キツネの真実
自分が不倫旅行などをしたために、こんなバチが当たってしまったのだとすれば、そのバチがどうして先代に当たるのかと思い、それが、紗友里には申し訳なさで、いっぱいになったのだ。
それなのに、手放しで、帰ってきた自分を迎えてくれた。しかも、これほどまでに喜んでである。それを思うと、自分の浅はかさに情けなさすらあった。
「紗友里、いい顔をしているよ」
という言葉は、本来なら皮肉に聞こえてきそうなのだが、なぜか先代に言われると、皮肉には思えない。本当に先代から見て、いい顔に見えたのだろう。
だから、紗友里は先代のその言葉を訊いて。
「どうして、いい顔に見えると思うんですか> 先代にとっての私のいい顔って、どういうものなんですか?」
と素直に聞けたのだ、
「紗友里は、本当にやりたいことをしている時ほど、いい顔ができるんだと思うんだ。その顔が私にとって一番の幸せであり、癒しなんだよ。きっと、いい絵を描けるんだろうと思うんだ」
というではないか。
「どうして、大旦那様は、私が絵を描いているのをご存じなんですか?」
紗友里が絵を描いていたということは、ホステスをしていた頃も知っている人はいなかった。
大学時代にちょっとした趣味として齧った程度で、知っている人は少なかったはずだ。
そもそも紗友里が絵を描き始めたのは、大好きだった母に教えてもらったのが最初だった。
小学生の頃、よく絵を描くのが趣味だった母親に連れられて、よく一緒に田舎の方に絵を描きに行ったものだった。
「そういえばさっきの夕方にふと思い出した田んぼの中の四つ辻の光景、道の傍にあったあの祠の光景は、母親と絵を描きに行った時に見た光景だったんだわ」
ということを思い出したのだ。
あの時は確か、バスを待っていたような気がする。田舎のことだったので、バスが来るまでに一時間以上もあった。普通の人だったら我慢できないくらいの時間だっただろうが、母が持っていたスケッチブックの画用紙を一枚もらって。鉛筆を借りて、その場所の絵を描こうと思い、描いた記憶がある。
確か、あれば絵を描いた時の記憶に残っている最初のものだった。いつも母親が描いているのを見ているつもりだったので、結構スムーズに描けたつもりだった。その時に描いた絵の光景と同じ場所で掻かれたと思っている絵が、実は今住んでいる屋敷に飾ってあった。
「もう一度絵を描いてみたいと思ったのは、その絵を見たからで、高校生の頃まではちょっとした趣味としてデッサンを描いていたことがあったが、今ではすっかりやめていた。それを今回の旅行でまた始めようと思ったのは、
「今回の旅行を不倫旅行にしたくない」
という思いがあったのと、それ以上に、
「屋敷にある記憶の風景の絵に負けたくない」
という思いがあったからだ。
すると、先代はベッドで横になりながら、
「屋敷の中にある一枚の絵を、紗友里はいつも気にしているだろう?」
と訊かれて、
「ええ、よく分かりましたね?」
「あの絵、誰の作品か知っているのかい?」
と言われて、意外な質問にキョトンとしている紗友里を見て微笑みながら、
「あれはね。紗友里、君の作品なんだよ。君が小学生の頃に描いた作品さ」
というではないか。
これにはさすがにビックリして、その場でひっくり返りそうだったのを必死で抑えた紗友里だった。
「どうして、その作品がここにあるんですか? しかも、大旦那様がそれを知っているというのは」
と聞くと、
「君のお母さんから聞いたんだよ。紗友里が描いた絵だってね」
「じゃあ、大旦那様は私の母をご存じだったんですか?」
「ああ、君のお母さんとは、実は知り合いだったんだ。私の友達を通じて仲良くなってね。よく数人でいろいろ話したものだったんだ」
「そうだったんですね?」
と言って、しばらく先代の顔を見ていると、どこか懐かしい思い出がよみがえってきたような気がした。
「君のお母さんが、君のお父さんと結婚してからは、ほとんど会ったことはなかったんだけど、私がこのスーパーの社長になってから、パートに一時期来てくれたんだよ。その時に、娘が描いた絵だって言って、自慢げに持ってきたんだ。私にくれるというので、ありがたくいただいたわけなんだ」
と先代は言っている。
「でも、どうして、大旦那さんは私の母の娘があのクラブにいた私だって分かったんですか?」
と訊かれて、
「実は、私はずっと前から君のことを気にかけていたんだ」
というではないか。
「どうしてなんですか?」
と聞くと、
「実は、君は私の娘なんだよ。本当はこの話は墓場まで持って行こうと思っていたんだけど、それだけはどうしてもできないと思ってね」
「どうして?」
「私は君のお母さんを愛してしまった。悟の母親を早くなくしてしまったことで、私はかなりショックが多きくて、仕事を一生懸命にすることで忘れようとしたんだ。それはきっと悟も分かっているかも知れない。だから悟は私に、新しい母親がほしいとは一度も言わなかった。あいつもお母さんは一人だと思っていたんだろうね。でも、そんな時現れたのは君のお母さんだった。私は君のお母さんに十分な癒しを貰った。私からみれば、君のお母さんは天使だったんだよ。たぶん、君のお母さんも私のことを好きでいてくれたと思うんだ。だから、お母さんのお腹の中に君がいると知った時、私も嬉しかったし、お母さんも素直に喜んだはずだったんだ。だから、君のお母さんに私の後添いになってほしいとお願いしたんだけど、それだけは承知してくれなかった。きっと、悟のことを考えたんだと思う。悟が母親だけを慕っていたのを分かっていたからね。それで、君のお母さんは考えた挙句、私の前から姿を消した。でも、君のお母さんは、私に父親だと名乗らないことを条件に、合わせてくれたんだよ。君が小学生の頃に、よく遊びに行っていたおじさんがいたのを覚えているかい?」
と言われて、確かによく遊びに来ていた。
だが、それは父親の上司という触れ込みではなかったか。よく父が許したものだと思った。
「でも、確かお父さんの上司ということだったのでは?」
と聞くと、
「ああ、そうなんだ。君のお父さんは、私に対して寛大だった。そもそもお母さんのことをずっと前から君のお父さんは好きだったらしいんだけど、彼女が私を愛していると聞いて、一度はあきらめたらしい。だけど、君のお母さんが、私との子供を一人で育てようとしているのを見て。どうしても自分が一緒にいるということを君のお母さんに言って、二人は結婚したんだ。君のお父さんは、だから君を自分の子供ではないと知りながら、育ててくれたんだよ。私も本当に嬉しかった。だからその分、悟にも愛情を注いできたつもりだった。そういう意味で私は君たち家族には言い切れぬくらいの音があるんだ。だけど、今は君を義理の娘として私の元に置いておけるなんて、これほど幸せなことはない。本当にお礼がいいたいんだよ」
と言って涙ぐんでいた。
それを見て。紗友里ももらい泣きしそうになったが、