脳内アナフィラキシーショック
それを思うと、豊臣秀吉はある意味余計なことをしてくれたものだ。
彼は花見が好きで、よく大きな公園で花見の会を催しては庶民とともに楽しんでいた。さすがは庶民出身の天下人だと言えるだろう。時代としては、戦国の世が終わって、一人の天下人を中心として、基本的には戦のない時代を絶対的な条件として、それまでの幕府の時代とは違った絶対的な権力を持つことで、戦のない時代を建設しようと思っていたことだろう。
そのためには民衆の期待を一身に背負う必要もある。さらには、大名にとっても、
「絶対に逆らってはいけない」
という力を見せなければならず、その象徴が、大判小判という金であり、大阪城や聚楽第のような金箔を催したこの世の天国に見える権勢であったのだろう。
徳川時代のように、本当であれば、倹約を基本にしなければいけなかったのかも知れない。江戸時代でも途中から幕府は財政難に見舞われたのだから、秀吉の時代は、ある意味一代が妥当だったのかも知れない。
だが、秀吉ほどの頭の切れる人物であれば、天下をほしいままにした痕であれば、倹約をしたかも知れない。まだ自分の時代が盤石だとは思わず、まだまだ安心できなかったと思えば、その後の彼の異常な行動派説明もつくかも知れない。
彼は、天下を取ってから少しの間は、新しい国造りのために、心血を注いできたが、弟である秀永、母親、第一子の鶴松の死と、自分にとっての大切なものを次々と亡くしたことで、おかしくなったという説もある。その結果、千利休への切腹命令、後継関白である秀次への関白はく奪の上の切腹という秀次事件。さらには、息子への誹謗中傷の書き込みに対して、関係者と目された人間に対して、そのほぼ全員を虐殺するなどという暴挙や、朝鮮出兵などと反対する人も多い中での凶行は、正気の沙汰ではなかったということである。
なぜ彼がそんあ狂気を起こしたのか、歴史上の謎ではあるが、身内が次々に亡くなっていくというショックは、彼ほど家族思いの人はいなかったということから、同情の念は隠し切れないが、逆にいえば家族に対しては必要以上に擁護するが、他人であれば、家族であろうが関係ないということであると思われても仕方がないだろう。
家族思いも他人に対しての態度次第で、まったく別の顔に見えてしまうということの証明でもあろう。
そんな秀吉の大好きな花見のこの時期というのは、本当に出会いや別れの時期であり、この時期は、急に街に人が溢れるように見えてくるのは、どうしてだろうか?
それまで学生が休み中だったというのもあるだろうが、その割に、皆が新しいスーツに身を包んでいるように見え、今まで見ていた人はどこに行ってしまったのかと錯覚してしまいそうなくらいであった。
しかし世の中には、そんなに新入社員が増えているわけではない。新入社員と言っても新卒なので、今の時代は昔ほど、新卒を取る会社もそんなに多くないというではないか。会社によっては、即戦力になる経験者の途中入社しか取らないところもあり、大企業で、毎年全国で百人近い新入社員を取っていた会社があったというのも今は昔、大企業が軒並み、新卒を取らないようになった経緯が過去にはあり、それがそのまま今に繋がっている。いわゆる、
「就職氷河期」
と呼ばれた時代である。
最近は「何とかミクス」なるわけの分からない政策で、政治家本人は景気がよくなったと言っているが、それは切り取った数字を並べているだけで、その証拠に、一般企業で、実際にその景気の良さを感じている人がどれだけいるというのだろう。せめて、横ばい。よくなったという感じはまったくと言って感じないのが実際なのだろう。
政治家の無策や、愚策によって、悪くなるばかり。挙句の果てに、十年くらい前には、よくするどころか、我々が老後のために蓄えていた年金を消すという世紀の大失態を犯したことを、よもや忘れてはいないだろうか。
そのくせ税金は上がる。医療費などの社会福祉費は上がる一方。そのくせ、政治資金を贈収賄に使うという話が、次から次へと出るわ出るわ……。政治や政府に対しての不満は爆発寸前だったのに、今度は世界的な伝染病の流行で、政府はすべて後手後手に回ってしまい、国民に苦痛を強いていながら、
「自粛してください」
と言っている連中が、歓送迎会で、自粛時間まで飲み会をやっていたという体たらくが、それから以降もどんどん出てくるというものだった。
「この国は、有事になると、これまでは少々のことが気にならなかったことがどんどん目立ってくる。それはきっとそれぞれの考えの温度差であろう。国民は、お互いに気を付け合って、疑心暗鬼に見舞われながらも、何とか政府がいい方向に導いてくれると、期待している(かどうかは疑問だが)。それを、やつらは自分たちを特権階級とでも思っているのか、試験を潜り抜けてきた選ばれた人間とでも思っているのか。特に若い連中は、本当はこれからなのに、何を勘違いしているのか、政治家になってしまえば、後は、先生先生と言ってくれて、お金さえバラまけば、安泰だとでも思っているのか、実際の本音を聞いてみたいものである」
と、どこかの雑誌にこのようなことが書かれていたが、まさにその通りではないだろうか。
とにかく、政治家と一般庶民との距離が遠すぎるから、年寄り議員の中で、
「自分は庶民派」
などと言って、言いたいことを言っては、国民感情を逆なでする政府の長老のような人もいれば、
「裏で、政府を動かすフィクサー」
もいたりする。
その男が本当に信頼できることを言っていないことは、今の政治や政府を見ていれば分かるではないか。
無作為にマスクを配ってみたり、アーティストの動画に勝手にコラボして、人気を得ようと思ったようだが、実際には、
「マスクを配っている場合か? 疲弊しているところに現金支給だろう?」
あるいは、
「動画に出ている暇があったら、もっとやることがあるはずだ。保障の法律と、予算を通して、国を救わずにどうする。亡国の首相と言われてもいいのか?」
なるものもあったくらいだ。
まあ、もっとも、政府が無能なのは分からなくもないが、国民を無駄に煽るマスコミもどうかである。そりゃあ、煽れば自分たちが儲かるだろうから、そうするんだろうが、もっと先を見れば、煽りすぎて首が回らなくなれば、出版社や新聞社なんて、まるでオオカミ少年のように、誰も相手にしなくなるだろう。
まあ、その後もさらにひどいやつが首相になったりしたわけで、消去法で首相になり、ただの、
「繋ぎ役首相」
としてしか見られていなかったくせに、よくもまあ、あんなにおかしなことばかりが目立ったものである。
世襲ではなく、貧乏家庭に育った少年が首相迄上り詰めた苦労人という触れ込みだったくせに、実際には裕福だったというウワサがあったり、息子が首相の息子という立場を利用して収賄を行い、行った連中が更迭されたにも関わらず、息子はおとがめなしだったりするという体たらく。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次