脳内アナフィラキシーショック
「確かにその通りですね。これは私が思うにですね。高杉君の場合は考えすぎるからいけないのではないかと思っているんですよ。考えすぎるから、感覚がマヒしてくる。他の人がいう感覚のマヒとは違い、高杉君の感じる感覚のマヒというのは、考えすぎることで、一度考えたことを、無意識に打ち消そうとしている感覚から来ているんじゃないかと思うんですよ。その思いが気持ちの中で隙間を作ってしまって、その間に入り込んできたものを幻覚と感じてしまう。だから逆に捉えて。その幻覚は実は本当のことではないんでしょうか? ただ、そこに見間違いという錯視の意識が入り込んで、そこにあっていいものを、そこにはないはずだという感覚に思い込ませる。それがあなたにとっての幻覚と錯視のバランスを取らせることで、余計な不安に駆り立てるのではないでしょうか?」
と言われたものだ。
その時は、それから幻覚も錯視も見ることがなくなったので退院したが、その時のことは今でも時々思い出す。あれが人生初の入院だったからだ。
まわりの人、特に親や学校の先生は心配してくれた。
だが、その心配はどこか高杉には違和感があった。
――本気で心配してくれていないような気がする――
と感じたもので、その先にあるものは体裁であったり、世間体であったりが見え隠れし、
「あの子は何てことで入院なんかしたんだろう? 精神病だっていうことなら、世間体が悪いわ」
とでも言いたげに見えて、心配していると言いながら、親の視線は明らかに厭らしい、汚らしいものを見ているように感じられた。
そんな視線を浴びて平気でいられるわけもない。それから親や先生に対しては、一線を画して見るようになっていた。
――そっちがその気なら、こっちだって――
という思いが強く、相手はそんな目で見るのであれば、自分は分からないふりをして、こっちが利用できるところは利用してやればいいという思いに駆られていたのだった。
と言っても、まだ子供だったので、何をどのように利用すればいいのか分からなかったが、今から思えば無意識にちゃんと利用できるところはしていたように思えた。これも無意識の意識であり、自分の中で、
「無意識の意識」
というキーワードが確立されているように思えてならなかった。
無意識の記憶が潜在記憶というのであれば、無意識の意識そのものが潜在意識ということになるであろう。本来なら潜在意識を考えることが先決であろうが、潜在意識というものを意識しているつもりで、心の中のどこかでスルーしていたのではないだろうか。
それを思うと、夢というものを本来の意味と別に考えていたということになる。その原因を今なら分かる気がするのだが、それは、
「感覚がマヒしてしまったことで、潜在意識というものが自分には夢と結びつけるような強い力のものが祖納市内のではないか?」
と考えたからではないだろうか。
自分の中で、
「夢とは潜在意識が見せるもの」
という気持ちはあったくせに、潜在意識を自分の中で否定していたせいで、この言葉をどこまで信用していいものか、自問自答していたのではないだろうか。
その頃から、
「僕は本当の意味での夢を見ていなかったのではないか?」
と思うようになっていた。
どうやら、その感覚に間違いはないようで、夢を見ているその時、普段はマヒしているはずの感覚がよみがえっていて、夢の中でいろいろ考えているようだ。
そのために、夢では何かを考えないという暗黙の了解が破られて、目を覚ました時に覚えていないのではないかと思えた。
ただ、これは自分だけではなく、他の人も覚えている夢と忘れてしまった夢があるというではないか。
だとすると、皆夢を見ている時に自分と同じように何かを考えようとしてしまったことで、夢の中の記憶を消されてしまったのか、解くことのできない記憶の奥に封印されてしまったのか、そのどちらかではないかと思うと、
「意識と記憶が混乱することが、夢を忘れさせる原因なのではないか?」
と感じていた。
そもそも、意識と記憶の狭間ってどこなのだろう?
意識がどこかで記憶に変わるから、一度意識がリセットされて、考えられるだけの余裕が意識空間に生まれる。意識空間は限りないわけではなく、大きさと力には限界がある。
しかし記憶は一生かかって積み重ねていくものだから、切り捨てる記憶も中にはあるだろう。切り落とされた記憶は最初からなかったのも同じなので、それがどれだけのものだったのかなど、分かるはずもない。記憶の奥に封印された大きさを計り知ることがもしできたとしても、切り捨ててきた記憶は元に戻るはずもなく、どこに行ってしまったのか、どうすることもできないであろう。
そう思うと、高杉は、今回の入院では、中学時代の意識と記憶も掘り起こすことになるのではないかと思えていた。
先生が入院と言ったのは、それを確かめるためだったのではないかと思うと、意識が次第に薄らいでいって、睡魔が一気に襲ってくるのを感じたのだった。
捜査会議
高杉刑事が入院を余儀なくされた翌日。つまり死体が発見された翌日、司法解剖が行われ、さらには被害者の身元が判明したりしたこともあって、事件は少し先に進んだようだった。
捜査本部が立ち上がり、
「K市犬塚公園殺人事件」
という戒名がつけられたが、それは捜査本部が立ち上がった時点で、まだ何も分かっていなかったからであった。
捜査本部が立ち上がり、実際に捜査が行われると、被害者の身元なども分かってきたのだった。
「殺されていた被害者は、山岸修二、三十歳。基本的にはチンピラのようなやつで、宗仁会の息のかかったグループの男で、少し面構えが女性受けするところと、チャラく見えるところが、却って女性に安心感を与えるのか、それなりに、女友達は多いようです。でも、最近ではグループが詐欺を計画するようになってから、やつは結婚詐欺の中心になったようですね。最初は女性も安心感から一緒にいることが多いんですが、この男、かなりの甘え上手なようで、相手の女性に、自分がいなければこの人はダメになってしまうと思わせることで、女性の気持ちを離さないというテクニックを持っているようです。いや、テクニックというよりも、持って生まれたものなのかも知れないですね。だから、女性はついついこいつに甘えられるとお金を出してしまう。気が付くと、ヒモのようになっていても、女は彼から離れない。彼に、他のオンナの影は見えないからなんでしょうね。それでも結婚という言葉を口にすることはない。女の方もそのようです。結婚を匂わせて嫌われるのを恐れているんですね。その頃には、その女性はその男のために、まわりを考えられなくなっていたので、彼女に恨みを持つ人も多かったでしょう。下手に結婚などと口にして彼に捨てられたら、もう立ち直ることはできないと思い込まされた。そこがやつのテクニックだと言えるんだと思います」
と、調査してきた桜井刑事は言った。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次