キツネの真実
そう思うと、不倫という感覚はない、こちらも疑似不倫であり、その分ドキドキという意味では半減するが、旦那を裏切っていることにはならないという意味で自分としては、悪意のない不倫ということで、ただ、楽しむだけでよかったのだ。
なるほど、この男はすぐにお金を要求してくる。最初の方は結構甘めに渡していたが、次第に渋るようになった。この男には、自分が主婦であるということは話しているが、それ以上のことはほとんど話し手いない。
「どうせ愛されていないんだ」
という思いがあるからで、なるほど、相手もいちいち聞いてこない。
「お金を少々くれるおばさん」
という意味の金づるくらいにしか思っていないのかも知れない。
それでも、肉体関係という意味では、遊びではないほどに濃厚であった。これもこの男のテクニックが、持って生まれたものなのか、そうでないとすれば、一体今までどんな女たちと付き合ってきたのか、最初から割り切って付き合っていなければ、普通であれば、メロメロにされることだろう。
こんな男なので、女は自分以外にもいることは分かっている。より取り見取りのこの男に、こんなおばさんだけで満足できるわけもないからだ、
この男のことだから、数人いる女とのベッドの中で、
「最近、金づるになるおばさんを見つけたんで、金を貢がせているところなんだ」
などと、紗友里のことを、他のオンナとの逢瀬の中での肴にしているのかも知れないと思うと、苛立ちを覚えるが、
「これは嫉妬ではない」
と思うと、すぐに苛立ちがなくなってきた。
時々、この男に抱かれる時、自分が分からなくなってしまわないのを確かめる意味でも、これくらいの感情を試してみるのもいいのかも知れないと感じた。
そういう意味では、肉体的にはある程度のめり込んでいるのかも知れないが、決して愛してはおらず、逆にこの男の性格や仕草に憎しみすら感じているかも知れないと思った紗友里は、
「どうせ、そのうちに飽きれば、こっちから捨ててやるんだ」
というくらいに考えていたので、しばらく疑似恋愛を疑似恋愛として楽しむことにした。
自分ではこれを不倫だとは思っていなかったが、相手はきっと不倫だということを意識していただろう。
そうなると、立場は明らかに自分の方が強いのだと思い込んでいるふしがある。ただ、それが、
「自分はフリーだが、相手には旦那がいる」
という意味での感情なのか、それとも、年齢差による単純な優劣管なのかのどちらかであろう。
「このイケメンの俺が、こんなおばさんに真剣になるわけないじゃないか。遊んでやっているだけだ」
というくらいに感じているのだろう。
その代償として、金銭を要求している。それくらいは当たり前のことと感じているとすれば、これは、ボランティアであり、金の要求は、甘えているだけだと思っているとすれば、この男がただのクズ男であることは明白だった。
ただ、この男のマシなところは、実際にホストではなく、チャラいところはあるが、バックに何か組織がついていたり、クスリのようなものをやっているという素振りがないことだ。
付き合い始めて、少ししてから、そのあたりを疑い出したので、すぐに別れるとなると、こちらが何かに気づいたと思われることで、却って危険だと思った。そのため、この男に、自分がまるで騙されているということを分かっていないような素振りをすることで、この男の正体を探ることにしたのだった。
だが、付き合い始めてから別に何も変わらないことから、
「この男の目的は金だけなんだ」
と思うようになった。
そうなると、いずれは、簡単に別れがくるのは分かっていた。
「金の切れ目が縁の切れ目」
というではないか。
そう思った時、紗友里の中で感じたのは、
「引導を渡すのはこの私の方からであって、決してこの男に引導など渡させはしない」
という思いだった。
しかも、ギリギリまで疑似恋愛を楽しむということを忘れたくはなかった。それは、引導を渡す時の効果がさらに大きくなるからで、肉体に溺れているからではなかった。
お金を渡すのは自分なので、主導権は自分が握っている。引導を渡すタイミングを握れるのは自分しかいないと思っていたのだった。
その思いに間違いはないが、まだまだ疑似恋愛は続くようだった。この男が今のところ本性を表す様子はなかった。紗友里の方では、次第に金も渋るようになってきた。かといってそれは最初の頃のように、言われるがままということではなくなり、少しずつ、相手にあまり深く考え込ませない程度に渋るようになったのだ。
相手がそれに本当に気付かないのか、それとも、それくらいは想定内のことなのか分からないが、お金を少々渋るようになったくらいで態度を変えるようなことは、この男にはなかった。
嫁が不倫をしているなどと、旦那は知る由もないだろう。
もし、知っていたとしても、自分だって他のオンナを抱いて、お金を渡しているかも知れないと思うと、どっちもどっちという感覚になってくる。
「しょせん、お互いにやりたいことをやっているんだ。しかも、最初に浮気したのは、あちらではないか」
と思っていた。
すでに、旦那に対しても愛情は消え失せていた。
孝弘が現れるまで、爪の先ほどだった愛情が、完全に消え失せてしまった。ひょっとすると、
「旦那とは最初から、疑似新婚を演じていたのかも知れない」
と感じたほどだった。
そんなことを思うようになって、
「私の人生って、絶えず疑似という言葉が付きまとっているんじゃないかしら? ひょっとすると、この自制だって疑似なのかも知れない」
とまで感じるようになった。
そうなると、ある程度の感覚、倫理や道徳観がマヒしてくるような気がしてきて、不倫すら悪いことではないとまで思うようになっていた。
ただ、自分の中で不倫を認めるということは、自分に対して負けを認めるようで、それは嫌だった。
孝弘という男、二十五歳という年齢であったが、この男も、紗友里が正体を明かさないことで、自分も正体を明かさない。
どちらが正体を明かさないことで得をしているのかを考えたことがあったが、普通に考えれば、配偶者のいる自分の正体がバレてしまう方が都合が悪いだろう。
そういう意味で、自分の正体を隠してきた紗友里だったが、この男は、そんな紗友里の気持ちを分かっているのか、余計なことは訊いてこなかった。
それは、
「この男も、正体がバレるのを恐れて、わざとこちらのことを聞いてこなかったのではないか?」
と思うようにもなっていた。
最初は、
「どうせ疑似恋愛なんだから、必要以上の情報があったとしても、別に何も変わりない」
と思っているのではないかと思ったが、こんなに簡単に金を渡す女の正体に興味がないというのも、少し違う気がした。
だから、彼も自分の正体がバレるのを恐れたのだと思ったが、ではこの男の正体がどこにあるのかと思い、そういう目で見ていれば、おのずと分かってくると思った。