小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

キツネの真実

INDEX|3ページ/27ページ|

次のページ前のページ
 

 二十代で、年齢が十歳も違うとなると、相手は小学生になる。普通なら考えられない年齢だ。それ以降、ほとんど女性と付き合ったことのない悟には、十歳という年齢はまるで結界があるかのように見えたのだろう。
 二十歳を過ぎてからというもの、いよいよ義父の攻撃が激しくなった。
「誰かお付き合いしている人がいれば、いつでも紹介しなさい」
 と事あるごとに父親に言われていた。
 父もいよいよ、還暦を過ぎると自分の後継者のことを考え始めたのだろう。
 それには、まず嫁を貰ってから、跡取りができるところまで行って、やっと引退できると思っていた。だから、五年前に嫁を見つけてきた時は、まだ通過点だと思っていた。
「後は、子供だ」
 と思っていたので、父親としては、ほぼ秒読み状態だと思っていた。
 子供は男でも女でもどちらでもいいと思っていた。男女均等の今の時代なので、女の社長も十分にありえる。
「天変地異でも起こらなければ、今の情勢から言って、子供が後を継ぐ頃に、また男尊女卑の時代に戻っているということはありえない」
 と思ったのだ。
 そういう意味で、結婚してしまえば、後は子供ができるだけ、
「問題は結婚の方だ」
 と思っていただけに、結婚させてしまえば、後は時間の問題だったのだ。
 それなのに、肝心の子供の話を訊くことはなかった。あまりせかせすぎても、お互いに意識してしまって委縮してしまえば、できるものもできないのではないかと思えたのだ。
 それでも、じっと待っているのも辛い部分があるので、少しでも環境を整えてあげようと思ったのが、今回の一週間の店休であった。
「この休みを使って、温泉にでも行ってくればいい。私から二人の結婚五周年のプレゼントだ」
 と言って、温泉宿泊券二人分を三泊四日で貰った。
 それも、その温泉場での最高級ホテルの、最高級のフルコースである。三泊四日ともなれば、相当な出費であろうが、それだけしてでも、子供の誕生を待ち望んでいるということであろう。
 それも無理もないことで、何と言っても、自分の隠居が掛かっているのである、後進に道を譲って、自分は勇退するのが、一番の筋だと思っているので、当然と言えば当然である。
 そんなこんなで、とりあえず父親からもらった温泉宿のチケットを甘んじて受け取り、二人は結婚五周年を楽しむことにした。だが、これがきっかけでまさか、こんな恐ろしいことになろうと誰が予想しただろうか?
 結婚五年目、旦那の方としては真面目に夫をやってきたつもりだった。何と言っても、二年目までは、人がやっかむくらいの仲睦まじさ。それはまわりに何人も証人がいる。実際に夫婦ともども、最初は結婚にどこか懐疑的なところのあった二人だが、結婚してみると、それなりに楽しいし、それまでお互いに感じたことのなかった、
「相手が楽しいと思うことは自分も楽しい」
 と覆えることのあることを発見したことだった。
 それまでは、そういう言葉は訊いたことはあったが、
「なんで、相手が楽しんでいることを見ていて、自分が楽しくなれるんだ。そんなの物理的におかしいだろう」
 と思っていた。
 特に夫は真面目過ぎて、物事をそういう風にしか考えられなくなっていて、奥さんの方も、
「今までホステスとして人を楽しませることばかり考えていた。それは他でもないお金のためだけにであった。だから、お金が絡まないことで、人が楽しいと思うことは、嫉妬でしかない」
 と思っていたのだ。
 それぞれの考えは決して極端ではないが、考え方に開きがあるのは一目瞭然で、同じことに対してこれだけ開きをある考えを持っていながら、答えは同じだというのは、実際には同じ答えではないということを、お互いに分かっていなかった。
 つまり、距離などないと思っていたのが間違いで、それを素直に認めることができなかったことも、二人の間に亀裂をもたらす原因でもあった。
 だが、そんな考えは今に始まったことではなく、誰にでもある関係であった。
 実際に、結婚五年目くらいで、すっかり関係が冷めたことで、すぐに離婚する人もいあるだろう。五年という期間に、
「ここまで頑張ったんだから」
 という人は、まだ頑張れると思っているのか、逆に長いほど、一旦歯車が狂ってしまうと修復は難しい。なぜなら、絡み合った糸が、もうどうしようもなく、絡み合ってしまっているからであろう。ほどく苦労をするよりも、ぶった切った方が早いと思うのは無理もないことであろう。
 五年というのは、ある意味中途半端である。中途半端ほど、別れるにしても、元に戻そうと試みるしても、中途半端なものは中途半端ではない。どちらもそんなに難しいことではないのだろうが、その分、後悔が残るものなのかも知れない。だが、一旦相手を嫌いになってしまうと、片方の修復はすでに無理となってしまい、別れるしかなくなるのだ。
 そうなると、傷の深さは中途半端ではない。離婚というのは、どこで決めてもその痛みは、変わらないように思う。
「早いに越したことはない」
 などというのは、諦めがつく場合の話であって、離婚にはそこまで割り切れるものが存在しているのであれば、離婚に金銭関係以外のドロドロとしたものは、存在しないに違いない。
 さすがに、財産分与などのような金銭が絡んでくると、話はややこしくなってきて、相手の感情が見えてくると、露骨な態度を取ってしまうだろう。相手も同じことで、そうなると、すんなりと行くわけもない。
「離婚というのは、結婚の何倍も大変だ」
 と言われている。
 それは、結婚する時はお互いに先にある目に見えないものに対して不安を感じることで、ブルーなったりして、それをさらに感じているのが、自分たちが経験済みである親への説得があるからだ。
 そういう意味で、結婚するまでに結構大変だった人も少なくはない。だが、そんな人ほど長続きするもので、では、結婚するまでにいろいろ苦労した人だけが長年寄り添って生きていけるのかというとそうでもなかったりする。
 中には見合いで結婚した人も結構仲睦まじくできるもので、意外と恋愛結婚よりも、見合いの方が、長年寄り添えるものだったりするのかも知れない。
 知り合って、結婚までにどのような付き合い方をしたかで、結婚生活は決まってくるのかも知れないが、結婚を長く続けていけるかどうかというのは、また別問題なのかも知れない。

                  ぎこちない夫婦関係

 世の中には円満離婚というものもある。
 例えば、俳優と監督、あるいは俳優同士などと言った、文化人同士などでは、結構離婚も多いような気がする。
 ニュースになるからそう感じるだけなのかも知れないが、
「お互いにすれ違いが多く、これからはお互いの道を目指すために、一度リセットしたい」
 という理由で離婚する夫婦が結構いるが、その言葉をまともにすべて信じていいのかどうかは別だが、額面通りに受け取ることはできる。
 実際に、そういう理由での離婚であれば、どちらも傷つくわけではない。
「このままズルズルと結婚生活を続けていれば、お互いにダメになる」
 という思いであったり、
作品名:キツネの真実 作家名:森本晃次