄ったりではないかと思うのだった。
 浮気相手を物色するには、
作品名:キツネの真実 作家名:森本晃次