キツネの真実
「このさらに上流は滝になっていて、そこまでいけば、夏は本当に涼しいので、たくさん人がいるんだけど、まだ今は寒いからか、それほど人がいないので、ある意味、穴場になっているんだよ」
という話を訊いた。
以前から、滝の絵を描いてみたいと思っていたので、大いに興味をそそられ、その滝まで行ってみることにした。
まだ見えてくるわけではなかったが、ある程度まで行くと、明らかに水が何かに打ち付けるような音がしていた。
「ああ、あれが滝なんだ」
と思って、進んでみると、そこには、他の観光客もいた。
一組の男女のカップルであったが、女性はまだ二十代くらいだっただろうか。男性の方は四十は過ぎているように思えた。心なしか貫禄が感じられ、先代のイメージがあったが、この若さでそこまで感じるというのは、彼もやはりどこかの社長さんなのかも知れないと感じた。
男が紗友里に気づいたのか、軽く会釈をしてくれたが、横にいた女性も一緒に会釈をしたが、二人の様子が少し不可思議だった。
「心ここにあらずって感じだわ」
と思ったのは、会釈の時に、まったく笑顔を感じなかったからだ。
人見知りによる笑顔のなさではなかった。明らかに何かを抱えていることで、笑顔になれないその様子。何かゾッとしたものを感じたが、寒いのか、コートを着ていたが、そのうえで二人が、がっしりと抱き合っていたのだ。
これがこの物語のプロローグであることには違いないが、その時に、何か虫の知らせのようなものがあったのも事実だった。もちろん、理由もなく感じた虫の知らせはすぐに意識から外れてしまったが。それは、滝の勢いに心が奪われたからなのかも知れない。
翌日のことよりも、この時の出会いの方が紗友里には印象が深かったのは、どういう意識だったのだろうか?
不要なものは省略する
アベックの二人は、少しずつ、滝つぼを見ながら移動していた。
今では死語になっているであろう、
「アベック」
という言葉、この二人にはカップルというよりも、こちらの方が似合っているような気がした。
滝つぼを見ながら何か異様な雰囲気を醸し出している二人には、昭和の匂いが感じられたからだ。だから、ここで敢えて、カップルというよりも、アベックという言葉を使ったのだ。
紗友里は、この滝を見て最初に感じたのは。
「この轟音をいかに、絵だけで表現できるかというのが、滝というものをいかにリアルに伝えられるかの肝になるところなんじゃないかな?」
と感じた。
音を絵で表現することほど難しいことはない。まず轟音をもたらしているものは、垂直に落下する、水の束が下に溜まった水にぶち当たることで起こる全体的な振動だ」
と感じた。
つまりは、轟音を表すには、いかにその場の空気の摩擦によって引き起こされる風を表現するかなのだろうが、動いているものをいかに静止した形で迫力を持って表現できるかということなのだと紗友里は思った。
幸いここは森の中にある滝つぼだ。といっても、滝つぼというのは、そのほとんどが森の中というイメージもあるのだが、生えている草をその圧力で吹き飛ばそうとしているところの迫力を伝えればいいのだろう。
いや、もっといえば、風の迫力によってなぎ倒されそうになっている草が、必死になって耐えている様子を伝えるという方が迫力を感じさせるのかも知れないと感じた。
そのどちらも、最大限に発揮した力を表せればいいのだろうが、それは不可能な気がした。それぞれで打ち消そうとして押し合っているものは、どちらかが強いと、どちらかが負けてしまう。それを時間ごとに繰り返しているから、力の均衡が保てるのだ。
しかし、絵を描くということは、その中の一瞬を描くことなので、いかにどちらに重きをおくべきか考えていたが、以前聞いた話で、
「絵というものは、目の前にあるものを忠実に描くことではなく、不要だと思うことはい比べも省くことができる」
と言っていたのを思い出した。
ということは、時間がずれて見えたことを想像するだけで、状況は変わってくる。一瞬を描くのだから、その箇所ごとに違った時間えあっても、おかしくはないと思うのだった。
「それと省略することと、同じだと考えていいのかしら?」
と思ったが、それはそれでいいと思うのだった。
紗友里は絵を描くようになって、
「不要なものは省く」
という考えが強くなっていた。
実際に、絵を描いている時、サークルで紗友里の絵を見たまわりの人が、
「何か変だわ」
と言っている。
他の人がそれを訊いて、
「何が変なの?」
と聞くが、
「よく分からないんだけど、どこかが変なんだ」
という具合に、省略して書いているなどと思ってもいないことで、まさかと思っているのだろう。
それは、絵を描く人間にこそ分かるもので、絵を描くことに造詣が深くない人は、そんなことに気づくこともなかった。
「何かがおかしい」
ということすら、感じないのではないだろうか。
本当は油絵などを描けるようになれればいいと思っているが、まだまだ勉強中、鉛筆でのデッサンが基本だった。スケッチブックに鉛筆一本で描けるので、実に手軽である。特に今回のような旅行であれば、それほど荷物にならないのもありがたかった。
実際に描き始めるのは明日からとして、どの位置で描けばいいかというところくらいまでは今日でも研究できる。せっかく来たのだから、それくらいのことをしておこうと思い、いろいろな位置をまさぐっていた。
足元が少し気になっていたのは、その場所は普通の土ではなく粘土質のようになっていて、くっきりと足跡がつきそうな感じだったことだ。なるほど、先ほどのアベックの足跡もくっきりと残っている。ここに来る時は運動靴でいいだろう。
さらに、最初は歩いてきたことで、身体が火照っていたので分からなかったが、ここまで来ると、さすがに風圧の影響もあってか、結構寒い、上着を羽織ることも忘れないようにしないといけないと感じた。
しかも、湿気もかなりのものだ。紙がよれないようにしないといけないとも思った。
「ここで、デッサンするというのは、結構大変なのかも知れないわね」
と思ったが、あまり長時間しなければいいだろう。
ただ、紗友里は、集中してしまうと、結構時間を気にせずにのめり込んでしまう。気が付けば本人は三十分くらいのつもりだったのに、本当は二時間も過ぎていたなどということも今までに普通にあったりした。
足元を気にしながら、ベストポジションを決めるというのは、結構難しかった。
「きっと、少しでもずれると、前の日に感じて描いてきたものと違った印象になってしまうかも知れない」
と感じたが、かといって、目印をつけるわけにもいかない。
となると、結局は勘に頼るしかなく、それでも、紗友里は結構自分の勘に自信を持っていたので、それほど意識して気にする必要もないと思った。
「目の前にあるものを、まずは忠実に描こうと考えることで、どこを省けばいいかということも、次第に分かってくるだろう」
と感じた。