脳内アナフィラキシーショック
なるほど、彼らは検挙率も高いが、スピード解決という意味においても、群を抜いている。それはきっと初動捜査の段階に重点を置いているからであり、一度解決のきっかけを逃すと、次第に事実に近づくためのスピードが遅くなる。そして時間の経過とともに、考えが混とんとしてきて、しかも証拠となるものを見つけることが、極端に難しくなるのだ。それを分かっているのが、K警察刑事課であり、署長ご自慢でもあった。
署長は、よく刑事課の課長とは昵懇であることから、よく会食を行っているということで、馴染みの店では、よく署長が酔うと熱く語っているというのを耳にすることがあった。これも二時間ドラマなどでよく見る光景で、優秀な警察はこのようなものだとドラマのスタッフが分かっていて作っている作品なのか、署長がドラマを見て、そういう警察を目指したいという意味から、敢えてドラマを模しているのかは分からない。しかし、見ていて安心できる光景であるのは間違いないことだった。t
そんなK警察署に赴任してきた高杉刑事は署長が自ら引っ張ってきたという話もあるが、真相をもし知っているとすれば、刑事課課長か、一部の上層部くらいであろう。この年に新人は数名いて、交通課や生活安全課にそれぞれ赴任していた。警察というところは、刑事がいるだけの場所ではないということである。
公園のネコ
K警察署の近くに、都心部でよく見られる、ビルの間にある公園がある。その公園は、まわりにはマンションや、商業施設の入ったビルや、いくつかの会社が入った雑居ビルなどが存在していたが、人通りや利用する人は多いのだが、それは一定の時間が多いだけで、中途半端な時間には、ほとんど人がいないという状況であった。
昼間などは、ちょうど春の陽気に誘われて、OLやサラリーマンがお弁当を持って、各々ベンチに座り、ランチを食している。男性社員はほとんど一人が多く、弁当もコンビニが多いが、女性社員は、数人でランチをしていて、こちらは、自分の手作り弁当が多かった。
ただ、これは十分想定できる光景で、むしろ、こういう光景しか想像がつかないと言ってもいいくらいであり、ある意味。この時間が一番公園らしい時間帯ではないかと言ってもいいのではないだろうか。
ただ、ほとんどの会社は昼休みの時間は決まっていて、公園でランチが見られるのは、十二時頃から一時過ぎくらいまでである。その時間を逃すと、ほぼ一人で食べなければならなくなり、一人では恥ずかしいと感じる人はこなくなる。そうなると、昼休みが前述以外であれば、ここで遅いランチを食そうという人もまずいないと考えるのは妥当なことであろう。
この公園は、日の出前後には、犬の散歩の人を見るくらいで、ベンチに座っている人もほとんどいない。
朝の出勤時間でも、たまにここでコーヒーを飲んでいく人もいるが、昼のランチタイムのように集まってくるわけではなく、朝のコーヒータイムは、OLであっても、一人が多かった。
ただ、本当はいけないのだが、タバコを吸いたいと思う人がいるからだろうか。加熱式タバコを吸いながら、コーヒータイムとしゃれこんでいるようだ。いくら加熱式とはいえ、人を巻き込みたくないという気持ちがあるからなのか、それとも朝は出勤時間が違うという意味で一緒になれないということなのか、必然的に、単独の人ばかりだというのが、朝の光景であった。
十時を過ぎると、日が上ってきて、公園も暖かな空気に包まれるが、ベンチに座っている人を見ることはほとんどない。足早に公園を抜けていく人がまばらに見られるくらいで、立ち止まったりする人は、ほとんど散見することはできなかった。
昼の時間は、前述のようなランチタイム。そして、午後三時をすぎたくらいから、やっと人が集まってきたりする。赤ん坊の散歩だったり、幼児を公園で遊ばせる母親を見かけるのだが、ほぼ毎日来ているであろうから、皆顔馴染みというところである。
「奥さん、今日はいつもより遅いですね?」
「ええ、この子がお昼寝から、なかなか覚めてくれなかったんです。その間に前倒しで家事をこなしてきたので、夕方は少し時間に余裕があるんですよ」
などという会話が聞こえてきたり、聞こえてこなかったりと、実にほのぼのとした光景であることは間違いない。
ちょっと行けば、警察署もあり、郵便局もある。学校にしても、小学校もあれば中学校もあるあたりで、会社も散見されるが、このあたりは都心部の中でも、住宅街に属する地域と言ってもいいだろう。
そのため、この時間帯は、小学生や中学生が家路を急ぐのに、公園を抜けていく姿も結構見られる。公園で遊んでいる子供もいるが、一時期に比べて減ったらしいということを、高杉刑事は、配属になった刑事課の方で教えてもらった。
「一度、時間があったら、ベンチに座って、しばらく観察してみたいくらいですね」
というと、
「それもいいだろう。ただし、事件のない時な」
と言われた。
その公園は夕方になると、今度は人間よりも動物の数が増えてくる。ちょうどその時間が勤務終了時間だったので、寄ってみることにした。すると。六時過ぎのそろそろ日が沈もうとしている頃になると、どこからか、ネコがやってきて、悲しそうな声を挙げている。
お腹が減っているのか、寂しいのか、自分はネコではないので、分からないが、この状態を人間であれば、まず寂しいと思うだろう。それに誰かが構ってくれるのであれば、何か食べ物が貰える可能性も高いので、声を出したくなる気持ちも分からなくもない。
「猫撫で声とはよく言ったものだ」
と感じるが、実際に猫たちが寄ってくるのは、本当に慣れた人だけで、たまに行ってもすぐに逃げられてしまう。
気のせいであろうか、集まってくるネコはそのほとんどはクロネコである。三毛猫や白いネコ派見ることはできず、それだけに皆同じ猫に見えて、慣れている人でも間違えるのではないかと思うほどであった。
ネコに何を挙げればいいのかと思っていたが、目の前のポスターに、
「無秩序で身勝手な餌やり行為や、動物の投棄はおやめください」
と書かれていた。
そのポスターは、公園の棒物を適正に管理するグループが掲げているもののようで、なるほど、野良猫がいるのといのは、一度は飼われていた猫が飼い主の都合によって捨てられた場合に発生しているのだろう。
飼い主の死亡などのように、やむ負えない場合もあるであろうが、飼い主の転勤、家が手狭になった、果ては、飽きてしまったなどという本当にどうしようもない理由もだるだろう。
転勤が多いことを分かっている人はそもそも猫を飼ってはいけないだろうし、家が手狭になったのなら、ネコが飼える大きな家にでも引っ越せばいい。飽きたなどというのは論外で、そんな奴は最初から猫を買うなど、ありえないことである。
それは、最初から分かっていたことを、その時の感情を抑えられずに飼うことにしてしまったのは仕方がないとしても、飼えなくなったらどうするかということくらい、最初から考えておかなければいけない。転勤にしても、手狭が原因にしても、ちょっと考えれば分かることだ。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次