脳内アナフィラキシーショック
「領域や縄張り」
という意味になるのか。、いわゆる。
「テリトリー」
というものらしい。
つまり、ネコは環境が変わることをすごく怖がるという。ということはいつも行動している場所から少しでも離れると臆病になり、ストレスを感じるものだという。確かに、イヌのように従順ではないので、人を見下して見ているのではないかと思われがちだが、そんなことはない。猫は犬のように、嗅覚が異常に発達しているというようなものはない。ただ、人間やイヌに比べて、身軽ですばしこいところがあるので、特に塀や屋根の上から見下ろされると、上から目線に見えてくると感じるのも無理もないことかも知れ合い。
だが、ネコが自分のテリトリーから離れたくないという発想は、何も今に猫だけのものではない。人間だって、言ったことのないところにいきなり一人で置かれたら、どう感じるだろうか?
まわりは知らない人ばかり、子供の頃、遊園地などで、楽しみすぎて、ふと気づくと、いったことのない場所にいて、思わず泣きだしたということだってあるだろう。幼稚園は小学生くらいになって、親が遊びに連れて行ってくれた遊園地であったり、百貨店であったり、親と一緒だから安心して知らない場所でも、それほどストレスを感じることなく、普通に入って行くことができる。それが、まったく知らない場所に放りだされた時の恐怖を、子供心にも分かっているだろう。
おぼろげな記憶であっても、迷子になって、親の名前を叫びながら、泣きわめいたという記憶くらいは残っているはずだ。その記憶は、きっとまわりの大人が、
「大丈夫? 心配しなくてもいいよ」
と言って慰めてくれているのを覚えているはずだ。
しかし、それでも、余計に泣き喚いたはずだ。一人でいるのとでは全然心細さが違ったはずなのに、どうして泣き止まなかったのか、本当に怖かったのなら、慰めてくれていたことすら覚えていないはずだ。それを覚えているということは、思ったよりも冷静だったということではないか。冷静だったのだが、不安には打ち勝てない。それが、どうしてかというと、自分の知らない場所に放置されたことが、まわりに人がいることで幾分か恐怖が薄れているはずなのに、実際には泣きわめいていた。それこそが、テリトリーの内と外とでの感覚の違いであろう。
そう考えてみると、
「人間はネコとイヌのどっちに似ているのだろうか?」
ということを考えた時、高杉は、
「猫に似ているのではないか?」
と感じた。
何よりも、イヌほど、人間に対して従順ではないということであろう。さらには、今のように、人間は場所よりも人だろうと思っているが、このように猫のように、自分の領域というものをしっかり持っていて、そこを人に犯されたり、荒らされたりするのを、極端に嫌がるものだ。
もっとも、これは、
「イヌとネコ。どっちに見ているのか?」
という二者択一というだけのことなので、賛否両論の世界であるが、高杉は今ネコをじっと見ているせいか、まるで自分がネコになってしまったのではないかと思っている。
ネコと一定の距離を長時間保っていると、イヌであれば、
「もう近づいてくることはないような気がする」
と思うのだが、ネコであれば、
「ひょっとすると近づいてくるかも知れない」
と思うのだ。
人によっては、
「それは逆ではないか?」
と思われるであろうが、実はそうではない気がした。
短い時間、見つめ合っていて、
「どっちなら近づいてくるだろうか?」
と言われば、
「イヌじゃないか?」
と答えるだろう。
しかし、自分の中にある許容時間というものを超えれば、今度は逆の思いが頭をよぎってくるのだった。
イヌであれば、寄ってくるかも知れないという自分にとっての許容時間を超えれば、
「これは、懐くまでには時間が掛かるな」
と思うのだ。
しかし、ネコであれば、興味を持ってこっちを見つめているのだろうから、許容時間を超えてもこちらを見ているということはそれほど興味があって、第一歩が踏み出せないだけかも知れないと思う。
そうなると、興味がなければ、さっさとプイッとなって、何事もなかったように、歩いて立ち去るネコを想像する。怖いという感じではなく、自分を優雅に見せるということを忘れないような挙動を感じるのだが、ネコというのは、それだけ用心深くはあるが、人間に対して興味を持っているのではないかと思うのだ。
高杉は、
「イヌとネコ、どっちが好きだ?」
と訊かれると、即答で、
「イヌだ」
と答えるだろう。
イヌの中には、本当にずっと見ていても飽きない種類の犬もいる。
実は高杉の好きな犬の種類というのは、子供の頃から少し変わってきていた。
子供の頃は、柴犬や秋田犬のような凛々しい顔の犬が好きだったが。大人になってからは、パグであったり、ペキニーズのような、言い方は悪いが、少し潰したような顔に愛嬌を感じていたのだ。
特にペキニーズなどは、身体が重たいのか、歩き方ものしのしと歩く感じで、実に滑稽に見える。
しかし、彼らほど、勇敢で義理堅く、仲間意識の強い犬もいないという。ただし、ペキニーズをペットとして飼う場合、ペットショップの人から、
「イヌというよりも、ネコだと思って飼ってあげてください」
と言われたという。
それというのも、
「ペキニーズは気位が高い品種で、気分屋なところがあるから、いくら慣れた買主であったとしても、いきなり吠えてきたりします。でも、基本的にはこれほど優しく、自分の仲間を自分で守ろうとする勇敢なところがあるのは、この子たちの他にはいないと言ってもいいでしょうね」
と言って、胸を張りながら話していたようだった。
そんな話をペキニーズを飼っている親戚のおばさんから聞かされたことがあった。
「何しろ、西大后のペットだったというし、英国のビクトリア女王に寵愛されたとも言われている犬ですからね」
ということであった。
だが、イヌはしょせん飼い主に懐くので、可愛いことには変わりない。
高杉の家では、今まで犬を飼うことがなかった。それは母親の意見であり、実は、昔両親が結婚した時に、イヌを飼い始めたのだが、高杉が十歳未満の時、そのイヌが死んでしまって、まだ子供だった高杉は寂しいという思いはあったが、それ以上ではなかった。しかし母親は、さらに可哀そうという思いから、
「死に目に逢うのは辛いから」
という理由で、二度と動物は飼わないということで家で何かを飼うことはなかったのだ。
そういうことで、イヌを飼っていたという記憶はほとんど残っていない。
だから、高杉は、基本イヌが好きだったが、ネコも好きだった。公園で自由なネコを見ていると、
「何か自分がそうありたいということを実践してくれているような自由さだな」
と感じるのだった。
ネコとイヌは実際には結構仲が良かったりするもので、一緒に飼っている人も知っていて、
「うちでは、ネコちゃんが強くて、ネコが威張っているんだけど、でも、ネコを助けるのは、イヌなのよね」
と言っていた。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次