尊厳死の意味
「ここからが問題であって、原稿を送って、たぶん、よほどの端にも棒にもかからない。つまり、バブルが弾けて趣味を持たないと時間を持てあますというだけで、安易に小説を書くという趣味を持った、まったく勉強もしていない。本すら読んだこともないという俄かな人に対しては、本当に騙しやすいですよね。まったく箸にも棒にもかからないような人ばかりではないだろうから、動機は不純であっても、それなりに文章的に整っている人であれば、これほど騙しやすい人はいない。そんな連中は自分んぽ技量も分かっていないでしょうからね。どんなに文章が上手い人、今ではベストセラー作家になっている人でも最初に小説を書こうと思った時というのは、誰もが、小説を書くことに恐怖を感じたと思うんですよ。文章が書けない。続かないという意識を持っていたでしょうからね。だから、にわかの小説を趣味にし始めた人は、その苦しみを知らないで、出版社の人の口車に乗せられて、お金を出してでも、本を出そうとするんですよ。本当に身のほど知らずだとは思うんだけど、そういうところに出版社は付け込む。いや、最初からのターゲットが彼らだったのかも知れないですよね。どうせ、本屋に並ぶわけでもないんだから、お金を出させればそれでいい。少々疑問を感じていたとしても、編集者とそれなりに出版について話をしていれば、まるでプロにでもなったかのような気分になるでしょう。しかも、実際に自分の本が出来上がってきて、それを手に取れば、誰だって、もうお金のことは二の次に思うことでしょう。頭の中には広大なお花畑が広がっていて、まったく他が見えていないんですからね」
というのだった。
さらにおじさんがいうには、
「そうなってくると、出版社のターゲットは完全にそっちに集中する。だから、少々疑問に思っていて、昔から作家を夢に見ている人の中には、この出版社を怪しいと皆が思うようになってくる。だけど、肝心の出版社の方は、楽な相手ばかりで商売をしているから、本当であれば、最初に懸念していた悪い方のシナリオを本当は作っていたとしても、すでに楽な道を歩んでしまったことで、出版社の方は、足元に火がついていることを分からない。そして、自分たちが詐欺をしているという感覚すらなかったのかも知れない。そうなってくると、本当に本を出したいと思っている本来相手にしなければいけない人たちと目線がまったく違ってくる。彼らに対してのいいわけも、どんどん陳腐なものになり、そうなると、素人作家は皆出版社を信用しなくなる。裁判沙汰になったというのは、そのあたりの問題があったと思いますよ」
というではないか。
「なるほど、ということは、出版社側の傲慢さが招いた社会問題ということになるんでしょうか?」
と聞くと、
「うん、そうだとも言えるね。だからこそ、以前、企画出版できる人は、有名人か犯罪者しかいないなどという、それは言ってはいけないはずの本音を、いくら苛立ちを覚えたからと言って行ってしまうような人が現れるんでしょうね。そういう意味でも、このように考えると、すべてが繋がってくるような気がするんだ」
とおじさんは言っていた。
それを訊いた時、誠也は目からうろこが落ちた気がした。やはり、一つのことを一本の筋を持って考えていくと、最終的に矛盾だと思ったことも納得できるような考えが生まれてくることの証明のような気がした。
おじさんは続けた。
「自転車操業というと、この場合は典型的な自転車操業だと思うのだが、まずは売り上げを増やすにはどうすればいいかということなのだが。それには、本を出したいと思う人を増やすことだよね、そのためには会員を増やす必要がある。会員と言っても、一冊でも本ができれば大きいので、いかにその人にお金を出させて、本を出すかということが問題になってくるんだ。そのためには、まずは宣伝、つまりは本を出しませんか? ということを大々的に宣伝して、あなたの作品を送ってください。私たちが審査して、お返事、お見積もりをしますという宣伝文句で、本を出したいと思っている人の気持ちをくすぐる。しかも、ちょうど時代的にバブルが弾けたサブカルチャーが受ける時代なので、本を書くというような高尚な趣味は、ほとんどは自分にはできないと思っているかも知れないが、それを募集しているということは、中には騙されたつもりで、作文気分で応募してくる人がいるだろう? それがターゲットさ、まずは宣伝、そして食いついてきた人をいかに逃さずに引き込むか、そのために、原稿を送ってきて、目のありそうな人には担当をつけたり、反復して作品を送ってくる人にはさらにアプローチを重ねるなどしなければいけないので、担当になる人、それから作品を読んで批評する人(同じかも知れないが)をそれぞれ野党必要がある。会員に本を作らせるまでの経費として、宣伝費と、人件費が必要になってくる。そして実際に本を出すとなると、出版に関わる印刷会社であったり、本来の本の制作を行う清本工場への費用も掛かるだろう」
とおじさんは言っていた。
しかし、おじさんは、そこから先が、実際に出版してからでないとなかなか思いつかない部分だということで話をしてくれたのだが、
「本を出すということは、数十冊などという単位ではない。普通であれば、千冊単位くらいからであろうから、本を出したいという人に対して、千冊で初版を見積もるだろう? だけど、できた本とすれば、数冊は作者へ進呈という形にはなるだろうか、さっきも話したように、無名の出版社で、しかも無名の作家の作品をどこの本屋が置いてくれるというのか、まかり間違って置いてくれたとしても、二、三日中には間違いなく返品されてくることになるだろう。