キツネの真実
「このままでいれば、どちらかにしわ寄せがいってしまい、相手はそれを分かってあげられないという悲惨な末路が見える気がするので、このタイミングで」
と言って、離婚を思いきる人もいるようだ。
同じ道を目指すのに、個人として目指すものと、配偶者がいることでお互いに刺激になっている時はいいのだが、どちらかが認められた時、もう片方は果たして祝福などできるだろうか。
祝福と嫉妬のジレンマに陥れられると、まわりは感じるかも知れないが、祝福の気持ちなどあるわけはない。すべてが嫉妬であり、特に自分の身近な人であれば、
「見捨てられた」
さらには、
「裏切られた」
とまで思うかも知れない。
それは確かに相手の方に才能があるのだから仕方がないことだろうが、相手は認められ、自分はそんな幸福の絶頂にいる相手を見続けなければいけない。嫉妬を隠して祝福ができるくらいなら、最初から芸術の道を目指したりなんかしないだろう。
さらに、収入の面も大きな理由になってくる。
奥さんが売れっ子作家になっていたとして、自分はずっと売れない作家。
「奥さんに食わせてもらっている」
とまわりから言われる分にはまだ我慢ができるが、
「あなたは、あなたの道をいけばいいのよ」
などと、奥さんに言われてしまうと、その言葉にこれっぽちも信憑性が感じられない。
そんな時、奥さんが何を言っても皮肉にしか聞こえないのだ。慰めの言葉は最高の皮肉であり、分かっていたとしても、それを認める勇気が自分にはない。
そういう意味で、離婚には、相手に対しての嫉妬が含まれていることが多い。それは才能という意味もあるが、もっと生々しいのは、相手が心変わりした時である。
これが結婚の中で一番目立つものであるが、
「配偶者のとちからが(どちらもの場合もあるが)、浮気をした場合」
つまりは、不倫をした場合ということである。
男女の関係というのは、精神的なものと、肉体的なものがある。結婚する前は、その二つを一緒に考えている。お互いに自由なのに、浮気をしない男も女もいるというのは、その二つを一緒に考え、うまくいっている証拠だろう。だが、結婚していなければ、浮気をされれば、怒って別れればいいだけだった。
「最後には別れてしまえば、それでいいんだ」
と、もちろん別れるまでには、それなりに精神的な葛藤があるだろうが、結果としては、簡単に割り切ることができる。
しかし、結婚していれば、そうもいかない。子供がいたりすると、話がもっと複雑になるのだが、この子供の存在が厄介だったりすることもある。
「嫁が妊娠して、抱くことができなくなったので、浮気をした」
という男性も多いだろう。
精神面と肉体とが、別れている証拠だ。そんな時の旦那は、きっと、これは仕方のないことだと思うだろう。男の抑えられない欲望を果たしただけだと思うのだろうが、問題としては、
「不倫をした」
ということにある。
不倫をするということは、身体だけではなく、精神面も癒しを求めたということであろう。その時は精神面と肉体面を切り離して考えなければいけないのに、一緒に考えてしまった。
切り離してしまえば、風俗で発散させればいいという考えもできるはずだ。
愛している奥さんがいるのだから、肉体面の欲求不満だけを解消すればいいのに、どうして精神面まで求めてしまうのだろう。男の中に、
「風俗通いは妻への裏切りになる」
と考えたからだろうか。
実際には、もっとひどい裏切りになるということを理解できていないということなのだろうか?
世間で、時々やっている、何とかリサーチなるもののアンケートで、
「どこからが浮気になるか?」
と男女に聞いてみたりしているが、その中で、
「浮気ならどこまでが許せるか?」
というものの中で、いろいろな調査もあり、その時々で結果も違ってくるだろうが、総称して考えると、
「相手に気持ちが移ってしまうと、その時点でアウト」
というのが多いようだった。
もちろん、嫉妬に狂っている時であれば、身体を重ねた時点でアウトだという人もいるだろう。浮気や不倫は、すでに身体を重ねればアウトだからである。ということは、
「浮気であっても、許せる部分と、許せない部分がある」
ということである。
寛容には見えるが、実際には、この場合の許せないという言葉は、本当に許せない部分で、ここまで来ると、もう妥協は許されないという女性側の気持ちである、
ここが女性の難しいところで、
「女性というのは。ギリギリまで我慢するけど、一旦我慢の度合いが一歩進むと、絶対に許さないところまで来ていることが多い」
つまり、男性が、
「これはヤバい」
と思った時には、もう女性の中での覚悟は決まっていて、それを動かすことは何人にも無理だという状態に陥ってしまうのである。
男性と女性の温度差は、
「男性がヤバいと気付いた時には、もう時すでに遅しという状況になっていることが多い」
ということである。
考えてみれば、それは男性にしては耐えがたきことである。そんな素振りも見せていないのに、いきなり梃子でも動かないような状態になっているというのは、まるでだまし討ちではないかと思われても仕方のないものなのだが、女性の中にそういう人が多いというのは事実であり、それが、男女の中での一番大きな違いなのではないかとも感じた。
ただ、これは、
「男が浮気をした」
という場合である、
もし、これが逆に、
「浮気が女性だった場合にはどうなるだろう?」
と考えていたが、これも結果は同じではないかと思う。
女性が浮気をするということは、その理由は、結婚生活において、旦那が自分のことを愛していないと思い込んで、愛情に飢えてしまったことによって、浮気相手を求めたのだと主張されれば、たぶん、まわりは男性に対して、冷たい目で見ることになるだろう。
そもそもの理由を作ったのは、夫だということである。
では、なぜ男が浮気をした時、女性が悪いという発想にならないのだろう?
ここに何か男女差別のようなものがあるのではないかと思われる。
確かに今の世の中は、男女均等などといって、女性に男性と同じ権利を与えることを主張できる世の中になってきたが、そもそも、男女を別々に分けたということに、何らかの理由が存在しないかということである。
男と女が愛し合って結婚し、子供が生まれることで、子孫が繁栄するというのが、基本的な遺伝の流れだが、それは、
「男は男、女は女」
としても役割ができているからだ。
それを無理やり、男女同権だと言って、すべてを一緒くたにするのはどうかと思う。過去の人間が、男尊女卑の極端なものを受け継いできた悪しき伝統がこのような時代を作ったのではないか。それは肉体的にではなく、精神的にも同じことだ。この均等というのは、肉体面だけしか見ていないのは、男と女とが、別れを前にした時に感じる、相手を許せなくなる境界線のギャップにもあるのではないだろうか。
確かに男女同権、男女雇用均等は必要かも知れないが、それを盾にして、自分の都合のいいように解釈し、それを
「男女同権」