尊厳死の意味
「旦那のショックは計り知れないものだったけど、決して手を下した召し使いを罰するようなことはなかった。それどころか、尊厳死を考えた勇気に敬意を表したというんだよ。だって、その召し使いは下手をすれば、旦那の怒りに触れて、そのまま処刑されることは十分に考えられた。それを敢えて行ったのだから、相当な覚悟があったのと、娘に対しての忠義新なのか、同情なのか、そんな思いが強かったのかということだろうね。でも、そのどっちもなければ、出来る行動ではない。それを許した旦那も、さすがというべきなんだろうね」
「じゃあ、これは美談だね?」
「そうだな。美談として、どこかの本に載っていたと思うんだが、そこには、この場所の伝説がヒントになって研究したフィクションに近いノンフィクションと書かれていた。そこまでが本当のことか分からないけど、普通に考えられる部分は真実ではないだろうか。それと事実関係描写は、想像するにはあまりにも過激すぎると思うので、それだけにこの話は、かなりの信憑性があると思う」
「人が死ぬということを、なかなかここまで美しい話にできるわけでもないだろうから、そういう意味でも美という世界を、見直してみたい気がするのは、俺だけなのだろうか?」
と話していた。
「君はどう思う? この場合の召し使いのやり方は」
と聞かれた一人は少し考えてから、
「俺だったらできないけど、やはり勇気のいることは確かなんだろうな」
「それはそうさ。どちらの立場を優先しても、ハッピーエンドは見えないんだからね。もし、旦那の意見を聞いて部屋を開けたとしようか? そうすれば、きっと娘は尊厳死を望むくらいなので、その場で自殺をするくらいはあるんじゃないかい? もしそうなると、召し使いは、娘を止められなかったと言って、断罪されるかも知れない。それだけ目の前で娘が自殺するというのを見るのは、精神的に耐えられることではないだろうからね。もし、娘がそこまで考えていたとすれば、すごいけどね」
というと、
「だったら、自殺なんかしなければいいんだ。召し使いのことを考えるなら、醜い顔であっても。父親に顔を見せるくらいのことができるんじゃないか?」
と言われたその人は、直接その問いに答えることはなく、
「例えば、動物が臨終の際に、自分のまわりにいる仲間から離れて、一人で死ぬという本能を持っているということを知っているかい?」
と聞いた。
「ああ、聞いたことがあるけど、それとどういう関係があるんだい? この話の中に」
と言われて、
「動物って本能で動くじゃないか。人間のように打算的でないだけに、人間も動物の一種なんだから、本能というのは、かなり大きな影響のあるものだろう? その本能が、一人で死んでいくことを選ぶんだから、娘が自分の醜い姿を見られたくないという気持ちってその本能なんじゃないのかな? そう思うと何をおいても。親に見られたくないという気持ちは何にも増して強いんじゃないかな?」
と言われて、相手は絶句していた。
その言葉の説得力にビックリしたようだったが、まさにその通りだと感じたのであろう。
「なっ、そうだろう? 動物は基本的に死ぬ間際になると自分が死んでいく姿や苦しむ姿を人に見せたくないと思う者じゃないのかな? 話の規模は違うが、俺なんか、たまに足が攣る時、もし。近くに誰かがいたら、気付かれたくないと思うもんな。それと同じなんじゃないかな?」
といった、
「それは俺も思うんだ。そのことを考えると、女性が出産するのってすごいと思うことがあるんだ。だって、陣痛が始まって、いよいよ分娩室に入ったところをよくドラマなどで見るけど、あれだけ苦しんでいる妊婦をまわりが励ましているだろう? もしあれが自分だったらと思うと、ゾッとするんだよ。まわりからあんなに見られて励ましを受けたりしたら、却って苦しさが増してくるんじゃないかと思ってね」
というと、
「俺もその意見には賛成だな。でも出産の時は特別なんじゃないか? その時はまわりの来rがあまり聞こえないとかね」
「それに、あれだけ苦しんで、もう二度とこんな経験はしたくないと思っている人もたくさんいるだろうに、そんな人に限って、二人目も産むんだよね。まるであの時の痛みを、痛みが消えた瞬間に忘れてしまうかのようだよね」
と話している。
それをきいて、
「もっともだ」
と思った。
確かに人から見られるのは嫌なものだ。少し話が飛躍しすぎの感じもあったが、その後の二人の話を訊いて、それももっともだと感じたのだ。
そんな話を訊いていると、じっさいにその場面の当事者になってみると、娘の気持ちが何も言わなくても分かるのではないかとも思えた。
「俺は、その娘の気持ちも分かるし、娘を殺めることになる召し使いの気持ちも分かる気がする。そして結果的に召し使いをおとがめなしにした旦那の気持ちも分かる気がするし、だとしたら、何が問題だというのか? 皆が納得していれば、そこに問題はないと思われるのだが、倫理的な発想では許されないからなのかな?」
「そうなのかも知れないな。特に人を殺めてはならないという戒律を定めた宗教などでは、許されることではないよね。でも、自殺させるくらいならと思ってのも勇気のいることだよな。やっぱり俺だったらそんなことできるわけはない」
と、考えながら、きっぱりと否定していた。
「でも、この場合の一番尊重された気持ちは何だったんだろう?」
「娘の気持ちだったんじゃないか?」
「果たしてそうだろうか? 娘は本当はその時に死にたくはなかったんじゃないのかな? 美談になってしまったが、本当は美談なんかではなく、誰かの心には傷が残ったのかも知れない」
「どういうことだい?」
「だって、普通死にたいと思う人はいるだろうか?」
「でも、もう助からない命なんだろう? だったら好きにするんじゃないか?」
「だからさ。そんな時に人に気を遣ってどうするっていうんだ? だから、その時に殺させたということを、今さら問題視して、その理由を考えるというのは、ナンセンスではないかと思うんだよ」
と言っていた。
「確かに、そうかも知れない。でも、人間というのは、他の動物と違って、いろいろ考えることができる。そういう意味では本能に従わないということもあるんじゃないかな? だとすると、その時の選択が正しいかどうかなんて、誰にもいう資格がないと思うんだ」
というと、二人は黙ってしまった。
その話を訊いて、誠也はあの二人が何を言いたかったのか、いろいろ考えてみた。確かに話の内容と順序、そして考え方の推移は、理路整然としていて、考えられる中では優秀な部類なのではないかと思った。
「だけど、何かが違和感があるんだよな」
と感じた。
その違和感が何であるか、すぐには分からなかったが、一つ考えられることとしては。二人が、
「不治の病で自分を殺させた女の子の気持ちばかりを中心に話している」
ということだった。
確かに主役は彼女であり、ドラマであれば、一番ラストのクライマックスシーンになるのであろう。見ている人はまずそのほとんどを主人公になったつもりで見ているかも知れない。