脳内アナフィラキシーショック
「あの被害者は、そんな下衆な野郎だったんですね。こういっちゃいけないのかも知れないが、殺されるだけの理由は十分にあったということでしょうね。だけど、そうなると、やつにはこれまでに、どれだけの女性が被害に遭ってきたのか、今の話を訊いてみると、そんなに少ない数ではないようですね」
と、辰巳刑事が怒り心頭という感じで話した。
この思いはまわりにいた捜査員皆が思っていることで、桜井刑事の報告を訊いていて、顔を真っ赤にして歯ぎしりをしていた捜査員もいるくらいだった。
「何てやろうだ。こんなやつ、殺されても仕方がないじゃないか」
と言いたいと思っている人もいるだろう。
時に娘を持つ親としては、こんな男が存在しているだけでも許せないと思っている。
「それにしても、警察の詐欺係やマルボーは一体何をしているというのだ?」
と言いたいのもやまやまであろう。
だが、口が裂けてもそんなことを言ってはいけないと思うのか、その気持ちが顔から出てくることを憚る気持ちは一切なかった。
「要するに、口に出しさえしなければいいのだ。心で思っているだけなら、いくらでもいいんだ」
という思いである。
「山岸修二? どこかで聴いたことがあるような気がするんだけどな」
と言ったのは、辰巳刑事だった。
「辰巳君は知っているのかい?」
と門倉刑事に訊かれて、
「何となく記憶にですね。たぶんですが、何かの事件で聞き込みをした人の中にいたような気がしたんですよ」
と辰巳刑事は言ったが、その記憶に間違いはなかった。
あれはいつだったか、あるマンションから飛び降り自殺があった時の目撃者であった。辰巳刑事が覚えているというのは、その男がチャラかったくせに、辰巳刑事にやたらと接近してきた気がしたからだ。
あたかも、
「私は警察に協力する善良な市民です」
と言いたげだったのだ。
こんな男は時々いるので、あまり気にしていなかったが、名前だけはなぜか憶えていた。印象がやはり深かったのであろう。
それ以前に、一度他の県でのことだったが、集団毒殺未遂事件があったのだが、その目撃者になった奥さんが、やたらと警察に近づいたり、マスコミのインタビューに答えたりしていた。事件が進むにつれて、その奥さんが怪しいという話になり、毒薬が見つかったということで、その奥さんが逮捕されたのだった。
裁判では、有罪となったのだが、控訴をしているようだった。原告側は無罪を主張、普通であれば、毒を所持していたという証拠が見つかったのであれば、もう言い逃れができないのだろうが、話を訊いてみると、どうやら、同じ毒でも微妙に調合が違っているらしい。
その毒には数種類ほど、毒としての調合法があり、それによって、毒の効き具合も変わってくる。
弁護側は、
「彼女の所持していた毒の調合では、被害にあった人たちのような症状は出ない」
と反論したが、受け入れられなかった。刑は確定したようだが、それでも、無罪を訴えている。
その話が頭にある辰巳刑事は、この事件のように、
「どっちとも取れる場合があるから、難しいけど、やはり警察やマスコミに自分から近づいているのは、情報を引き出したい」
という犯人心理によるものだろうと思っているが。だからと言って、状況証拠だけで犯人と決めつけるのは、症状の違いが明らかだということで、原告側も証拠提出している。
それだけに、迂闊な捜査をあたかも、間違っていないという信念のもとに繋いでいくと、少し躓いた時、自分でどうすればいいのか分からなくなってしまう。
一度は間違いないと思っただけに、そのまま突っ走ってしまうか、それとも、一歩下がって落ち着いて状況を考えてしまうかの問題である。
一気に突っ走るのは簡単であるが、後から思いもよらない逆転の一手を出された時、うろたえるようであれば、自信が揺らいでいる証拠ではないだろうか。その状態で突っ走っても、最後には冤罪を生んでしまったことで、一生後悔しても仕切れない重荷を背負って生きていくことになると思うと、
――一体、どうすればいいんだ?
と考えてしまうだろう。
だから、あれからの辰巳刑事は、自分では完全だと思える証拠が見つかっても、一気に攻めるようなことはしなかった。
もちろん、証拠一つであれば、相手が簡単に打ち返すことができるかも知れないので、打ち返されれば形勢逆転である。
しかし、証拠にも何重もの仕掛けを施しておけば、一つが崩れても、その瞬間別の証拠が相手を襲う。最初の証拠を覆すために、必死になってアラを探したにも関わらず、この証拠はそのアラを埋めてしまった。却って、相手の反論が墓穴を掘ることになるというのもよくある話だ。
警察官は確かに、犯人を洗い出して、その人が犯人であるという証拠を掴み、それが裁判所で認められれば、逮捕状が出て、逮捕することができる。
そうすると、犯人を拘留でき、その拘留期間に犯行を自白させたり、他の証拠を握ることで、検察が起訴すると、そこまでが警察の仕事である。
逮捕までの行動はほとんどが警察の足によるものだが、逮捕後は検察も入り込んでくる。検察が起訴してしまえば後は裁判ということになるが、警察官は、原告側の証人として法廷に立つこともあるだろう。
裁判に入ってしまうと、検察官と弁護士の戦いである。
弁護士は必至になって、被告人の利益を守ろうとするだろう。そもそも弁護士というのは、
「依頼人の利益を守る」
というのが仕事である。
極端な話でいえば、もし被告が犯罪を犯していると分かっていても、被告が依頼人であれば、なるべく無罪に持って行こうとし、それが無理なら、情状酌量を狙う。
もし、無罪が難しいと考えれば作戦を変更して、被告が本当はいい人間だということを宣伝するような証人を連れてきたり、彼のいいエピソードを探してきて、ちょっとしたことであっても、さも大げさにいうことで、裁く側の心証をよくしようとするのである。
弁護士が皆正義の味方のように思っている人がいるとすれば、それは大きな間違いで、本来であれば、適正な裁きを受けなければいけない人が無罪になったりもするのだ。そういう意味で、弁護士も検事も、簡単な商売ではないということであろう。
辰巳刑事は今までに何度となく理不尽な裁判を見てきたが、
「やはりそれはしょうがないのかな?」
と感じていたのだ。
今回はそんな男が被害者になった。あの時の事件と何か関わりがあって、それで今回のようなことになったのかも知れないが、自殺に間違いはなかったので、それと結びつけるのは難しいだろう。
ただ、この男の過去を調査していれば突き当たることではあるので。完全な無視はできないだろう。
だからと言って、変に結び付けてしまうと。却って事件がややこしくなってしまうかも知れない。一つの情報をして、そして、被害者がどういう人物だったのかということを知る意味くらいで収めておくのがちょうどいいのかも知れない。
「被害者は、今のところ、働いているのは、ある風俗店のボーイのようなことをしていますが、どうやら他にすることがないので、ボーイでもさせておけというのが実情のようですね」
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次