尊厳死の意味
今のところ、会社では出世が遅れている父親が引っ越せるマンションと言えば、さすがに分譲マンションは無理で賃貸だった。
一か月単位でいえば、ローンを組んだ方が安いのかお知れないが、またいつ転勤と言われるか分からない。今までは、あまり転勤ということのなかった会社だったが、社長が変わって、転属が頻繁に行われるようになると、父も例外ではなくなっていた。
「今後の転勤ということを考えると、分譲マンションは無理だからな」
と、ハッキリと言っている父だった。
相変わらず、しがないサラリーマン生活を続けている父だったが、そんな父を支えているのは、
「社会人としての常識を供えた大人」
というイメージであろう。
自分も会社では十分ベテランの域に達してきて、後輩を見ていると、常識の欠片もないような連中が多いことから、
「あんな連中を見ると、先を憂いたくなる」
と思っているのだが、本当の父の本音は。
「先を憂いている自分が他の人と違って、社会人としての常識を持っている唯一の人間だ」
というくらいにまで想像力を膨らませているのかも知れない。
そんな会社にいても中途半端で、家に帰れば、息子も成長し、父親の威厳などもう残っているはずもない状態で、母親と静かに暮らしていた。
息子が小学生や中学生の頃のような威厳はすっかり影を潜め、まわりの人と絡まないというところでは変わっていないが、どうにもコソコソした生活をしているように思えてならない。
それは昔を知っているだけに、そのギャップは恐怖を煽るレベルだと言えるのではないだろうか。
その頃の父親は。母親に対しても何も言わなくなり、極端に会話も減った。家にいても家族が皆バラバラで、ある意味、誠也にとっては、その方がありがたいくらいだった。
家族が一緒にいるというのは一番いいことなのだろうが、そればかりを追求してもしょせんは、
「絵に描いた餅」
でしかない。
一緒にいるだけで、中身は空っぽ。虚空に満ちた家族というのは、一体何なのかということを考えると、考えるだけ無駄でバカバカしいと思っているはずなのに、気が付けば考えていることが多かったりするのだ。
すっかりしおれてしまった父は、すでに定年くらいの年齢になっていた。すでに髪の毛は禿げ上がっていて、かつての勢いはまったくなかった。
「どっちが本当の父親なんだろう?」
と思うほどだったのだ。
最近では父親もだいぶ丸くなってきていた。人に対しても柔軟に話ができるようになったようだし。母親に怒りをぶつけることはない。その様子を見ていると、今までの父親のどこが悪かったのか分かってきた気がした。
それは、
「自分の意見をまわりに押し付けようという意思が強いくせに、自分が人とは違うという矛盾した考えを持っているからではないか?」
と思うようになったことだった。
ただし、昔から父親の言っていることに間違いがあったわけではない、極端ではあったが、正論だったのだ。それだけに、こちらも逆らうことができない、それが苛立たしかったのだ。
父親は、相手のことがよく分かっていたのだろう。どういえば相手が腹を立てるのかが分かっていて、わざと挑発させていたのかも知れないと感じたが、その心はどこから来るものなのか、ハッキリとは分からなかった。
相手のことが分かるだけに、被害妄想的なところがある父親は、すぐに予防線を張ってしまい、その向こうでバリアに囲まれた状態で、相手を見ていた。その表情はさぞやニンマリとしていたに違いないが、明らかにこっちには分からないことを知った上での確信犯であった。
この場合の確信犯を知っているのは、たぶん息子の誠也だけだろうと自分で思っていた。母親が含まれないのは、やはり血の繋がりがないからで、母親よりも血の繋がりという意味で近しい自分にしか分からないことだろうと思うのだった。
「こんなことで血の繋がりを感じたくない。どうせなら、あなたとお父さんの血は繋がっていないといわれたい」
と思っているが、頭の中ではほぼ血の繋がりがあることで確定している。
「血は繋がっていない」
と言われた方がどれほど気が楽か。繋がっているつもりで接していき、何かあった時の最後の手段に取っておくということの方が、やり方としては、柔軟な気がする。
父親は丸くなってきたというよりも、臆病になってきたのであって、臆病なくせに虚勢を張っているのか、表情に変わりはない。却って貫禄がついたくらいだ。
そんな父親が息子を見る態度は、半分頼りなく見える。それは怖いことだった。
「自分は意識していないつもりでも、父親に近づいてきたのではないか?」
と感じることだった。
年齢的にも二十歳を過ぎて、一人前の男としてまわりからは見られる。今までのように子供というわけにはいかない。そうなった時、
「子供の頃にはバックに父親がいてくれることが、安心に繋がっていたのではないか?」
と思うようになってきた。
次第に人間が丸くなってきた父親を見るのはいいことなのかも知れないが、そのために、自分が後ろ盾を失うようで、怖い気もしたのだ。
それまであった後ろの防御壁が、気が付けばなくなっているのだ。鉄壁だと思っていただけに、まさか、絶対に信頼していたその防御癖の正体が父親だったなんて、思ってもみなかった。
自分の後ろ盾というと、あるのは分かっていたが、その正体について考えたこともなかった。ただ、中学生の頃、一度だけ、
「まさか父親ではないだろうな?」
と考えたことがあった。
ただ、その思いがあまりにも自分の中で信憑性があったので、怖くてその思いを打ち消したのだと後になって感じた。
だが、その存在がなくなってきた時になってやっとその存在の信憑性と、父親だったという感覚とが確信に変わったということは、実に皮肉なことであると言えるであろう。
誠也は、二十歳になってから、
「自分が大人の仲間入りをした」
という感覚はなかった。
実際に同年代の仲間を見ていると、すでに大人びた人も少なくはなく、いつも誰かに頼られている人を見ると、
「これが大人というものなんだな」
と感じるようになった。
逆にまだ高校時代くらいまでの気持ちが抜けていない人を見ると、自分よりもかなり幼い感覚になり、そんな連中に思わず、説教論をしていたくなるのを感じた。
――そうか、父親が自分に対して常識を必死に説いていたのは、相手がまだ未熟だと思うのは、常識がないということと同意語だと思っているからではないだろうか?
と感じていた。
ということは、、どこまでも父親は自分のことを下に見ていたのだろう。
それが、親子関係による無意識のものなのか、
「息子というものは、いつまで経っても親に追いつくことのできないものだ」
という勝手な思い込みなのか、さらに、
「息子にだけは追い越されたくないという。父親の威厳があってのしかるべき感情なのか?」
の、どれかではないかと、誠也は思うのだった。
もし、息子に対して嫉妬心があるとすれば、そこに血の繋がりがあるのだろうか? と思うのだった。