尊厳死の意味
「まるで、ドラキュラでも住んでいそうだな」
と言われて、こちらまでもが心の中で、
「うんうん、まさにその通りだ」
と頷いたのを思い出していた。
結局、実際にどのような屋敷なのか、森の奥まで入ったわけではなかったので、今のところ分からない。実際には行こうと思えばいけないわけでもない。場所は分かっているのだし、墓参りのついでに行けばいいのだ。いずれ車を買って墓参りをする時に行けばいいと思っているので、
「いつでも行ける」
と考えている分、今のところ結局行けていないのだった。
喫茶店にある絵を見た時、一番最初、墓参りの途中に見た森がイメージされたが、それ以降、その場所と絵を結び付けて考えたことはなかった。
その絵がリアルすぎるからなのか、自分がまだ、実際に森の中に入って、西洋屋敷や湖を見たことがないことから、頭の中で結び付かないのか分からない。
しかし、自分の意識の中で、結び付かない理由は何となく分かった気がした。
誠也は、音楽が苦手だった。特に楽器を演奏することができないと自分で思っている。その理由は、
「左右の手で同時に違う動きができない気がする」
ということだった。
ピアノなどのキーボードにしても、ギターにしても、左右で別々の動きをするではないか、自分がそんな器用な人間ではないと思っていることで、楽器は弾けないと思っていた。その感覚が、意識として存在しているために、重なり合った部分の存在は感じるが、実際に想像してみるとなると、結び付かない。なぜなのか、最近になってピンとくることがあるような気がした。
「要するに、どちらかを必要以上に気にしてしまうのではないか?」
ということである。
つまりは、右手に集中してしまうと、左がおろそかになってしまう。逆に左手に集中しようとすると、右手がおろそかになるのだ。
楽器にしても、絵と目の前に広がった光景との関係にしても、必ずどちらかを中心にして考えないといけない場面が存在する。一度その壁をぶち破ってこそ、左右の間隔を均等に保つことができるのではないかと思うのだった。
誠也はそれができないことで、楽器も、絵から想像することもできないという中途半端な人間ではないかと思うようになった。
そういえば、よく父親から言われたのが、
「お前は中途半端なんだ」
というのが口癖だったように思う。
常識という言葉であったり、父親の威厳のわざとらしさに、苛立ちと毛嫌いを感じていたのだが。この、
「中途半端」
という言葉も印象的だったはずなのに、いまさらながらに、やっと思い出せたほどだった。
なぜなのかを考えてみたが、おそらく自分が中途半端という言葉を嫌だとは感じていなかったからなのかも知れない。
常識という言葉には、まったく感じるものがなく、言い訳でしかないという感覚があることで、簡単に毛嫌いできたが、中途半端という言葉は明らかに自分を苛めている言葉のはずなのに、嫌なところまでは感じなかった。
「きっと、自覚していたことだからなんだろうな」
と思ったが、きっと、自分が不器用だと思った原因である左右でそれぞれのことができないということが、中途半端という言葉に繋がっているのを、自覚していたのかも知れない。
どうして父がそこまで見透かしていたのか分からないが、その言葉だけは、父親の言葉の中で、戒めとして聞こえることだった。
だが、父親を毛嫌いしている手前、戒めを受けているなどと感じると、せっかくの怒りや不満が半減してしまう。それが嫌だったのだろう。
それを想うと、父の言葉、
「常識」
という言葉が強すぎて、他にはいいところもあったはずなのに、それを感じさせないほどに、父の言葉は強烈だったに違いない。
父を許せないという気持ちは今でもずっと持っていて、
「俺はあんな大人には絶対にならない」
という思いを抱いてはいるのだが。大学を卒業してからの自分は、次第に父親の近づいてきているかのように思えて恐ろしかった。
父親と自分の関係が、近づいてきているようで、本当はいいことなのかも知れないが、自分には我慢できないことが多いとして、無理やりにでも遠ざけようと考えるのは、やはり少し強引なのだろうか?
尊厳死と黒歴史
その時のバスの中での話にはまだ続きがあった。
「あの西洋屋敷の中には、昔、不治の病に侵された人が住んでいたということなんだよ。それはどうやら、ご令嬢のようで、主人が目の中に入れても痛くないというほどに可愛がっていたということだったんだよ。その病がどのようなものかは定かではないが、日に日に衰弱していって、可憐な容姿がどんどん憔悴していくのを、一番気にしていたのは本人だったらしい」
「それはそうだろう。特に本当に綺麗な人で、他の人とあまりかかわりのない人であれば、身近な人は皆家族以上の関係に思える人たちばかりだと、見られたくないという思いでいっぱいなんだろうね」
というのを訊いて。
「それはそうだと思うぞ。だから、衰えていく中で、元気な時にいつも一緒だった人を決して自分の部屋には入れないようにして、自分が死ぬまで、あの人たちに私の醜くなっていく姿を見せたくないと言ったみたいなの。それは自分の父親である、屋敷主に対してもね」
「それでどうなったんだい?」
「結局、その娘はしばらくしてから死ぬことになるんだけど、そこに悲劇が隠されているんだよ」
「どういうことだい?」
「旦那さんは、どうしても娘のそばにいたくて仕方がない。容姿がどうであればかんけいないんだ。だけど、娘はどうしても容姿にこだわるので、中に入れたくない。ジレンマに陥ったのは、召使たちで、旦那からは、中に入れないと処刑するぞ、と言われ、娘も絶対に開けないでという。でも、さすがにその娘さんは死に対しても怖くないというくらいに覚悟を決めていたんでしょうね。かなり冷静だったんだと思う」
と言って、少し言葉を切った。
その間に、聞き手は目を凝らして言葉の続くのを待っていたが、話し手はしっかりとその場の効果をうまく狙ったかのように話し出した。
「結局ね。娘の方が召し使いにいったんだよ。私を殺してくれってね。そうじゃないと、お前たちが処刑される。それも嫌だし、自分のこんな顔を父に見られるのも、もっと嫌なの。だったら私が死ぬしかないでしょう? 楽にさせてほしいということなのよというのんだよね。だから、いろいろ話をした結果、召し使いは娘の気持ちを察して、殺すことにしたの。それは一種の尊厳死ということになるんだろうね」
と言った。
「それで召し使いはどうなったの?」