脳内アナフィラキシーショック
それでも、この要望は鉄壁なもので、誰も後ろめたさもあってか、先生には逆らえない。そんな歪な性格を裏に持っているK大学であったが、それでお表はしっかりしていて、誰も伊藤医師を悪く言う人もいなかった。
伊藤医師が一人にかかりきりになることが多いので、一度伊藤医師に掛かった人は、伊藤医師しか頼ってくることはなかった。
それらの患者を決して拒否することはなかった。伊藤医師にとって、、自分を頼ってくる患者は、それだけ、その人にとって深刻な状況にあるということを、伊藤医師も患者も自分で分かっているということであろう。
伊藤医師にとって、再来の患者は、自分の研究にさらなるエッセンスを加えるという意味で、断る理由など、どこにも存在しないのであった。
そもそも、少々のことであれば、誰でも医者はいいはずなのに、わざわざ頼ってくるということは、かなり勇気のいることだ。そういう意味で、
「患者の病気の原因には、必ず何か精神的なことが潜んでいるような気がして仕方がない」
と誰もが認めていた。
今回、トラウマが戻ってきたことで、せっかく刑事になった高杉がいかに今後刑事としてやっていけるかを決めるであろうこの大事な検査は、高杉にとっても、伊藤医師にとっても、実に大切なことなのであろうことは分かっているのであった。
「高杉君は、今回のトラウマを精神的なものだと思うかね?」
と伊藤医師に訊かれて、
「ええ、トラウマというのは、精神的なことから出てくるものではないんですか?」
と高杉は答えた。
「確かにそうなんだけど、精神的なことがトラウマから生まれることもあるんだよ。トラウマが何かのきっかけもなるということだよ。だからPTSDなどというものがあるんじゃないかと思うんだ」
というと、
「まるで巡り巡ってくるようなものですね」
と高杉が聞いたが、それを訊いた瞬間、伊藤医師の顔がそれまでの温和な顔と打って変わって、急に真剣な表情になったかと想うと、
「そうなんだ。それを思うと、世の中で天災と言われるもので、人間の力ではどうなるものでもないと思われているものに対して、その現認が人間一人一人のトラウマにあるとしたら、つまりは、そのトラウマの集合体が天災をもたらす原動力になるという考えが成り立つのであれば、天災をいずれは予防することが可能になるのではと思うんだ。少なくとも予防までにいかなくても、予知することができるようになれば、そこから先は医者の力だけではなく、行政などがうまく働いてくれれば、少しでも防ぐことができればいいと思うんだが、だけど、それもかなり先の話になるだろうね」
と言っていた。
「それはどういうことですか?」
と聞くと、
「君は警察官なので、公務員だよね。公務員なら分かるところもあると思うのだが、行政というのは、自分たちだけが特別だというような意識がつよく、よそ者を受け付けないという習性もある。しかも。よほどの裏付けがないと動こうとはしない。自分たちの責任問題にもなったりするからね。そう想うと、我々がいくら研究を重ねても、それらの裏付けをどこまでできるかが問題になってくる。下手をすると人体実験なんてことにもなりかねかいからね。そうなると、医学界は崩壊してしまう。つまりは、倫理と秩序の問題が大きいと思うんだ。それぞれに重なる部分もあるが、相対するものも存在する。それを思うと、うまくいきそうなものも、難しく考えてしまって、また元の場所に戻ってくるのではないかと思うんだよ」
と先生はいう。
「先生の精神的なことへの挑戦は、究極は、天災を防ごうというところにあるんですか?」
と訊かれて、
「そこにも目標はある。だが、これが最終目的なのか、それとも他の目的に対しての途中経過なのかも実はハッキリと分かってはいないんだ。だから、暗中模索をしているというところが本音であり。どこまでできるか、まったく予想がつかない。だから、私は孤独に研究しているんだよ。他の人を入れると、その人にも迷惑が掛かって、前の仕事に戻ろうとしても、たぶんうまくいかないのではないかと思う。だから私が一人で研究するのは、堅物だからというわけではない。他人を巻き込みたくないという意識の表れなのではないか」
というのだった。
「そういうことだったんですね。先生は先生でジレンマを抱えておられる。やはり、トラウマは克服することができても、発生するジレンマというのはどうすることもできないんでしょうかね?」
という高杉に対して、
「今君が言ったジレンマとトラウマだけど、トラウマをいかに解消すればいいかという研究はいろいろなところで行われているが、ジレンマを解消しようという研究はほとんど聞かないだろう? それはジレンマにも必要なものがあるのが分かっているからさ。だけど、ジレンマを一絡げにしてしまって、ジレンマを克服という発想はないものだと考えているんだ。だから、私は、そうではないジレンマをまず理解して、解消しなければいけないジレンマの研究を行おうと思う。もちろん、解消する必要もないジレンマの研究も必要だ。なぜなら、そのジレンマはトラウマ克服のために避けて通ることのできないものとして必須なものだから、研究しないわけにはいかないんだ。だけど、ほとんどの研究者は、それをジレンマだと気付かずに研究を重ねている。私はそれも怖い気がするんだ。間違った方向に導かれなければいいと思ってね」
と先生は言った。
先生のいうことはいちいち難しい。理解しながら話を訊くのはもっと難しい。だから、時々話の腰を折るようなこともあるが、それを先生も分かってくれているのか、決して嫌な顔をしようとはしない。
「分からないことがあれば、それを放っておかずに、聞いてくれる君に対しては。こちらとしても話しやすいんだ。分かってくれているのかを考えながら話す必要がないだけに、説得に力を入れられる。説得しようとしなくても、相手がちゃんと理解しながら聞いてくれているのが分かるんだからね」
と先生はいうのだった。
翌日から、三日間の予定で検査が行われるという。
「少し長いのでは?」
と聞くと、
「同じ日にはできないこともあるし、二、三日続けることで効果を調べるものもある。今のうちに健康診断を受けていると思えばそれはそれでいいんじゃないかい?」
ということだった。
なるほど、普通の健康診断のようなこともやってくれるので、ありがたかった。
捜査がどうなったのか、自分が第一発見者である以上、気にならないわけでもないが、それにしても、あれから誰も聞きに来ないということはどういうことだろうか? あの男があそこで死んでいたというのは何か意味があってのことなのか、そのあたりも非常に気になった。
そもそも自分がどうして第一発見者になったのか、そこには何か秘密が隠されているのではないかとも思えた。
そんな風に考えてみると、あの日に公園に寄ってみようと思ったのも、帰りがけのことだったような気がする。刑事課を出るまではそんなことは考えておらず、警察署の外に出た時はどうだったか。あのあたりからの意識が曖昧だった。
作品名:脳内アナフィラキシーショック 作家名:森本晃次