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脳内アナフィラキシーショック

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 伊藤医師は、当時、教授になりたてくらいの頃だっただろうか。学会では新しい学説を発表し、それが医学界で評判になり、
「K大学病院に、伊藤医師あり」
 と言われるようになった。
 こういう評判は普通は病院内だけにとどまるものだが、伊藤医師の場合は地域をあげて大々的に宣伝した。それから先生は病院では一目置かれるようになり、今では一度学長を経験し、若手に後進を譲り、今は名誉学長という肩書だった。
 しかし、研究熱心なのは変わっておらず、医療の現場よりも、研究に没頭するようになり、自分が気になった患者には積極的に治療を行うという、変わり種だが、偉大な医者であることに間違いはない。
 伊藤医師の本当の専門は実際のところ、ハッキリと把握できている人はいるのだろうか? 病院内ではいろいろな治療に従事し、外科や内科はもちろん、循環器、呼吸器、泌尿器、消化器などの各部とともに、精神科などにも造詣が深い。さらに薬剤にも造詣が深いようで、どこまでが伊藤医師の領域なのか、K大学としても、よく分からないようだ。
 しかし、これだけ専門が広いと、一人の患者を一人で見るとこができる。逆にいえば、不特定多数ではなく、一人にかかりきりになることができるという意味でいいことなのかも知れない。
 K大学病院では、そういう医者を求めていた。K大学病院に限らず、そういう医者の出現を待ちわびていた医療界で、今まで数人いた同じような医者だったが、まだまだ全国では人数的には少ないだろう。
 もちろん、伊藤医師のような医者ばかりでは、逆に医療界は成り立たないだろうが、これらの医者がバランスよくいることが、これからの医学界の発展を暗示するのではないかと言われていた。
 伊藤医師はそんな中で、論文もたくさん書いていた。一つの分野に特化した他の論文と変わらないような主旨のものもあれば、いろいろな分野を研究することで、一人の人間を形成しているかのような論文も存在する。
 それが、今後の医学界にいかなる事態をもたらすか、注目されていた。
 最近の論文の中で、先生の注目しているものは、
「伝染病」
 に関してのものだった。
 奇しくもその論文が発表されてから、数年後に実際、未知のウイルスが世界的な大流行を招くことになるのだが、それを予知してのことなのか、先生の論文はよくできていた。
 さすがに未知のものを具体的に予知できるはずもなく、今までの伝染病に関しての種類は医療の例を元に、
「もし、今新たな伝染病が流行った際のシュミレーション的なものから、予防対策や行政への提言まで幅広く書かれていた。
 そんな論文をまだ何も流行っていない間は、誰も気にする人はいなかった。それよりも、その後に書いた論文の方が社会的に評判になっていたのだ。
 その論文が発表されたのは、数か月前のことで、ちょうど高杉が入院した時は、伝染病関係の研究に入っていたところだった。
 以前発表された論文の主題というのは、
「アレルギーとそのショック」
 という内容のものだった、
 アレルギーによって引き起こされる一種の副作用である、
「アナフィラキシーショック」
 というものと、さらには精神的なものへの影響が書かれていた、
 先生は、
「アナフィラキシーショックが治ったとしても、その後に後遺症が残る。一種の精神病と呼ばれるようなものだが、記憶が飛んでしあったり、あるいは、ショックによって、条件反射が発生しにくくなったりする」
 という研究であった。
 その論文は学会で一定の評価を受け、今は世界的な論文への評価に回された。各国からエントリーされた研究を吟味し、その年の最優秀な論文は表彰されることになっている。
 伊藤先生はこれまでの研究成果の論文が入賞したことが三度ほどあって、一度であっても、
「世界的に有名な医学者」
 としての名声を手に入れることができるのに、すでに三回も受賞しているということは、本当に世界に認められたということで、誰からも認められた先生は、K大学病院の誇りであることは間違いなかった。
 だが、医学界ではレジェンドのような存在ではあるが、一般の患者にはそんな意識はなかった。
 伊藤医師自体が自分から表に出ることがあまりなく、ずっと研究室で籠り切りというのが多いからであろうが、そんな伊藤医師に対して、インタビューや取材はあまりないようだった。
 それは先生が自分で止めているようで、
「まだまだ私は研究員としては、通過点でしかないので、これからの発表でいかに変わるか分からない。だから、あまりマスコミに姿を見せるのは嫌なのだ」
 と言っていたが、実はそれは本心ではない。
 実際にはマスコミ嫌いというのが本心だったようだ。

             無意識の意識と感覚のマヒ

 伊藤医師があまりマスコミを好きになれないのは、
「医学の発展において、マスコミの存在はあまりいいものではない」
 という意識を持っているからであった。
 マスコミというのは、
「すぐに一つの意見に対して、それが正しいと思うと、過剰に反応し、そちらへと読者を導くだけの力がある」
 と思っている。
 つまりはプロパガンダとしての要素が強く、一つの凝り固まった考えに、人々を誘導するという洗脳のようなものが生まれ、下手をすれば、それが新興宗教などに利用されることによって、世の中が捻じ曲げられてしあうのではないかという懸念がある。
 その懸念を一番強く抱いているのが、伊藤医師だった。
 伊藤医師は、今のような研究ばかりをするようになる前は、他の医者と同じように一つの医学に特化した医者だったという。ただし、病院のその時の事情で、内科をやった次の年に外科に転属させられたり、他の科に転属させらたりと、応援の意味合いもあるかのような異動が頻繁に行われていた。
 それだけ伊藤医師の実力が幅広かったということで、そのことを今では、病院はよかったと思っている。
 いわゆる、
「結果往来」
 というだけのことなのだが、実際の本人である伊藤医師はどう感じていたのか。
「私は若い頃の経験を生かして今のような地位にいるのはありがたいことだが、こういうことは他の人にできることではない。これは自慢しているわけではなく、怪我の功名というべき特例であって、これらの事例が他の人にも通用するというのは、まったくの間違いであるということを言いたいのだ」
 と言っていた。
 これは先生の主張であり、それでもその言葉に逆らって、他の先生を同じように育てようとしたが、まったくもって無理だった。
  せっかくの若い有能な人材を殺してしまうようなものだった。
  その若い先生はノイローゼに陥り、結局その後始末を伊藤医師が行うという、本末転倒なことになってしまったことで、いよいよK大学も、伊藤医師に逆らえなくなってしまった。
 K大学内で強大な権力を持つようになった伊藤医師だが、その権力をひけらかせたりすることはなかった。どちらかというと、
「私が研究に没頭している時は、なるべく私を放っておいていただきたい」
 という要望をするだけだった。