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キツネの真実

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「えっ、でも、ということになるのであれば、私と悟さんって、異母兄弟ということになるの? 大旦那様は、それを承知で二人を一緒にさせたということですか?」
 と感じた。
 そういう意味の倫理や道徳に関してはうるさい人だと思っていた先代が、そういうことができる人だったんだと思うと、かなり複雑な気持ちになっていた。
「実はここだけの話なんだが、君と悟は血がつながっていない」
 といきなりの言葉に、またまたビックリさせられた。
 ここまでくれば何が正しいのか分からなくなった。それは正義かどうかということではなく、事実か否か? ということである。これは真実を訊いているのではなく、事実でしかないということである。
「だからと言って、私と悟さんが夫婦というのはおかしいわ。ということは、悟さんはあなたとも血の繋がりがないということになるのよ」
 というと、
「そういうことだ。悟は私の前の妻の連れ子だったんだ。私は連れ子であるあの子を自分の子供として育ててきたんだけど、やっぱり、自分の本当の子供をそばに置いておきたくなった。そして、君の行方を捜したんだよ。すると、君がクラブのホステスをやっているというじゃないか。ビックリして会いにいくと、さらにビックリしたことに、君は、お母さんとそっくりになっていた。本当は息子の嫁ではなく、自分の嫁にしたいくらいだったが、さすがにそうもいかない。だから、君を嫁としてそばに置いておくことを私は選んだ。君も悟もその方が幸せだと思ってね。私の考えは間違っていたのだろうか?」
 と言って、泣いている先代を見ると、
――これが、本当のお父さん――
 と思うと、紗友里も涙が出てきた。
 紗友里は思った、
―ー私は、本当にこれでいいのだろうか?
 という思いでいっぱいだったのだ、
 確かにこの家の家系からすると、いや、父から見ると、息子と嫁とはまったく立場が正反対だったのだ。それを知っているのは自分だけだったというのも、苦しかったことだろう。
 紗友里の両親はすでになく、先代の奥さんも亡くなっているのだ。それを考えると、紗友里はどこか、複雑な気持ちになってきた。
 たぶん、もう長くない父親は、気持ちも心も弱くなっていることだろう。ひょっとすると、自分の命が短いということも、すでに分かっていることなのかも知れない。
――だけど、お父さんはどうしてその話をしてくれたんだろう?
 と思った。
 少なくとも、ここまで黙ってきたのだから、このまま墓場まで秘密を持っていくという気持ちだったことに間違いないだろう。
 それを思うと、父が自分の死期を察していると考えるのも不思議ではないような気がする。
 これまでの自分の罪を認めて、この世での未練を断ち切ろうと思ったのかも知れない。
 紗友里は確かにこの告白を訊いて、少なからずのショックを受けた。だが。いまさら本当の父親が誰だなどということで一喜一憂するつもりはない。父親が誰であっても、今はすでに大人になっていて、そんなことにこだわる年でもないと思っている。
 しかし、最近の紗友里は今までの自分とは明らかに違っている。何かに取り憑かれたような気分になることもあれば、不思議な感覚に陥ることもある。
 その証拠に、やけに子供の頃のことを思い出したり、初めて見るはずの光景を懐かしいと感じてみたり、さっきまでいた温泉での滝の近くにあったキツネの祠もそうだ。
 先代が危篤になったということで、急いで帰ってくる時に見た窓からの光景。逢魔が時の印象も、思い出すべくして思い出したような気がして仕方がない。
 それも、今先代から聞かされた言葉が影響しているのではないかと思うと、少なくともここ数日の出来事や感じたことは、すべて、
「感じるべくして感じたことだ」
 と言えるのではないだろうか。
 ということを思えば、あの滝つぼで出会った真由美という女性の存在も、まんざら自分に関係のない人間だと言えるだろうか。
「お姉ちゃん」
 と言って慕われることに喜びと感動を覚えた。
 それはまさに、引き寄せられる何かの力が働いたのだろう。ひょっとすると、真由美には紗友里が、
「お稲荷様」
 に見えたのかも知れない。
「私って九尾のキツネなのかしら?」
 と、少なくとも目的が不倫旅行だったのを、明らかに忘れていて、真由美の存在がまたその思いを引き起こさせたのかも知れない。
「お前には、非常なる混乱を今引き起こさせているかも知れないが、許してほしい。そして私ももう長くはないだろうから、こうやって君に話し手おきたかったんだ」
 先代はそういった。
「この話は主人には?」
 と聞くと、
「ああ、話をしているよ。ほとんど表情を変えたようには見えなかったが。それなりに思うことはあっただろう。ひょっとすると、ウスウス気付いていたのかも知れない。もちろん、私が死んだ後はやつが社長をやってくれるだろう。そのことは名言しておいた」
 と先代はいう。
 先代の様子は、本当にやつれているように見えた。最初にクラブで先代を見た時のあの活気に満ちていた人と同一人物だとは思えないほどだ。必死になって、自分の息子の嫁になってほしいと言っていた先代の姿には鬼気迫るものがあった。自分がこの人の娘だと知った今では、あの時の鬼気迫る思いが分からないでもない。
 世の中には自分の本当の出生の秘密を知らずに生きている人が、自分が思っているよりもたくさんいるだろうと思っている。そしてそのほとんどがその秘密を知りたがっているのではないかとも思う。
 それは子供であればあるほど、そう感じるのではないだろうか。ただし、
「知りたいとは思うけど、同じくらいに知るのが怖い」
 とこれも、自分で思っているよりもたくさんいるのではないかと思うのだ。
 それだけ、出生の秘密を知るということは、今まで暮らしてきた日々にデリケートな問題を投げかけるということである。なぜなら、秘密にされているには、そこには何らかの理由があるからに相違ない。
 例えば、父親が著名人であったりして、なさぬ中において生まれた子供は、秘密裏に養子に出されたり、育てられずに養護施設に預けられた李することもあるだろう。
 しかし、昭和の昔では、さらにひどい状態もあり、
「コインロッカーベイビー」
 なる言葉があり、生後間もなくの子を、コインロッカーに放置し、そのまま死に至らしめるというむごいことも実際にはあった。
 また、平成の頃から、
「赤ちゃんポスト」
 なるものも、存在し、育てられないと判断した親に捨てられる運命にあることもを引き取るなどということもあっただろう。
 もちろん、これはあまりにも極端な例であるが、大人になって結婚し、不倫まで経験した紗友里には、それを非難する権利はないと思っていた。
 しかし、それは自分の後ろめたさから、生まれてきた子供を処分するということに対して、見て見ぬふりをしてきたことを自覚した。
 そもそも、不倫などという、読んで字のごとく、
「倫理に非ざること」
 と行う人間は、どこか精神に疾患があるのではないかと思っている。
作品名:キツネの真実 作家名:森本晃次