脳内アナフィラキシーショック
今はどうなのか分からないが、昔であれば、そんな屋外でのイチャイチャは、ホームレスの連中には恰好の酒の肴となっていたということもあったようだ。しかし、これはあくまでも高杉の妄想であって、
「そんなバカなことが、この時代にあるわけはない」
と、勝手に思い込んでいたが、実際にはどうなのだろう?
ただ、そのことを想像したことで、ここで死んでいる男は、ひょっとすると、昨夜のイチャイチャの結果、何かやんごとなき事態が発生し、女が男を殺してしまったことで、慌てて女が逃げたのかも知れないと思えた。
顔に驚愕の表情がないのは、本当にいきなりだったからなのかも知れない。
この男が女性を暴行目的でこの場所に連れ込んだとも一瞬考えたが、すぐにその考えを捨てた、
「もし、そうであれば、女は抵抗し、この場所はもっとあれていただろう。しかも、男の顔が安らかなのは、暴行犯の表情としてはあまりにも腑に落ちない不自然さがあるのではないか」
と考えられた。
あたりを見渡してみたが、何ら不自然なところもなく、それだけに、今自分にできる初動捜査は何もないということを悟った高杉だった。まずは警察の到着を待っているしかないようだ。
それにしても、まさか自分が死体の第一発見者になるなど思ってもみなかった。
ということは、自分が第一発見者として先輩刑事から尋問を受けるということである。きっといろいろ聞かれるのだろうが、なぜ、ここにいたのかなどということを訊かれるとどう答えようか考えてしまう。だが、どう考えても正直にいうしかなく、その正直さといいうのは、少し恥ずかしい行為であるのは間違いないはずだが、それを思うと、顔から火が出てきそうに思えてきた。
ただ、一つ気になるのが、目の前にいる男がチンピラ風だということだ。チンピラと公園は結び付かないわけではないが、殺される場所としては結び付かない感じがあった。
ただ、いかにもチンピラ風というだけで、本当のチンピラなのかも定かではない。その様子を見ていると、どこか、不自然でもあった。髪型も五分刈りくらいになっていて、高杉の考えるチンピラとは少し違っているような気がした。
「この男、どうして殺される必要があったのだろう?」
公園の奥にある雑木林と言ってもいい場所で、人知れず殺されている死体を発見したのは、ネコによる誘導だった。
もし、ネコが誘いかけてくれなければ、この死体は誰が発見することになるのだろう?
「ホームレスか? それとも、カップルか?」
と思ったが、そのどちらも警察に通報するだろうか?
ホームレスなら通報はするだろうが、カップルであれば、一緒に通報するということはないような気がした。
ホテルにでもいけばいいはずなのに、ここで済ませようとするというのは、お金がないからなのか、それとも、ホームレスでもいいから、見られたいという一種の変態によるものなのかと考えられる。
ホームレスは、そんなカップルが数組はいることを知っていて、お互いに顔は知らなくても、一度も面識はなくとも、立場としてわきまえているので、見るだけで、決して邪魔をすることはないだろう。これはあくまでも私見であるが、女の方がこういうプレイには積極的な気がする。妖艶な笑みを浮かべて、
「見て」
と言っているような女の顔に、ホームレスは相当興奮していることだろう。
ホームレスは、俗世間から離れているからと言って、別に仏門に入ったわけではない。屈辱感や、憔悴を少しでもなくそうとして、無感情になることと、決して必要以上にネガティブにならないということからも、感情を押し殺すことに慣れてきていたはずなのに、ここで得られる刺激には至高の悦びを感じていることだろう。
「どれだけぶりの興奮だ? 忘れていた人間としての俗っぽさを思い出させてくれる」
と思っているかも知れない。
ホームレスだって、何らかの事情でここにいるのだろう。世相に逆らえず、職を失い、そこから坂道を転がり落ちるように、家族も一緒に失ったのだとすれば、ホームレスになる理由も分からなくもない。
気分的にネガティブにならなければ、やっていけないことはない。それまでの自分をすべて社会から否定され、まるで処刑されたかのような気分になれば、自殺しないだけいいのかも知れない。
そもそも死ぬ勇気のないことでホームレスになったのだとすれば、性的興奮は、彼らにとって、ある意味生きていることを実感させられるという意味で、重要なことだったに違いない。
「社会から抹殺されて、公にこちらに見せつけようとする変態カップルを見るくらい、バチも当たらないだろう。俺だって好きでこんなことをしているわけではない、もし、ここから這い上がったとしても、先は見えているんだ。何しろ一度底辺で地獄を見ているからな」
と思っているのではないだろうか。
ホームレスにはホームレスで、それぞれの社会を形成している。それを誰も知らないだけで、ある意味秩序と言ってもいいだろう。
行政も警察も、基本的にはそんなホームレスをなくそうとしている。彼らに職を与えたり、衣食住を提供さえできれば、彼らはホイホイと従うのではないかと思っているかも知れない。
警察官はそこまで、お花畑にいるわけではないだろうが、行政の人たちにどれほどホームレスの立場や考え方が分かっているか疑問なだけに、きっと説得する時も、上から目線なのだろう。
それを思うと、高杉は何かやり切れない気分になっていた。
「俺にとっても、身につまされるような気がするからな」
と想うと、急に気持ち悪くなったのを感じた。
臭いにむせたのか、それとも目の前の死体を意識しすぎなのだろうか。
やはり、まだ警察官になりたてで、実際に殺人現場に足を踏み入れたことなど数回しかない。それなのに、自分が第一発見者になるのだ。気持ち悪くないわけはない。
ただそれを思うと、ほとんどの死体の第一発見者はこんな気持ちだったのだろうと感じた。警察官の自分はそう簡単に納得しているわけにはいかないのだ。だから、少し初動曽佐をしてみたが、何も見つかりそうもない。
時計をみれば、発見してからそろそろ十分、誰かが来てもいいことだろう。高杉刑事は何とかそうやって気を紛らわせていたが、気分が悪くなったのは、第一発見者になったからなのか、少し分からなくなっていた。
だが、この気分の悪さは確かに血の臭いを感じたからだ。死後かなりの時間が経っているはずなのに、血の臭いを感じるというのはおかしなものだった。
すると、少し感覚がおかしなものになってくる気がした。
まるで身体が宙に浮いているかのような感覚に陥ったのだが、浮いている身体は頭の奥を刺激して、それが幽体離脱のようなものではないかと思わせた。
目の前にいる自分が見えたような気がした。それは死んだ人間が魂になって、横になっている自分の肉体を見ているかのような光景であった。
「そんなバカなことがあるはずない」
と打ち消したが、自分が死んだという意識はまったくなかった。
ただ、しいていえば何か息苦しさがあった。しかも、この思いは今までに初めて感じたものではなかったような気がする。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次