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キツネの真実

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「自分には、何かを新しく作り出すということはできないので、そこにあるものを自分のものにするしかない」
 という考えからだったような気がする。
 つまりは、これも一種の芸術という考え方の一つで、芸術に対して造詣が深かったということであろう。
 Tクシーの窓から夕陽が差し込んでくると、その眩しさから、意識を失ってしまいそうな錯覚を感じたのは、他の車のボンネットに反射するいくつかの日差しが、目を刺しているからなのかも知れない。
 急に頭痛を催してくる。いや、それは頭痛というよりも、吐き気ではないか? 気持ち悪さから、喉を通って、苦いものが上がってくるような気がした。このままではここで吐いてしまう。そう思うと、そのまま気を失っていくのを感じた。
「お客さん、大丈夫ですか?」
 と、遠くから身体を誰かが揺らしているのが感じられた。
「ああ、このままにしておいてくれないかな? 下手に意識を戻すと、また吐き気と頭痛に悩まされる」
 と思ったのは、気を失ってしまうと、その苦しみから逃れられるという当たり前のことに気づいたからだった。
 だが、その思いとは裏腹に、一度失いかけた意識は、次第に喉ってくるようだった。だが、吐き気と頭痛は通り過ぎたようで、ある程度意識が戻ってきてはいたが、苦しさはなかったのだ。
「やっぱり、一度気を失ったのかしら?」
 と思ったのは、すっきりとまではしていないが、先ほどの苦しみはなかったことで感じたことだった。
「ああ、意識が戻ってきたようですね?」
 と運転手に言われて、
「ええ、おかげさまで、大丈夫のようです。さっきは頭痛と吐き気で気を失いかけていたようなんですが、もう頭痛も吐き気もなくなりました」
 というと。
「それはよかった。三十分近くもずっと意識不明だったので、救急車を呼ぼうと思ったのですが、最初はまったく血の気のない顔色が、次第に血の気が戻ってきていたので、少し様子を見ていたのでよかったです」
 と言われた。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。ところでここは?」
 というと、
「もうすぐ病院なんですよ。だいぶ顔色がよくなっていたので、少しだけ走られておきました。あと五分もすれば、目的地に到着します」
 と言われ、紗友里は時計を見た。
 時計は午後八時を少し回ったところだった。自分の中の意識の時間から三十分ずれている。なるほど、運転手の言っていることに間違いはなさそうで、すっかり表は夜のとばりが降りていた。
 どこからともなく漏れてくる照明に、何かホッとしたものを感じていた。
 さっきの夕暮れ時に怖いものを感じたのだが、それは、子供の頃に感じた「逢魔が時」を思い出させたのだ。
 逢魔が時というのは、夕方の日は沈む頃になると、
「魔物に逢う時間帯」
 と言われているのを訊いたことがあった。
 あれは、どこだったのか、まわりを田んぼに囲まれた平野の四つ辻だったような気がする。その辻には一本大きな木が立っていて、その横には祠があった。
「確か、お稲荷さんだったような気がする」
 祠と言っても、大きなものではなく、お地蔵様は一体、ご神体として飾られるだけの、そう、ちょうど仏壇と言ってもいいくらいの大きさだった。
 そんな江戸時代からタイムスリップしたような光景をどうして見たのか、ハッキリとその前後の記憶はなかった。
 だが、ちょうどその時夕暮れで、車が数台自分の横を通り過ぎていったかと思うと、ちょっとしてから、ガラスを釘か何かでひっかいたような音がした。思わず、耳を塞いで、吐き気を催したのだったが、振り返ってみると、今通り過ぎていったばかりの車が、田んぼに突っ込んでひっくり返っていた。
 それまで誰もおらずに、民家もまばらなその場所なのに、どこから湧いてきたのか、野次馬が数人、いや数十人、その場所に群がっていて、これほど異様なことはなかった。
 だが、その光景を見ても誰も何も言わなかった。皆向こうを向いていて、こっちを向こうとはしなかった。
 紗友里はビックリして、おそるおそる近づいてみると、みんなの呼吸が荒いことだけは分かった。
――何をそんなに興奮することがあるんだろう?
 と子供心に思い、
「あの、何かあったんですか・」
 と聞くと、皆が一斉にこっちを振り返った。
 それを見た時の紗友里の驚愕は、今思い出しただけでも、脂汗が出てきそうである。一斉に振り返ったその顔は、皆同じ顔だった。
 男は男で、女は女で、それぞれに同じ顔なのだ。それもどこかで見たことがあるような顔なのだが、思い出せない。
 さっき、頭痛がしていたあの時に思い出していたのだが、その時、実はかなり久しぶりに思い出したと思ったのは、その顔が誰だか分かったからだ。
 男の方の顔は、この間旅行に一緒に行った三矢孝弘で、女の方は、最初自分かと思ったが、当てが外れてしまった。
 そこに映っていた顔は、この間出会った、舞鶴真由美だったのだ。
 ただ、二人の形相は自分の知っている二人の形相ではなく、まったく別人だった。夕暮れの、西の山に沈みかかっている夕日を浴びて、かろうじて浮かび上がっている顔だったのだ。
 真正面から夕陽を浴びているので、顔の輪郭がそのまま立体的に見える。しわの一本一本が確認できそうなくらいだった。
 二人は明らかに紗友里を見て、微笑んでいる。それは勝ち誇ったかのような笑みで、
「俺たちは、お前の知らないところで、よろしくやってるんだ」
 と言わんばかりだった。
 だが、それを見た時、紗友里は違和感を覚えた。
「私は別に、孝弘を愛しているわけでもないし、真由美さんにしても、さっき初めて会ったばかりで、よく知らない相手だ。そんな二人に別に嫉妬するようなことはないはずなのに」
 と思ったのだ。
 ただの遊び相手が他のオンナを抱いたところで、別に気にするはずではないのに、なぜこんなに、焦ったような気持ちになるのか。それはきっと、頭痛と吐き気の中で感じた二人だったからだろう。
「あなたは、何か勘違いしているんじゃない?」
 と言いたかったが。いうだけバカバカしい気がした。
 そもそも、この男とは、あと数回会うだけにしようと思っていた。要するに飽きてきたのだった。
 飽きられていることを知ってか知らずか、温泉旅行にやってきたのは、絵を描くのが目的ということでもあった。
「描きたいものを、見つけて、そしてそれを自分の手で芸術という形にする」
 というのが目的だったのだ。
 滝に対してはいろいろ思い入れもあった。初めて見たはずなのに、過去にも見た覚えがあるという意識は、どういう気持ちからだったのだろうか。

          先代の思い

 病院に向かうと、意識不明だった先代は、だいぶ意識が戻っていた。旦那の悟が付き添っていたが、先代は紗友里が来たことを、それまでに見たことがないほどに喜んでいた。
「紗友里、やっと帰ってきてくれたんだね?」
 そう言って、涙を流しているではないか。
「大旦那様、大丈夫なんですか?」
 と紗友里はそう言いながら、心の中で詫びた。
作品名:キツネの真実 作家名:森本晃次