脳内アナフィラキシーショック
「ええ、そうです。きっと高杉さんは、ハチに刺された時の意識を、夢の中で見たことでしょうね。でも、そのハチに刺されたという夢は今までにも何度か見ている。見ていてその夢の内容を覚えているわりには、それ以外の記憶が定かではなくなっていた。ただ、むしろ曖昧になってくる現象は、夢でなくとも当たり前のことなんですよ。時間が経てば記憶は曖昧になってくる。なぜなら、途中から記憶というところに移動するからなんですよ。そのタイミングというのは、人それぞれだし、意識の持ち方でも決まってきます。ただ、その容量には違いはないので、おのずと、記憶に移行するタイミングは人によって違うというわけです。でも、その記憶から意識に移さないと、もう一度夢を見ることはできないんですよ。しかもその意識は潜在意識でなければいけない。そこが同じ夢を見れるかどうかの分岐点になるんです。人間であれば、誰もがその分岐点を分かっているはずなんですが、それを意識できないがために、同じ夢を見ることは決してできないと思い込んでしまうんですね。それは、一種の自己暗示で、それが当たり前のようになっているのが、夢と現実を使い分けるという、人間の意識の中にあるテクニックと言われる部分だと思うんですよ」
と先生は説明していた。
そう言われると、疑問に思っていた部分が少しずつでも瓦解してくるように思えた。
これまでに何度も失った記憶の中で、高杉はどんどん記憶が現在に近づいていたのだ。
なぜなら、夢の中に出てきた自分は、夢を見ている自分は、あくまでもハチに刺された少年時代なのだが、夢の登場人物である友達だったり、家族や先生は、夢を見ている時の自分の世界そのものだったのだ。つまりは夢を見た時が大学生であれば、自分だけが子供で、まわりの友達は大学生であり、親も大学生の頃の自分と比較できる年齢だったのだ。
考えていれば、過去の夢を見た時というのはそうではなかったか、自分だけが過去に戻っていて、まわりの人は現代なのだ。背景は過去のものなので、自分がいることへの意識に違和感はないが、まわりに人は違和感だらけであった。
そんな夢をこの入院中に何度、気を失いながら見たことだろう。しかも、それは一度だけではなく何度も見ているのだ。その見た夢は既視感があり、初めて見る夢ではないということは何度目かには確信に変わっていた。
夢から目覚めた時にはいつも、先生が目の前にいた。
「先生、どうして、すぐに目の前におられるんですか? まるで目が覚める時間が最初から分かっていたようじゃないですか?」
というと、
「いやいや、それが錯覚の元になるんだよ」
「どういうことですか?」
「君も今までに覚えがあるかも知れないけど、自分が意識していない時、目が覚めたその時に、どうして相手が分かったんだろうって思うことがあるだろう? それは今回と同じ理屈なんだけど、それは当たり前のことなんだ。これは君に限らず誰もが意識としては持っているんだけど、そのことについて皆自分だけでしか分かっていないと思っているので、余計に自分で感じている理屈が結び付いてくるとは思わないんだろうね。きっとステップをいくつも経由しないと理解できないこととして、勝手に難しくしてしまっているんだと思う。それが余計な発想を生むことで、理解できないのだろうが、遠回りすることも実は大切なことなんだ。つまりは、遠回りするからこそ、潜在的に分かったように思うのだろうね。まさか遠回りの末に辿り着く意識だなんて、誰も考えたりはしないだろうからね。それが夢のメカニズムだと私は思うんだ」
「結局、どういうことなんですか?」
と、痺れを切らして聞いてみると、
「少し焦らしてしまったようになったけど、これはすまないことをしたね。つまりはね、君も聞いたことがあるかも知れないが、夢というものは、どんなに長いと感じる夢であったとしても、目が覚める直前の数秒で見るものだという発想なんだよ。それは、夢を見ている間、意識がギュッと凝縮されているということでもあるんだけど、それよりも、さっき言った、遠回りの発想を抱かせるためのものでもある。だから、ここに現実に戻った時と夢の中での大きな埋めることのできないギャップがあることで、夢を意識として目覚めることはできないんだ。夢は夢としての記憶の格納場所が存在していて、実際の記憶と混同しないようにしていると私は思う。だから、同じ夢を基本的には見ることはできないものだし、見たとしてもその意識がハッキリと分かるものでもないんだよ」
と先生は言った。
「つまり、今まで自覚していたことは単独で考えるから、真相には近づかなかったけど、今の先生の説明のように、なかなか理解は難しいけど、理論立てて考えると、おのずと見えてくるものがあるということでしょうか?」
と聞いてみた、
「そういうことになると思うよ。私も今こうやって説明をしてはいるけど、理解してもらおうとして話をしているわけではない。ただ、もし理解できるとすれば、今のような状態でないと感じることはできないと思うんだ。それで話をしているんだけどね」
という先生に対して、
「でも、先生はその結論に、しっかり達しておられて、他人に説明できるだけの理解をされているわけですよね。先生も今僕が受けているような状態を、誰かに作ってもらったりしたことがあったということでしょうか?」
と聞くと、
「それはハッキリとは言えない。いや、言ってはいけないことになっているので、申し訳ないが、これ以上、私のことには触れないでほしい」
ということであった。
「じゃあ、僕が今こうやって受けている検査のことも、誰にも話してはいけないということですか?」
と聞くと、
「いや、別に話をしてはいけないわけではない。でも、聞いた方が理解できるわけもないと思うし、それ以上に、君にこれを他人に対して正確に伝えることができるかどうかと言えば、できないんじゃないかい?」
と先生に言われ、思わず顔を伏せてしまった。
「ええ、その通りです、完全に看破されてしまいましたね」
と言って微笑んだが、その笑みの中に屈辱感があることを、先生には分かっているに違いないと思った。
「今の君が受けている検査は、実は私にとっても、いい試験になっていると思っているんだ。これを研究材料にして、さらなる薬の開発に役立てたいと思っているのだけども、基本的には実用化は難しいと思っている」
と先生が考えながら言った。
「それはどういうことですか?」
と聞くと、
「この薬品は臭いがどうしてもきついのと、本当に正常な人が服用すると、その副作用が懸念されるんです。理論上、かなりの副作用がある。だから、服用時点でかなりの制限があるこの薬は、薬剤師の処方でも、難しいところがあります。きっと認可が下りることはないと思うんだよ」
と先生はいう。
「じゃあ、どうするおつもりなんですか?」
と高杉が訊ねると、
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次