尊厳死の意味
店は結構流行っていた。現役大学生だけではなく、大学のOB、OGをよく利用するようで、店の佇まいからか、一人での来店が多く、そこがまた、レトロな雰囲気を醸し出しているのであった。
そこに掛かっていた油絵を描いていたのは、実は常連の客で、もちろん、プロではなかった。喫茶店の前で描いたと思われる絵も飾ってあって、作者としては、自分の描いた絵をギャラリーのように展示させてくれるこの店は貴重であり、店主とすれば、いちいち購入してきた絵でもなく、常連の作品だということに対して、店に対する愛情が感じられることで嬉しかったのだろう。
そういう意味もあって、店内には絵画だけではなく、彫刻であったり、工芸作品であったりと、芸術家の発表の場になることもしばしばあった。
店主も実は工芸に造詣が深いようで、自分の作品も昔からのものがいくつかあり、
「これは大学の頃に作ったものなんだよ」
と話していたことがあった。
「ここを皆がギャラリーとして使ってくれるようになってから、私も昔の芸術家魂というんですか、創造意欲が湧いてきて、最近は休みの日は、ここの裏で工芸作品を作ってみたりしているんですよ」
と言っていた、
なるほど、そういえば、これだけ店が流行っているのに、休みは日曜日と平日のどこかで一回と、週休二日だった。その定休日を使っての創作活動は、さぞや充実した毎日なんだろうと想像できた。
「マスターは、この店をいつからやっているんですか?」
と聞いてみると、
「私は、二代目の店長になるんだけど、私がこの店で店長をするようになってから、二十年が経っているかな? 一度、老朽化しないように、一度改装したんだけど、昭和の雰囲気を残したままで今の形にしたんだよ。レコードは、先代の店長から受け継いだものなので、この店の宝物であり、シンボルでもあるんだ、大事に使って行って、できることなら、三代目にも受け継いでいきたいものだと思うんだ」
と言っていた。
マスターの年齢は、なかなか想像するのは難しく、たぶん、五十前後くらいなのだろうが、見方によっては、三十代前半にも見えるくらいだ。それだけ、バイタリティーに富んでいると言ってもいいのだろうが、だからこそ、この店を続けていけるのであろう。
常連客も多く、普段はあまり表に出さない芸術家たちが、マスターの気概に触れることで、自分の作品を発表したいという気持ちにさせられるのは、刺激的でいいことだと言っていた。
「僕も芸術を何かしてみたいな」
という気持ちにさせられるほど、この店は店内が充実していたのだ。
一度卒業後、三年してから久しぶりに行っていたことがあったが、思ったよりも狭く感じられた。年月が経てば、雰囲気を錯覚させられるということは、それだけ擾乱だった時のイメージが沁みついていたということなのだろう。
その喫茶店は基本的にはクラシックが多く、一部はジャズ、さらには、プログレッシブロックのクラシックよりのバンドのレコードが並んでいた。
プログレッシブロックの中には、発売されて少しして、すぐに廃盤になったものも多くあるようで、歴史を表していた。
誠也は、大学時代にプログレッシブロックを訊いたが、ここで聴くのが楽しかったこともあった、たまにしか流れてこなかったが、この店の雰囲気に合っているのと、クラシック音楽をさらに違った感覚で聴くためにもプログレッシブロックというのは、大いにスパイスとして役になった。
プログレッシブロックを訊いていると、その中の一つの絵で、印象に残った場所があったのを思い出した。
それが、大きな森の中に広がっている湖、その光景を描いた一枚の絵だった。
空の部分が必要以上に大きく描かれていると思ったが、それは他の絵よりも多く句見せようとする絵の効果のようにも感じた。
その絵をじっと見ながら絵に向かって近づいていくと、どんどん絵の中が広がってくるような錯覚があり、顔を近づけていくうちに、見えなかった湖のこちら側の陸を見ることができそうな気がするくらいだった。
当然錯覚なのは分かっているが、近づいてくる光景の中に誰かがいそうな気がして、その人を誰か知っていると思うくらいだった、
だが、それを感じたのは、絵を見ている時ではない。大学を卒業し、その喫茶店に行くこともなくなったある時、夢の中にその絵が出てきたからだった。まるでつい最近、その絵の場所に行ったことがあったかのようなデジャブだったのだが、それがどこなのかさっぱり分からなかった、
何しろ、自分でもそんな森の中にある湖には実際に行ったことはなかった。一度は行ってみたいとは思うが、どこにあるのかも想像できず、その場所が日本なのかさえ定かではないではないか。
日本ではないと言われればそんな感じもするが、誠也の本音としては、
「日本であってほしい」
と思うのだった。
その景色を最近になってまた思い出す。あれは、母が亡くなってから、母のお骨を父親の墓地に入れるため、墓地のある場所に赴いた時のことだった。
かなり田舎で、山間の場所にあったのだが、その途中、バスの中に二人の旅行客が乗っていて、その会話の中で、
「ほら、あそこに森が見えるだろう?」
「ああ」
と言って見たその方向には、かなり大きな森が広がっていて、
――こんなでかい森、見たことない。入り込んだら抜けられない樹海にでもなっているんじゃないか?
と感じたが、会話は続いていた。
「その森の入り口になっているところから入っていくと、その先に大きく広がるところに出てくるんだよ。そして、そこには大きな湖があるんだ」
というではないか。
「じゃあ、森の緑はドーナツ状になっていて、中に入るとそこには、大きな湖が広がっているということかな?」
と訊かれて、
「ああ、その通り、その奥には古い洋館のようなものが建っていて、どうやら人は住んでいないらしい。そこは重要文化財になっているようで。立入も禁止されている。どうやら昔の政財界のお偉いさんの別荘があったということなんだ。だが、場所が場所だろう? 不気味なウワサが残っていたりするらしいんだ」
と言っていた。
「何か恐ろしそうな話だな。まるで西洋の大きな川の横に立っている西洋風の城のようじゃないか」
と訊かれて、
「そうなんだ。その西洋屋敷を元々建てたのが、江戸時代のことらしくて、江戸時代にはこの場所自体が立入禁止になっていたらしい。きっとここの屋敷の主が日本人を警戒して、妖怪変化のようなウワサだったり、人魂のような伝説的なものを科学的に作って見せたりして寄せ付けなかったんじゃないかと言われているらしい。でも、明治になってから、開拓されるようになると、すでに、ここの主は誰もいなくて。屋敷だけが残っていたということ、幕末の混乱を恐れて帰国したのではないかと言われていたが、すでに主のいなくなっていた屋敷であったが。別に荒れ果てているわけでもなく、そのまま最初は国に接収されたが、国が売りに出したので、最初は明治の元勲の誰かの別荘になったのが始まりだというこらしいんだ。だから、この屋敷が西洋の城っぽいというのも、まんざらでもないのさ」
ということだった。