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尊厳死の意味

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「それは、デジャブに似たものなのかも知れないね。以前に感じたことのある思いだと訳もなく認識するという感覚だよね。でも、そう想うと、最初に感じようとしたのとほぼ同時に感じる正反対の感覚で、思おうとしたことを打ち消す感覚、それは最初からなかったということでありながら、一瞬でも孫座下思いのどちらが強かったのか、あるいは、引き合ったどちらに強く向いた時に感じるものなのか、それらを一瞬にして感じようとした思いが、さまざまな意識として心の中に渦巻いたことで、多すぎる感覚を制御できなくなってしまったのではないだろうか」
 と十勝氏は答えた。
 誠也も結構的を捉えて話をしているように感じていたが。それにしても、十勝の発想は誠也の想っている感覚の二つくらい先を歩んでいる。
「そういえば、以前読んだ小説の中で、『五分前を進んでいる自分』という発想の本を読んだことがあったな。自分はそのもう一人の自分の存在を知っていて、自分の彼女のところに行くと、最初の頃は、また来たの? と訊かれて、今日初めてだというと、訝しい顔をしていたが、そういうことが何度かあると、次第に何分か前の自分が存在していることに気づくんだ。そして、二人の自分を知っている彼女は次第に疑心暗鬼に陥ってくる。性格も雰囲気もまったく同じ人間が別に存在していて、二人がいつも同じ時間差で現れる、そのうちに、一人しか現れなくなり、彼女は大いに不安に感じるのだった。それは、彼女が自分の気持ちの中で一人の、どちらかの自分を抹消したからであって、抹消できてしまったことに彼女は恐ろしさを感じていたというものなんだ」
 と十勝が言った。
「面白そうな話ですね。でも、何が言いたいんだろう?」
「結局、どちらかの主人公を自分の中で殺すということは、結果的にはどちらも抹殺することになると思っていたんだ。だけど、結局、抹殺なんかすることはできないので、自分の意識から出てこないようにしただけである。それを抹殺したように思うということは、無理に自分の尺度で図ろうとしても、結局自分の中での本性は自分のことが分かっているように、理解できるよう、都合をつけてくれる。この世の中で理解できないことは本当はないのだけれど、自分が理解できないと思っていることがネックとなって、無理をさせられないという意識が、辻褄を合わせるようにするのかも知れない」
 というのが、十勝の考え方だった。
 話は難しそうに聞こえたが、どんなに簡単に話しても、難しくなってしまうので、それも仕方のないことだった。
 その時、
「少し関係のない話なんだけど」
 と言って、少し愚痴っぽい話を十勝氏はしていた。
 それは数年前に、謎の伝染病が流行り、世界的な感染爆発が起こっていた頃の話だという。その伝染病は、ほとんどが飛沫感染によるもので、マスクや消毒をしていれば、完全ではないが、防げるということで、そもそも特効薬もなかったので、それしか方法のない時期だった。
 十勝氏は、馴染みのカフェがあり、その伝染病が流行り始める前からの常連だったという。しかし、一度落ち着いても、一月もしないうちにリバウンドして、気が付けば前に流行ったときよりも人が増えていたりした。
 店には国から時短営業を要請され、飲食店などは、感染対策をしていたのだが、ある日、普段通りに、店に寄った時、入店してからしばらくしてから、店員が一枚の紙を持ってきて、申し訳なさそうな顔で、こう言った。
「すみません、これをお読みください。そして、申し訳ないんですが、お会計を」
 というではないか。
 こちらは、何か店に迷惑でもかけるようなことでもしたのかと思ってビックリしていると、何と、
「お客様は咳を何度かされているので、他のお客様に迷惑が掛かったり、うちのスタッフが安心して対応できませんので、咳を治してからご来店ください」
 と書いてあったという。
「俺はちゃんと、マスクもしていたし、アルコール消毒、毎日の検温、さらに、ソーシャルディスタンスも保っているのに、どういうことだ」
 と言って、愚痴を言っていた。
 さらに、彼は、
「その店は政府の指示する感染対策も中途半端だった。手のアルコール消毒はするが、検温はしないし、カウンター席にもテーブル席にもアクリル板が一つもない。こんな中途半端な対応しかしていない店から言われたくない」
 ということを言っていた。
 それに彼はその時、自分が一番感染対策を催していると自負していたようだ。それだけに、まさか自分が店を追い出されることになるとは思ってもみなかったという。
 それはそうだろう。中途半端なことしかしてないやつから、咳を何度かしたと言っても、ちゃんとマスクもしているし、蜜にならないように、決してカウンターには座らないようにまでしているし、食事の時も口に食べ物を入れる時だけマスクをずらすということまで徹底していた。
「そこまでする必要はないよ」
 と言われていた自分が、一度入店している店から、追い出されるとは思わなかったという。
「ひょっとしたら、俺はその店で嫌われていたのかも知れないな。本当は来てほしくない客で、咳をしたのを幸いに因縁をつけて、気分が害させてこないようにさせようと企んだのかも知れないな」
 と言っていた。
「まさか、そんなことはないかも知れないがね」
 と言いはしたが、当時の世の中は未知のウイルスに対してナーバスになっていた。
 そのせいもあってか、しばらく、気分の悪い時期が続いたという。だが、十勝氏はそれまでは結構温和な性格だということで有名だったと、自分で言っていたが、それがそんなことがあってから、飲食店にいくつかの種類の店に対して、偏見を持つようになった。
 だから、人に誘われてもいくことはない。
 実はこの話を、よほどネットに乗せて呟いてやろうかと思ったが、実名は出せないし、呟いたとしても、賛否両論あり、極端な意見も少なくはないので、自分も死ぬくらいの覚悟がなければ、ダメだろう。
 つまりは心中である。
 それを思い出した時、ここでの尊厳死、あるいは安楽死というものも、加担するのであれば、当然のことながら、問題が発生した時、自分にすべての批判が向くかも知れないということを覚悟しておかなければいけないと思った。まさか、自分が、あれだけ対策を取っていた自分が言われるのだから、それは冗談ではないことである。
 暴露すれば、少しは留飲が下がるかも知れないが、一歩間違えれば、自分も死ぬことになる。心中ではないが、もろともという意味での、
「心中ずるくらいの覚悟」
 という言葉がピッタリであろう。
 さすがに心中する覚悟もないのと、大人としての態度が、いわゆる常識になるということで、誠也は、それ以上を、
「屈辱的な経験の一つ」
 ということで、記憶の奥に封印することにした。
 尊厳死というものと、五分前の自分という発想で、五分前の自分の存在を考えた時、どうしても意識するのが、ドッペルゲンガーというものの存在だった。ドッペルゲンガーというものは、いくつかの存在条件があるという、そのうちの一つに、
「ドッペルゲンガーというものは、喋らない」
 と言われていることが、今回の五分前の自分には当てはまらないことだった。
作品名:尊厳死の意味 作家名:森本晃次